『裸体と恥じらいの文化史』(H・P・デュル)から[1]
(※画像も同じ)


○裸体と恥じらい


(1)恥じらう中世人

【物語における騎士の恥じらい】
 A.『パルツィヴァル』(W.v.エッシェンバッハ)では、主人公パルツィヴァルが「満足げに風呂桶の中に腰を降ろしていると、突然不意をついて、派手な身なりをしていた乙女たちが現れる」場面がある
 ☆ここでの“乙女”とは「決して処女でなければならない、ということはない」という
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 お湯は薔薇の花びらで覆われ、若い娘たちが何かを見ることはなかったが、パルツィヴァルにとっては気まずいことに、乙女たちは立ち去ろうとしない。それどころか彼女たちは湯上がりタオルまで差し出した
 彼女たちはどうやら、パルツィヴァルの身体の「下の辺り」の様子に興味があったらしい。彼はタオルを見ようともしなかったので、結局乙女たちは出て行かざるを得なかった、というもの
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 B.英雄ヴォルフディートリヒの場合には「向こう見ずな女主人が、彼の着替えを手伝おうとする」という場面がある。彼はその行為を、次のように拒絶した
“気高いご婦人よ、ご立派な方がここでそれがしを裸にしようとは、全く無作法なこと。貴女様の名誉にとって全く相応しくございません”

【お風呂と裸と習慣】
 C.『ヴォルフディートリヒ』のある版の挿絵に表されているように、中世では「少なくない騎士が、美女のいる浴槽に入る時に恥ずかしさから、ズボン下を脱がずにいた」という
 ☆これは、現実の浴場の規定=「湯槽に浸かってから初めて男性客はズボン下を、女性客はシャツを脱いでよい」にも現れている(※女性の部分にも注意!)

女性の前でズボン下を脱がずに入浴する騎士
 女性の前でズボン下を脱がずに入浴する騎士

 D.風呂桶はしばしば、藁・亜麻布・ビロード・絹地で覆われていた(木の場合もある)。これは「入浴中の人々を隙間風から守る,湯を冷めにくくする,礼儀作法に適う」のに役立った
〈例〉フランドルのマルガレーテは2つの浴槽を隠すための64エレ(30mちょっと)の亜麻布と、天蓋用にメヘレン製の赤い布を買った

14世紀末の風呂桶
 14世紀末の風呂桶

【愛の印しの習慣】
 E.女性が男性に対して花(花の冠,1本の花など色々だが)を差し出すのは、中世では(花から想像されるように)あからさまな求愛を意味していた
〈例〉パリの公娼は「5月に愛と豊饒が再び巡ってきた」印として、フランス国王に花束を手渡した(~16世紀)
 F.男女一緒にお風呂に入っている場面を描いた絵は、ごく日常的な入浴シーンを具体的に描いたのではなく、愛のアレゴリー(抽象の具体化)だった。風呂の湯に浮かぶ薔薇の花びらも、女性への奉仕に意味を持っているという

【男女は別々に】
 G.普通は「ご婦人が騎士の背中を洗い流す」ということは、当時ほとんど起こらなかった(あくまでも物語の中でしかない出来事ということ)。なぜなら女性の世界は、男性の世界から隔てられていたから(その例外:馬上槍試合,祝祭の饗宴)
〈例〉アルドレの領主たちの家庭では「少年と娘たちは7歳にして席を同じくしなかった」。娘たちは「見張り付きの自分の寝室を持ち、婚礼まで夜はそこに閉じ込められていた」という
 ☆逆に女性同士では、教会内や巡礼中に「はばかることなく男と私事について語っていた」ようだ。説教師ジャック・ド・ヴィトリはそのことに腹を立てている
 H.作法の教則本には「常に若い娘やご婦人方は、おおっぴらに誰かと話をしたり、誰かを見てはならない。ましてや騎士の顔を正視するなどとんでもない」と書かれている。男性の側でも、ヴィッテンベルクの学生たちが「普通の娘の心を傷つけないよう、面前ではドイツ語で口にするのを憚る事柄をラテン語で話した」という(16世紀前半)
 I.上記G.の例外は「公衆浴場の湯女」である(それでも彼女たちが客の背中をマッサージするのは、全く問題が無かったわけではないようだ)。そして、女性が「完全に素っ裸の」男性を見てしまったら、さらに恥ずかしいことだったようだ
〈例〉『裸の使者』という物語にて:
 ある騎士の下僕がよそのお宅にて、浴用はたきだけを持って浴室に入った時、誰もいないと思っていたそこには服を着た女たちが働いていた。彼女たちは裸の男に驚き、彼の恥部を見ないように両手で顔を覆った。下僕はびっくり仰天して逃げ出したが、家の主人が武装した部下を引き連れ「罰として去勢せん」と追いかけてきた
 ☆多くの男は他の男性の前でも恥じたらしい。素っ裸でも陰部だけは手で隠したという

【女性の高い羞恥心レベル】
 J.しかし「男が裸の女性を見る」のは、もっと大きな恥だった。他人(ましてや男性)の前で裸になるのは、娼婦しか考えられなかったのだった
〈例〉とある草原で覆い(上記D.)をした風呂桶を、若い貴族が見つけた話:
 男は風呂桶が女性のために用意されたのだろう、と推測した。彼は期待半分の一方で、もし女性がいて彼女の裸を見てしまえば「彼女は生きたもないだろう」「自分にとっても大きな不名誉になる」と考えた
 実際、風呂桶の中には半ば期待した乙女がおり、彼女は若い貴族を怒鳴りつけた。そして宥める男に「自分の浴用肌着・ガウン・靴を持ってきて、自分が風呂から出られるよう、この場から離れて下さい」と頼んだ
 ☆彼女は貴族がそばにいる時に、ビロードの幕の陰で浴用肌着を着て、桶から出てガウンをまとったと考えられる。つまり彼女は、たとえ浴用肌着をまとっていても、彼に見られるのを嫌がった
 K.「裸を恥じらう乙女」というのは、この話だけではない。当時の人々の道徳観の中でも極端なものでは「入浴中の乙女が『自分の裸姿を見ること』すら許さない」という意見もあった(12・13世紀)

【絵と現実との間に】
 L.中世末期の美術には〈他の人が居るその横で、裸の若者が彼の風呂桶に入ろうとする裸の娘にガツガツと手を伸ばしている様子が描かれている〉ので、当時は「男女間のエロチックな関係が、衆人の前で相当あけすけに行われていた」と解釈されるようになってしまったものがある
 M.同じく〈踊っている人々のすぐ隣に、排便をしている男が描かれている〉ので、中世では「排便も衆人環視の中でなされていた」と信じられているものもある

戸外での農民の踊り(右真ん中に注目)
 戸外での農民の踊り(右真ん中に注目)

 N.しかしこれらの事例は、制作した芸術家が「現実には隣り合わせで起こるはずのないシーンを、隣り合わせに配置した」だけだと考えるべき、という。中世では1つの作品の同じ空間に描かれていても、それは「意味を共有している空間」であって、現実的・幾何学的空間ではない
〈例〉農村の様子を描いた作品で、様々な作業をしている人々が1つの空間のアチコチに描かれているのは、それらが全て同時に行われていたのではなく「収穫,脱穀,家禽の世話」というように並列で書いたことを、単にそのまま並列で絵にしただけであった