相生橋で川遊び
原子爆弾が広島に投下されるまで、戦争中も子どもたちは相生橋から川へ飛び込む遊びをしていた。次々に橋から飛び込んで、泡が途切れないから、ついた名前が 「ラムネ」。
デルタの町、広島の夏。
今では想像がつかないけど、戦前・戦中は川っぺりのそこらかしこで泳いだり、涼んだりする人たちがたくさんいたという。川底は、いまでこそヘドロなどで覆われているが、当時は川砂でとてもキレイだったんだそうだ・・・。
今は、平和公園になっている一帯。そういう形になったのは、もちろん原爆投下後から。
戦前は普通に商家が建ち並び、広島市内屈指の繁華街だったそうな。
その様子をCGで再現した映画がこのほど完成して、それを平和資料館へ見に行きました。
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▽中国新聞より
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201009040003.html
CGで再現 原爆映画上映 '10/9/4
原爆で壊滅した広島市の旧中島地区(現平和記念公園)と周辺の街並みや日常をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した記録映画の試写会が3日、広島市中区の原爆資料館東館メモリアルホールであり、元住民や協力者約100人が出席した。
60分作品「『ヒロシマからの伝言』~原爆で失ったもの~」。産学官でつくる製作委員会が、元住民の証言を織り込み、3年3カ月かけて完成させた。旧広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の隣に家があった会社社長の田辺雅章さん(72)が製作委の中心になった。
試写会で元住民は、産業奨励館や市内随一の繁華街だった街並みをリアルに描いたCGに見入っていた。被爆後の惨状を伝える場面では、両親を失い孤児となった人たちの証言に目頭を押さえた。
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この記録映画は、一部を国連でも公開されたとのこと。
リアルな一次情報に基づく町並みの再現は、驚きをもって迎えられたそう。
ひょっとすると、町の壊滅を目の前に提示する、というのは、人の証言より意外と重みを持つのかもしれない。
デルタの町、広島の夏。
今では想像がつかないけど、戦前・戦中は川っぺりのそこらかしこで泳いだり、涼んだりする人たちがたくさんいたという。川底は、いまでこそヘドロなどで覆われているが、当時は川砂でとてもキレイだったんだそうだ・・・。
今は、平和公園になっている一帯。そういう形になったのは、もちろん原爆投下後から。
戦前は普通に商家が建ち並び、広島市内屈指の繁華街だったそうな。
その様子をCGで再現した映画がこのほど完成して、それを平和資料館へ見に行きました。
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▽中国新聞より
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201009040003.html
CGで再現 原爆映画上映 '10/9/4
原爆で壊滅した広島市の旧中島地区(現平和記念公園)と周辺の街並みや日常をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した記録映画の試写会が3日、広島市中区の原爆資料館東館メモリアルホールであり、元住民や協力者約100人が出席した。
60分作品「『ヒロシマからの伝言』~原爆で失ったもの~」。産学官でつくる製作委員会が、元住民の証言を織り込み、3年3カ月かけて完成させた。旧広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の隣に家があった会社社長の田辺雅章さん(72)が製作委の中心になった。
試写会で元住民は、産業奨励館や市内随一の繁華街だった街並みをリアルに描いたCGに見入っていた。被爆後の惨状を伝える場面では、両親を失い孤児となった人たちの証言に目頭を押さえた。
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この記録映画は、一部を国連でも公開されたとのこと。
リアルな一次情報に基づく町並みの再現は、驚きをもって迎えられたそう。
ひょっとすると、町の壊滅を目の前に提示する、というのは、人の証言より意外と重みを持つのかもしれない。