『中世の死』N・オーラーから[14]


(4)地獄

 A.1修道士の幻視にも登場するが、中世の神学者の見解によると「a.重い罪を犯して償いを済まさないうちに死んだ者が地獄に堕ちる」のだった
 B.聖書では、地獄の決定的要素は「熱,炎」だった。そして「魂が熱の作用で苦痛を与えられるor浄化される」→「b.煉獄は地獄の前庭のようなものと想像される」となる
〈例〉1修道士の幻視では「炎の竪穴の底が本来の地獄」「竪穴の地表に近い部分が、天国に行く予定の魂が罪を償う場所=煉獄」と考えられている
 C.人々は「c.地獄の主は地の奥底深くに君臨している」と信じていた→「d.地獄は地表から遠ざかるほど暗くなる」となる。しかし熱が増せば明るくなるのでは?
 ☆キリスト教では「光は神の属性→天国に行く者に与えられる」ので、地獄に堕ちた者は「炎から出るほのかな光による慰めすら与えられない」という

【フライジングのオットーの見解】
 D.歴史神学者&司教だったオットー・フォン・フライジング(1158年没)によると、地獄の炎については「神は炎を創られたのだから、その特性をコントロールすることもできる」(例:ネブカドネツァルの炉の中で若者たちは無傷だったのに、彼らを縛っていた縄は燃え落ちた-ダニエル書-)」とする。そして「e.地獄に堕ちた者の肉体は本物の火で、魂は良心の痛みで苦しめられる」という
 E.地獄では熱・寒さに苦しめられるという想像は、広く人々に共有されていた。このことについてオットーは、旧約聖書からイメージを引用し「f.熱・寒さ・悪臭の3つの苦痛が加えられる」と考えた。ほかに6つの苦痛を加えて9つとする者もいる、という(天上の9つの階層と数を対応させていた)
 F.オットーは「旧約聖書の言葉を新約聖書の解釈に援用する」というやり方(中世の聖書釈義家の方法論)をそのまま用いている。さらに「天国と地獄は対応関係にある」→「両者は鏡像のように、細部まで一致しなければならない」という『型』を示したものである

【地獄・煉獄のイメージの発展】
 G.煉獄の魂は(最悪の場合のみ)最後の審判の日まで苦しまねばならない。しかし地獄に堕ちた者には、俗世で犯した罪の報いとしての苦痛に終わりがない。この点について長らく神学者たちは「これが“愛に満ち溢れた羊飼いの姿”と両立しうるのか?」と問い続けていた
 H.この問題についてオットーは「神に見捨てられた者たちの罰は永遠である」と考えた(『ヨハネの黙示録』では“この火の池は第二の死である”としている)
 ⇒こうした考えを引用したダンテは、地獄の入り口には“我を過ぎれば憂いの都あり…汝等ここに入る者は一切の望みを棄てよ”と記した(『地獄篇』)
 I.洗礼を受けずに死んでしまった(=原罪の汚れを背負っている)子供たちは、地獄の奥底に突き落とされるのか?これには様々な解釈があった:「a.子供たちは旧約聖書の祖父(族長)たちのように、ただ暗闇に留め置かれるだけ」「b.軽いがきちんとした罰を課される」
 J.オットーは「c.(最後の審判の後で)魂が浄化される場所が、小さな子供たちと小悪人に割り当てられる」と考えた(=地獄の分割。この発想はダンテが発展させることになる)。もう1つ「d.神は未洗礼の子供・小悪人の魂を、地獄の炎の中でも傷つかないように守ってくれる(orさほど傷つかないようにする)」という考えもある。オットーの時代にはこの疑問について、まだ権威ある答えは出されていない

【中世盛期以降のイメージ】
 K.中世初期の造形芸術では、慰めに満ちたテーマ(例:良き羊飼い)が主流だった。やがて、恐怖心をかき立てる審判・地獄の描写がどんどん増え始める(11・12世紀)。神学者たちの論議がある程度収束した後での教会サイドの宣言(☆)は、この流れをいっそう強めた
 ☆第13回リヨン公会議〔1245年〕では『大罪を犯し悔いることなく死んだ者は、疑いの余地なく、永遠に地獄の炎で苦しめられる』とした
 L.中世の芸術家たちは(煉獄の描写には抑制が必要だが)地獄の描写となると、誰はばかることなく想像の翼を自由に広げた。彼らは「地獄で責め苦を受ける人々に情け容赦なく、思うがままに苦痛を与えた」のだ(例:ロマネスク・ゴシック教会のタンパンのレリーフ,後のヒエロニムス・ボスの絵画)
 M.地獄に堕ちた者を描く筆には、醜悪さに対する(あからさまな)嗜好が込められていた:
1.「悪or悪人は『獅子・蛇・多頭有翼竜』など、現実と空想が入り混じった危険な動物の姿で描かれた」
2.「オットーの引用する“滅亡したバビロンの幻視”によると、そこは野犬・フクロウ・駝鳥・牡山羊・ハイエナ・ジャッカルらが群れている」
3.「オットーは野生動物・毛むくじゃらの動物・竜・セイレーン・フクロウ・羽を持つ小動物を『不純な霊の汚らわしい群れ』と解釈した」
4.「地獄図には、人間の顔をした生き物の他に『醜くねじ曲がった姿』も描かれた。それらの身体のプロポーション(特に悪人の顔のバランス)は、古代からの理想美とは全く相容れない」
5.「悪魔は人間と似た姿で描かれるが、これは悪魔が『聖書に出てくるサタン』と同一視されていたから。一方では悪は神の対極の存在なので、人々が反感を覚えるような姿で悪魔を描く必要があった」
6.「怪物レビヤタンについてのヨブ記の記述は、芸術家たちにインスピレーションを与えた:『歯は恐ろしく、口は火花を発して炎を吐き、鼻の穴からは煙が出てきて、息は火を起こす』など」
7.「地獄の主ルシフェルの住まいは、天上のイェルサレムと対をなして、城のように描かれる:『館は悪魔たちが守り、あるいは閂・錠で固められている』『そこは幾つかの空間に仕切られ、その1つ1つで責め苦が行われる』など」

【ダンテのイメージ】
 N.何層にも分かれた地獄の壮大なヴィジョンの中で、極悪非道な輩はひどい苦しみを受けるようになっている(各層ごとに以下のように割り当てられた):
「第1層:キリスト教布教以前の古代の賢人(例:ソクラテス)と、洗礼を受けずに死んだ子供」「第2層:官能に溺れた者(例:クレオパトラ,トリスタン)」「第3層:美食家が氷の雨に打たれている」「第4層:吝嗇家たち(ここには聖職者も多くいる)」「第5層:怒りに身を任せた者」「第6層:異端者(フリードリヒ2世もここにいる)」「第7層:暴力を振るった者,殺人者(例:フン族のアッティラ王),自殺者」「第8層:詐欺師,女衒,おべっか使い,高利貸し,誘惑者」「第9層:裏切り者が氷の海に首まで浸かって凍えている」。最後の3層は地獄の中心である
 O.これらの地獄の描写(幻視報告・芸術・文学)は相互に影響しあっていたらしく、ダンテの表現(以下の例)が「それを絵でいきいきと表現しよう」という意欲をかき立てた
〈例〉“角を生やした悪魔が地獄に堕ちた人々の背を鞭打っている”“沸き立つタールの中で喘ぐ詐欺師を、悪魔が熊手で何度も沈めている”“地獄の主は(三位一体の神と対称な存在なので)3つの顔を持っている”
 P.ダンテは性別・身分を問わず、あらゆる人間に地獄で報いを受けさせている(修道士・司教・教皇・王・皇帝などなど)。同様に図像でも「修道士も修道女も,皇帝冠・司教冠・教皇冠を被った人々も」地獄だけでなく天国にも描かれている
 ☆これらの背景にあったのは「死神&世界の審判者の前では、誰もが平等である」という、人々の確信である
 Q.中世法・聖書では反映刑(=人間は犯した罪と同様の罰を受ける)がお馴染みであるが、これは繰り返し描かれている
〈例〉吝嗇家の口には灼熱する黄金が流し込まれる,美食家はむかつくような獣を食い尽くさねばならない,肉欲に溺れた者たちは罰として「1匹の蛇がその尾を男根に絡ませ、頭を女性の陰部に突っ込んでいる」


(5)死者の復活

 A.キリスト教の核である「イエスの復活,死者はいつの日にか新たな生を得て甦る」という確信は、歴史的に疑念に晒されてきた(例:第16回トレド公会議〔693年〕では論争があったようだ)

【肉体の“再生”】
 B.人々が抱く復活のイメージについて。「イエスが復活後弟子たちに、自分に触るように促した」ことから、キリスト教徒は真の肉体を持って復活することを信じていた
 ☆全ての人間の肉体は、生きていた頃と同じ形態で戻ってくる(溺死でも、焼死でも、獣に喰われようとも、切り刻まれて地に撒き散らされようとも)と、オットー・フォン・フライジングは確信していた

【復活した時の姿は?】
 C.「神が土から創ったのは男性だけであって、女性は男性から創られた」とされていたので、多くの者は「女性は(女性としてではなく)男性として復活する」と考えていた
 D.この点についてオットーは、アウグスティヌスに依拠して「男女両方が復活する」と考えていた。ポイントは「復活によって身体は『過ち』から解き放たれるが『自然の性質』は保たれる」というロジックにある。『過ち』とは欠点と言い換えることができ、その基準は「天国にいる理想的な容姿を持つ者」にある
 ☆古代ギリシア・ローマ世界の人々が追求した「理想的な身体の美」のこと
 E.このロジックによれば、神が女性を創ったのは「男女両性の調和を保つため」である(男の欲望をかき立てるためではない:創造直後と復活後には欲望は存在しないから)だから、女性は『自然の性質』である。ゆえに男女ともに復活する、という結論になる
 F.容姿の『過ち』とされたのは「巨人・小人→大きすぎず小さすぎずの姿となる」「エチオピア人(黒人)→“醜い黒い肌”でなくなる」というもの。上記☆にしたがって創造主が調節する、という。また「奇形の人,早産で亡くなった子供」は、それが“理性を与えられた、死するべき生き物”である限りは復活する
 G.地獄に堕ちた者は論ずる必要はない。また「猿」「悪魔が人間を愚弄するために作り出した生き物(※=怪物)」は復活しない

【図像での表現】
 H.画家・彫刻家は「聖書の比喩,教会の教え」に通じていた。その上「復活に関するオットーの記述,理想美に関するアウグスティヌスの言葉」は、芸術家にとってのいわば手引書であった。聖俗の芸術作品の注文主は、こうした知識・イメージをベースに、芸術家と作品制作について議論したようだ
 I.細部にあからさまな執着を示しながら、復活の場面は芸術家によって繰り返し描写された。それというのも「この場面(&天国図)でしか人間の裸体を描けなかったから」だという
 J.多くの芸術家は、復活の「段階」を様々な人物像で描き出した。だし下の例のように「死者にゆっくりと服を着せる」のは珍しかったらしい
〈例〉フライブルク大聖堂正面入口の上にあるタンパンは、死者を「徐々に見繕いさせた」。つまり「最初は恐ろしい骸骨姿→骨に腱が付く→肉と皮で覆われる→男女ともに(芸術家が望む)美しい身体を得る」のだ
 K.ルネッサンス期になると、人体は解剖学的な細部に至るまで注意深く造形されるようになった(例:オルヴィエト大聖堂にあるルカ・シニョレリによる復活図)


(6)最後の審判

 A.コンスタンティノープルの公会議(381年)に参集した教父たちは、キリストが「いつの日にか栄光に包まれて再来し、生者・死者を裁く」ことを信じる、とハッキリ告白した
 B.この審判は「時間のある世界(=歴史)と永遠をつなぐ蝶番」となり、歴史を完結させる→「その時にはまだ人間は生きている」ことになる。イエスの弟子たちはこの審判を受ける(=世界の終末の到来)ことを予想していたが、それを目撃しないまま皆永眠してしまった
 C.それ以降ずっとキリスト教徒は、最後の審判についての思索を積み重ねてきた(「それはいつのことか?」「生者・復活者はどこに集められるのか?」)。イエス自身が「それは神しか知らない」と言っているにもかかわらず、人々はイエスの生前からずっと考え続けてきた
 ⇒後には「黙示録の一語一句に何かが隠されているかも知れない」と信じられた。サタンは1000年間は鎖に繋がれているはずだが、しかし1000年になっても何も起こらなかった
 D.イエスは「戦争・内乱・飢饉・地震は終末の兆しだが、それらは全て陣痛の始まりに過ぎない」と答えた。その他の終末の兆しとしては「弟子たちの追放,戒律違反の蔓延,聖地での残虐行為,筆舌に尽くしがたい悲惨」も含まれる
 ⇒上記の苦しみは多かれ少なかれ、どの世代の人間も味わったにもかかわらず、世界は存続した。それでも数多くの災禍・災害を審判の前触れと受け取った人々は「世界の終末は近づいている。聖なる審判者の寛容さはあまりにも試され過ぎた」と、繰り返し叫んだ

【その時は来て欲しい?】
 E.イエスの信奉者たちは、神の国が近いと確信していたようだ(例:『主の祈り』の中で“御国の来たらんことを”と確信して唱えられている。黙示録は“主イエスよ、来たり給え”という願いで終わる)。一方では、教会は現世において堅固に存続し続けた
 F.何だかんだ言って、中世の人々は現世に執着していたし、さらに厳しい審判を恐れてもいた。それゆえ人間は、イエスの再来を早めようとは試みないどころが、できるだけ審判の時を先延ばしにしようとしてきた
〈例〉“最後の帝国”と考えられていた神聖ローマ帝国を維持しようとした。イエスの教えに従って生きてきた(これによって審判者の到来を先延ばしできる、と信じていた)。修道士は「祈祷・兄弟愛・禁欲生活によって神の怒りを宥められる」と信じていた

【時が来ると…】
 G.「イエスがどこに再来するのか」について思いを巡らせてきた人々は“その日その時、万国の民を集め…ヨシヤパテの谷にくだり”(ヨエル書)という言葉に飛びついた。そこでキリスト教徒(中世初期)は、聖地に巡礼してイェルサレム近郊にあるこの谷に埋葬されることで、イエスの到来を待とうとした
 H.最後の審判の様子は何度も描かれた。「a.天使が神の左右&教会の塔の傍らに立って、四方にトランペットを吹き鳴らしている」「b.飢える者・渇く者・見知らぬ者・裸の者・病の者・囚われの者、に対する振る舞いが、至福or劫罰を決めた」
 I.さらに『ヨハネの黙示録』によると「c.天使・長老・4つの生物に囲まれて、神が玉座に座る」「d.天使がトランペットを吹き、イナゴ・炎・煙・硫黄などの災いが人々を襲う」「e.激しい戦いの末に、ミカエルとその配下の天使たちが、ドラゴンを天から突き落とす」「f.ありとあらゆる悪の化身たる“獣”は、永遠に炎・硫黄・煙で苦しめられる」「g.審判者の玉座の前に万人がたち“生命の書”が開かれる。ここに記載の無い者は、炎の海に投げ込まれる」という
 J.『ヨハネの黙示録』を描いた図像は、明らかに最後の審判の場面に結びついている。しかしそれ以外の場面・イメージも、芸術家にインスピレーションを与えた
〈例1〉「ドラゴンと天使の戦い」は(通常)人類創造以前の時代の出来事とされる
〈例2〉“4つの生物”
1.「鷲(マタイ)・雄牛(ルカ)・獅子(マルコ)・人間(ヨハネ)からなり、福音書記者のシンボルと解釈された」
2.「これらは『楕円形の聖域(マンドラ=大輪光)』の中で、玉座に着く審判者を囲んで描かれることが多い」
3.「審判者はたいてい、右手を祝福のために上げ、左手には書物を持つ。ここには人間の行状が記されていて、これを基に各人が裁かれる」
〈例3〉審判の場面
 計量作業として描かれることが多い。「a.天使(ミカエルと思われる)が天秤を持つ」「b.片方の皿には魂が小さな人間の姿で座り、もう片方の皿にはその行状が載せられる」「c.中には、天使が皿に本を1冊載せているものもある(この本は死者の最大の業績であった→文字文化を賞賛している)」「d.天使のすぐ傍で、悪魔が堂々としていることも珍しくない」「e.悪魔は片方の皿をわざと押し下げて、魂が『軽いと見なされ』て自分たちの手に渡るようにしている」「f.このような悪魔のインチキを防ぐために、天使は怠りなく警戒しなければならない」


(7)天国

 A.地獄と天国は隣り合っている(教会入口のタンパンでも、教会堂内に描かれた絵でも)。しかし芸術家にとって、文学・芸術であの世を描写する際、天国図よりも地獄図の方が描きやすかったようだ-天国にはドラマチックな事件は何もない・何も起こらないから-
 B.天国についての様々な表現・イメージ:「a.欠乏・苦難・悪・飢え・渇き・灼熱・涙・死・悲しみ・嘆き、が一切存在しない」「b.その代わりに喜びがある」「c.永遠の祖国」「d.天使と一緒にキリストと在る生活」「e.天国での喜びの1つに、人々は不快な記憶に悩まされずに済む」「f.皆は労働時間がまちまちにもかかわらず、同じ報酬を得られる。ただしどのような貢献を為したかにより、異なり住処が与えられる」「g.神を見ることができる」
 C.天国の描写は地獄の描写とは完全に対称形となっている。しかしその唯一の例外が肉欲だった(地獄では性器までも含めてあらゆる感覚器で苦しみを感じるが、天国には愛の喜びはないから)-そもそも肉欲は原罪だ!-
 D.ダンテによれば「キリストの冥府行きによって救い出された未受洗者(例:アダムなど旧約聖書の長老たち)がいる」。また「ヘロデ王によって殺された罪無き子供たち(幼子殉教者の日:12月28日)は“血の洗礼”を受けた」とされた。他には殉教者・証聖者・その他の聖人たちはもちろん、煉獄での浄化が済んだ者たちも天国について
 E.未洗礼のまま死んだ子供たちについて。教皇インノケンティウス3世は「神は人間の破滅を望まず慈悲深いので、そうした子供たちを救済する手段にも配慮して下さっているはず」と確信していた