このたび、私の友人、稲葉統也さんが東京パラリンピックに向けて、
競技復帰することになりました。

ご本人からのメッセージを紹介いたします。

底抜けに明るい性格で、トップアスリート始め多くの方々に影響を与えてきた方です。

その稲葉さんが、シドニーパラリンピックで柔道5位に入賞し、様々な競技にチャレンジし
国内での記録を残し、決めた引退。

10年近くたって、無謀とも思える復帰を決めた思いです。

ファイスブックには抜粋でしたが
こちらでは、全文をご紹介させていただきます。

世界チャンピオン川嶋勝重選手と

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「鷹は、ごく一部だが70年も生きることがある。

 40年を過ぎた頃、くちばしが劣化して獲物の補食が難しくなり、
 羽も重く、爪も機能を失い始める。
 その時にそのまま死を選ぶか、進化するか選択をせまられるという。

 進化するには、まず険しい山間に巣を作り、
 くちばしを自ら砕き、苦しさやひもじさに耐え、成長を待つ。

 再生したら、そのくちばしで古い羽をついばんでいく。
 欠けて鋭さを失った爪も抜く。

 新しいくちばし、羽、鋭く生えかわった爪を光らせて再び飛び立ち、
 行き続けるという。」


この話を聞き、人の「思い込み」の怖さを知りました。
反面、人はいつからでも誰でもみんな変われるということも知りました。
それと同時に自分の進まなければいけない道もみつかりました。

後、体の健康につきまして私なりに判ったことがありますので、
宜しかったら下記を読んでいただけますと幸いです。

◆自己紹介
私のことを知らない方もいると思いますので、自己紹介からさせていただきます。

静岡に住んでいる稲葉統也(いなば もとなり)と申します。
年齢はと申しますと、今年2015年5月に49才となります。

30才の頃、突然、目が不自由になり、視覚障害者となりました。
明るい世界から暗い世界へと。
でもその間、妻や子供達に多く支えられ、現在は元気を取り戻すことができました。

今は一度、暗い世界に落ちて本当に良かったと感じられるようになりました。

なにが良かったか…

ズバリ!体が不自由になったことで、本来の自分に戻れたことです!
私が小学校4年生の頃に課題となった作文
「貴方の将来の夢は何?」そのことを思い出しました。

多くの人は、
・野球選手…
・警察官…
・学校の先生…
・花屋さん…
・ケーキ屋さん…
などでしたが、私だけは、「暖かい家庭を作ること」でした。

子供の頃はそういった家庭ではなかったので、暖かい家庭にあこがれていて、自然と作文に書いたと思います。
しかし、実際は仕事が忙しく「暖かい家庭」とは掛け離れた生活をしていて、小学校のころ書いた作文のことなどはまったく忘れていました。
でも、目が不自由になったお陰で思い出し、現在、そのときに書いた夢を手に入れることができました。
今は、家族みんなで暖かく穏やかな日々を過ごしております。

思い起こせば、30才で急に目が見えなくなり、落ち込み、家の中で過す毎日。
妻や子供達に励まされ、少しずつ外へ出ることができるようになりましたが、初めは、何度も何度も失敗し、そのつど周囲の人達に迷惑ばかりをかけてしまい、繰り返すたびに心が折れそうになり家に閉じこもりそうにもなりました。

しかし、多くの皆様の暖かいご支援もあり、なんとか無事にその時期を乗り越えることができました。
とっても良い体験をさせていただきました。ありがとうございました。
それからは難病という病を受け入れ、自分の体と共存しながら過すことも悪くはないなと思えるように心が決まりました。そう決心しはじめると、ふしぎと多くの人と出会うようになり、何かの御縁で障がい者スポーツという存在を知ることができ、すぐにその魅力に引き込まれ、無我夢中で障がい者スポーツに取りくみました。

◆競技スポーツ
柔道では、
アジア選手権大会2回・世界選手権大会3回・パラリンピック1回に出場などと、階段を駆け上がらせていただいた時期もありました。
結果、金メダル1個・銀メダル1個・銅メダル2個。

陸上競技では、
全国大会に6年連続出場で6連覇。

自転車競技では、
タンデム自転車競技の全国大会に初出場し初優勝。

水泳競技では、
県の大会に初出場し、大会新記録。

など、多くの試合を通して、様々な場所に行かせていただき、いろいろな人達との交流やそれぞれの国の文化を学ばせていただきました。
そして、すべてが2006年、いろいろな意味でけじめがつき、競技スポーツの道を終えることができました。



◆思い込み
その競技スポーツを始める際、決めていたことがありました。

「できるのは3人の子供達が中学校に入学するまで」。
思い込みとは怖いものでした。段々とそのようになって行きました。

1つは、競技選手として体力が低下しはじめてきたと勝手に思い込んでしまった。

1つは、3人の子供達の高校の受験が順番にスタートするからもう無理と自分で思い込んでしまった。

1つは、経済的に大変になるために安定した収入を得なければならないため、競技スポーツはやめなければならないと思い込んでしまった。

以上の事柄で競技性のスポーツを終えました。

と言うよりも、今になって気付いたのですが、終わるように思い込んでいたのでそうなったと思います。



◆マッサージ師として学び、患者様から教えていただいたこと
その後は、マッサージ師として、数年、研修や見習い期間を経て地元で開業させていただきました。
はじめは患者様の体が良くなり、笑顔になり、また来院して来ていただけるので、私も嬉しくなり、もっと皆さんの元気が見たいと思い、日々教科書を何回も見直したり、実技を磨くために勉強したりと、とても充実した毎日でした。

多くの予約の電話もいただけるようにもなりました。
しかし、開業して7年が過ぎた頃から治療をしていても疑問を感じるようになりました。

「治る人・治らない人」の違いってなんだろう?
その疑問は、とても奥が深く考えれば考えるほど難しい問題でした。

・マッサージの主義の違いだろうか?
 (あん摩、マッサージ、指圧、整体、カイロ、リンパなどなど)
・強く揉むのか?弱く揉むのか?
・仰向け、うつ伏せ、横向きがいいのか?
・マッサージを始める順番は、肩からか、手からか、足からがいいのか?
・治療の主義は、手で揉むのがいいのか?機械をかけるのがいいのか?
・患者様と話をした方がいいのか?黙っていた方がいいのか?

考えた結果、一人一人にあった治療をするしかないと思いました。
人によりましては、

・治療の主義を変えたり
・部屋の温度や湿度を変えたり
・窓を開いて風を入れたり、窓を閉めたり
・部屋を明るくしたり、暗くしたり

ということもしてみました。

すると以前よりも治療の予約がいただけるようにはなりましたが、でもまだ、治る人・治らない人の差が大きく
「どうしたらいいのだろう?」と、考えながらの治療の日々が続きました。
これまでに数万回の患者様の体をお借りしてマッサージをさせていただきました。


2014年2月頃、
ある一人の患者様によって、私なりに解決ができました。
その患者さんとの出会いは、とても刺激的で記憶に深く残っていますので少し紹介させていただきます。

今から6年前のことです。はじめて体を触ったときに驚きました。
体全体に潤いがなく、皮膚は硬く鎧に覆われている状態で、指で体を押しても凹むという状態ではなく、
人間らしいというよりは人形のような感じでした。
このような患者さんは稀にいらっしゃるのですが、ここまで酷い人はいませんでした。
治療しながら、いろいろな改善方法のお話をさせてもらいました。
「運動・ストレッチ・食事・水分の取り方などなど」、その患者さん自らも健康になりたいという気持ちが強く、
かなり努力されていたようでした。
結果、3年から4年後ぐらいから見る見る体の変化が起こりはじめ、5年後…昔がウソみたいに体全体に潤いがでて、柔軟性もあり健康な体そのものとなりました。

肌を圧してもとても良い感じで私の指を圧し返してきます。
このときに自分も大きく進化しなければならないと、気付かせていただきました。

2014年2月、いつものようにマッサージをしていますと、この日の体の状態はいままでにも増して潤っていて柔軟性があってエネルギーに満ちていました。
マッサージをしていても私の方まで熱が伝わって来て手や頭から汗が出るほどでした。

少し患者様とお話をしました。
私達、人間は思い込みが自らの体をコントロールしているんですね。
例えば…
・イヤなことを考えればイヤなことが起こってしまう。
・疲れたと感じたら体が重くだるくなってしまう。
・愚痴を話すと性格が暗くなってしまう。
など、そんな話をしている最中、
まったく関係ないのですがフッと以下のことが私の頭の中に浮かんできました。

・年を重ねたら体が丸くなる。
・年を重ねたら体が硬くなる。
・年を重ねたら体力が著しく低下する。

など、年を重ねたら…年を重ねたら…
普通にそうなると思い込んでいたような?




待てよ!

今からこのような思い込みを無くしていったら人の未来の体はいったいどうなるんだろう?と一瞬にして私の心に光の矢が突き刺さりました。

まるで、曇っていた空が急に晴天となり、太陽の暖かい陽射しが私を包み込んでくれたようでした。

このときに頭の中でモヤモヤしていた「治る・治らないの違い」が解決できました。

最後は私達治療師が治すのではなくて、患者さんが自ら「治そう」という気持ちと、正しい食生活や適度の運動やリラックスできる環境が一番なんだなと思いました。

私達治療師がアドバイスをして、患者さん自ら「治そう」という気持ちに招いてあげることと、継続しての食事・運動・ストレッチを行ってもらうことでした。

しかし、それは簡単のようでとても難しい問題でもあります。

治療師は、「あれをやるといいですよ。あれを食べたらいいですよ。これをしてください」と体にいいことを言ってあげることは簡単ですが、患者様自身がきちんと実行しないと治る方にはいかないのです。
いままでの経験上、それはとても難しいことです。

多くの患者様は、「明日やろう?今度やろう?いつかやろう?そのうちに…」と、しないまま終わってしまうケースがほとんどです。
そもそも自分の体にはいいこととわかっていても実行しないのです。
(運動・ストレッチ・食事・水分補給・精神的な安らぎ)など。

上記のことを自らの考えで行ってくれたなら、どんどん体が元気になっていくことに気づきました。
そう思い考えてみたら本気になって健康を意識して生活している人はいるのでしょうか?
ほぼいないと思いました。
いままでに数万回と体に触れさせていただきましたが、しっかりと意識して実行している方は、上記にも書かせていただいた1人だけです。
中には意識して実行してくれる人が少々いるのですが、皆さん途中でやめてしまいます。継続しないのです。
あと少しなのに、あと少しで自分の体について気付くのに…
あと少しのところまで来ているのに…やめてしまうのです。
と、このような方は若干名おられるのですが、
ほとんどの方が、行えば良くなるのを判っていても実行をしないようです。
実行したら体が変化することを判っていても…しないのです。

私には、人の頭の中で考えていることは判りませんが、体の変化につきましては触れたらすぐに判ります。
実行していないことが判っていても黙っています。

しかしまた患者様は健康について聞いてきます。
「どのようにしたら体は良くなるでしょうか?」

私もまた、同じことを言います。
「運動・ストレッチ・食事・水分補給・精神的な安らぎ」などしていますか?
この繰り返しです。とても残念に思いますが仕方ないことです。


体が良くなるということとは、相手に治してもらうのではなく、自分で治すことだと実感しました。

普段からの運動・ストレッチ・良い食事を継続し続けることが一番です。
皆様、後少しなのです、後・後・もう少しが…やはり途中でやめてしまうんです。
ほんと継続するのは難しいことですが、大変でも継続し続けた先には幸福があります。

治療師として言わせてください。
その境を乗り越えたとき、自ら体の変化を感じていただけるはずです。
そのときにきっと、私が伝えたいことが判っていただけると思います。


人はおよそ60兆個の細胞の集合体といわれています。
しかも生きている間、細胞は日々新しく生まれ代わるといったサイクルを繰り返しています。
新しく生まれて来てくれる細胞に常に良い情報・良い食事・良い環境を与えたらどうなるでしょう!
そのことをずっと繰り返したら体はどうなるでしょうか!
60兆個の細胞があるのですから、すごいことが起こるはずです。

他にも、
目は、景色や色などを、
耳は、音を聞き分け、
鼻は、臭いを嗅ぎ分け、
口は、言語を話、
手は、ものを掴み、
足は、様々なところへの移動手段で、
筋肉は、収縮や弛緩することにより体を動かし、
靭帯は、関節を安全に保ち、
脳は、すべてのことを一瞬にして判断し、
心臓は止まることもなく一生動いて気血を体全体に送り…
など、ほんと人間ってふしぎです。

1つの体は宝の山だと思います。

その宝の山でもある体を皆様は
愛しく思っていますでしょうか?
大事にしていますでしょうか?
感謝していますでしょうか?

そんな限界のない未来に満ちている宝の体。
日々、良い情報を与えて、良い食生活をし、良い環境を作ったら
人の体はいったいどのような変化をするのでしょうか?とても興味が湧きました。
自分の肉体を使って実験したくなりました
その実験先の結果を知るステージには、下記を目標にしたいと考えました。



◆東京パラリンピックを目指す決意
2013年9月8日。
2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの
開催国を決める投票並びに発表がございました。
皆様の記憶に新しいことと存じ上げますが、
開催国の発表……

「TOKYO」

あの瞬間を皆様も覚えておられるのではないでしょうか!
私はびっくりしました。おぉ~すごい!五輪が我が日本の東京に来るんだ!
などと当時は、第三者的視点で見ていました。
開会式を競技場で見たいなぁ~。
どの競技を見ようかな?
知り合いが出るのかな?
と、しばらくはそんな気持ちでした。
しかし、人との出会いにより段々と気持ちが変化しはじめ、
まさかまさか…自分が目指すことになるなんて!思ってもいませんでした。
2020年の東京パラリンピック出場を目指します!

でも、今回は昔の考えとは違った意味で望んでみます。
前は、競技性が強く、ただ勝敗だけに重点を置き取り組んできました。
強くなりたいという気持ちで一身に上を目指し、勝って喜び、負けては落ち込みまし
た。
今回は違います。
9年前に体力の限界と思い込んでみたり、
子供達の学費のことを考えてみたりして競技スポーツの世界から退きました。

あれから9年、3人の子供達が自分の足で自分の道に進む一歩を踏み出しました。
後数年で子供達が自立し、親の元を巣立って行くと思います。
その後は私と妻の2人で
平凡なのんびりした日々を過すといった生活プランを立てていましたが、でもでも…

・年を重ねたら体が丸くなる。
・年を重ねたら体が硬くなる。
・年を重ねたら体力が著しく低下する。
などそのような思い込みを無くしたら人の体はどうなるのだろう?
という疑問をなくすために、
自らの体を使って試験してみたいと思います。

従いまして今後は大会に出場する体力や体を作り、多くの大会に出場し、勝敗を競うことはもちろんですが、
それだけが目的ではなく、自分の体を使い年を重ねたときでも自分の体について考え方を変えてみたら、今後の体はどう変化していくのかを実験してみたいと思います。


このように思えるようになりましたのも、上記の患者様との出会いや五輪が自国開催に決定したことが大きいです。
このようなビックなチャンスは私の人生で1度しかないはずです。
これも意味のあるタイミングですし、何かの導きと感じました。


年を重ねたときの思い込みですが、平均寿命につきましては、毎年メディアで発表されるものを皆様は基準として思い込んではいませんでしょうか?
スポーツでは、
この競技はこれぐらいの年齢で引退と皆様は思い込んではいませんでしょうか?
・年を重ねたら体が丸くなる。
・年を重ねたら体が硬くなる。
・年を重ねたら体力が著しく低下する。
そんな思い込みはやめて、このように思い込んだらどうでしょうか?

・年を重ねても体は硬くならないし丸くもならない!
・年を重ねても思うほど体力は衰えない!
・年を重ねても楽しく体を動かすことができる!
・年を重ねても好きな趣味を楽しむために元気でいられる!
・年を重ねても充実した日々が過せる!
などと自分で自分の思い込みを換えてみませんか!


そこで私、
2020年の自国開催の東京オリンピック・パラリンピックの決定で、進化するきっかけとチャレンジするチャンスをいただきました。
ありがとうございます。



私には子供が3人います。
長男は専門学校2年生。長女は専門学校1年生。次男は高校2年生。
といった今、もっとも経済的にも大変な時期です。
本来の目標に進む時期は、子供達が落ちつく5年後からと思っていたのですが、2020年東京パラリンピックが決定してしまいました。
私の人生で目指せるというビックチャンスはきっと1度だけしかないでしょう。
それを考えたら、今すぐに動き始めるしかないと思いました。
家族に相談したところ、気持ちよく了承してくれましたので、人生を後悔しないため挑戦をしてみます。
考えるならすぐ行動。
それがいままでに学んできたことでした。
ただ今、仕事を半分削り、作れた時間でトレーニングを開始しています。


過去はいい思い出ですし、未来はまだどうなるか判りません。
今、進化してチャレンジをしなければ一生後悔してしまうと思いました。
今が充実していますと一日一日がとても楽しく思えるし、生きているなぁ~と実感します。

この時代、この場所に自分が生まれて来た意味を知りたいし、「人生はとても良かった!」と思える確認もしてみたいです。

年を重ねたらできない…
年齢的にも2020年は54才なので体力的にも無理。
と言った、思い込みをなくしてみたいと思います。


今、東京パラリンピックを目指せる環境に置かれている感じがしますし、
今、東京パラリンピックを目指せる肉体がある感じがしますし、
今、東京パラリンピックを目指せるタイミングと感じていますし、
最も重要ですが、
今、東京パラリンピックを目指せる精神力があります。

従いまして、2020年の東京パラリンピックを目指し、54才でも出場できる肉体となるか自らの体を使って挑戦してみます。
「年を重ねたらいろいろなことが無理」、そんなことはない。
きっと、思い込みを無くしたら肉体は変化するはずです。
そう信じます。


目指す競技は、子供もしている陸上競技とします。
同じ陸上なら家族で話もできますから。
私は、陸上競技の投擲(砲丸投げ・槍投げ・円盤投げ)の3種目にチェレンジすることにしました。
砲丸投げにつきましては、9年前に少ししていました。
槍投げや円盤投げにつきましては…、まったく投げたことがありません。
と言うより人生で1度も槍や円盤には触ったこともありません。
それでもいいんです。

「思い込み」を無くしたら体がどうなるかのチャレンジですから。

どうなるか?
楽しみにしていてください♪♪


もうすぐ49才、多くの選手の皆様が引退したか、これから引退していく年齢なのに、その逆を行ってみます。
何度もすみませんが、2020年には、54才です。
なんかウキウキ・ワクワクです♪♪




◆一生涯かけての目標
2020年の東京パラリンピックは私の最終目的の通過点です。
私の一生涯かけての目標は、
障がい者の私が、健常者の陸上マスターズに自分の名前と記録をを残すことです。
きっと、50代や60代のクラスでは記録を見させてもらいましたが厳しいかと思いました。
しかし、70代・80代・90代…と続けていたら
どこかの年齢のクラスで自分の名前が残せるかもしれないと感じています。
こつこつとした継続がいつか実ると信じています。



「鷹は、ごく一部だが70年も生きることがある。
 40年を過ぎた頃、くちばしが劣化して獲物の補食が難しくなり、
 羽も重く、爪も機能を失い始める。
 その時にそのまま死を選ぶか、進化するか選択をせまられるという。
 進化するには、まず険しい山間に巣を作り、
 くちばしを自ら砕き、苦しさやひもじさに耐え、成長を待つ。
 再生したら、そのくちばしで古い羽をついばんでいく。
 欠けて鋭さを失った爪も抜く。
 新しいくちばし、羽、鋭く生えかわった爪を光らせて再び飛び立ち、
 行き続けるという。」


野生の生き物の生きていくうえでの姿勢の凄さに感動させられました。
生き残るための手段、理屈ではなくて自然の本能はとても素晴らしいし、
自分がこれからどの道に進んでいかなければならないかを教えていただきました。
見えない何かの力に優しく背中を押して貰えた感じです。


人に例えても同じだと思いました。
・年を重ねたら体が丸くなる。
・年を重ねたら体が硬くなる。
・年を重ねたら体力が著しく低下する。
など、年を重ねたら…年を重ねたら…
いままでの常識を思い込んでいましたら、
きっと将来はそうなってしまうことでしょう。


鷹「くちばしが劣化して獲物の補食が難しくなり、
  羽も重く、爪も機能を失い始める。
  その時にそのまま死を選ぶか、進化するか選択をせまられる。」


ここで諦めるのではなく、
人も鷹のように、
辛いときこそ、そこから進化することが大事なんだということを教えていただきました。

何をするにも、やり直すにも、すべてにおいて、誰でも進化するということには遅いということはまったくないはずです。

年齢は関係なく、みんな変われるはずです。
「自分は変わりたい」と思った瞬間が、進化しようとする始まりなのではないでしょうか!




鷹「進化するには、まず険しい山間に巣を作り、
  くちばしを自ら砕き、苦しさやひもじさに耐え、成長を待つ。
  再生したら、そのくちばしで古い羽をついばんでいく。
  欠けて鋭さを失った爪も抜く。
  新しいくちばし、羽、鋭く生えかわった爪を光らせて再び飛び立ち、行き続ける」


なにか、
「いつかマスターズ陸上に記録を残す」といった目標が達成できそうです。
それと、
年を重ねたときでも元気で楽しく充実した生活が過せそうです。


辛いときこそ、自ら険しい道を選び、自分を追い込んで、いまのステージとは違う、新たなステージに行ってみたいと思いました。
心の底から、「生きる楽しさ」という泉を掘り当てた感じがします。


私の思い
今がいいと感じることができたら、過去のイヤだった思い出が、良かったと記憶を塗り替えられますし、
これから来る未来の素晴らしさが想像できるはずです。

「今がいいと過去がいい、きっと未来もいい。」

いろいろな人がいる分、その人の数だけ考えがあって、みんな違った生き方があってもいいですよね!!

やっぱり
「進化したいという気持ちの今」が重要で、
「進化したいと思った今」が変わるチャンスで、
「進化したことを実感した今」が人の幸せなのでは!!
そのような「進化できる今」に気付き、
すぐ行動するということを大事にしていきたいと思います。


これを見てくださった皆様
東京オリンピックの後、
2020年8月25日~9月6日まで開催される最大のスポーツ競技「東京パラリンピック」のスタジアムでお会いしましょう。


長文もお読みいただき、ありがとうございました。

失礼します。