『中世の人間』J・ル・ゴフ編から[30]


(7)子供と母親を襲う死

 A.中世の母子関係は点線のようなものであり、母親が生んだ子供のうち同じ屋根の下で暮らせる者は少ない。洗礼後にすぐ子供を他家の乳母に預ける母親は「もしその子が生きていても」1年半~2年後でなければ呼び戻さない。その間にこの子の兄・姉は、周期的に襲いかかる疫病・ペストによって死んでいく
 ⇒10~15人という1家族の子供の数は、計算によって求められるものでしかない。中世後期の家庭は(当時の人口調査では)せいぜい2人ちょっとしか子供がいない
 B.記録によると商家では「a.フィレンツェの子供数の1/4以上が乳母のところへ送られる」「b.裕福な家庭に生まれた子供でも45%が20歳までに死ぬ」という
 C.さらに出産した母胎にも死が襲う。「c.妊娠中よりも分娩後の方が危険:どんなに富裕な家族であっても、出産時と産後が一番危険な時期である」「d.長生きしても、子宮病を長く患う女性もいる」「e.全体で見て、しっかりした家庭でも母親の7・8人に1人は出産の犠牲になって消える」「f.新生児を道連れにして死亡することも極めて多い」

【親の愛情】
 D.子供の2人に1人しか成人まで育てられないのだから、何度も子供を亡くした親たちの「キリスト教的な諦め」がどうしても強調される(←それは後世から見れば子供に対する愛情が無いようにも見える)。実際、生まれてすぐの乳児を遠い乳母の家へ送るので親の愛情は育ちにくく、子供の死亡を知らされても親心を引き裂くことにはならなかった
 E.しかし、毎日の子供の成長を見るようになり、そうした子供が亡くなった時の嘆きを見ると、親心はきちんと育っていることが分かる
〈例1〉“この子は天国へ飛び去ったに違いない”“この清らかな小鳩が、我々のために慈悲深い神と優しい聖母マリアに祈ってくれるように”(3歳の子を失った父親の嘆き:1503年)
〈例2〉“神が私の子を死なせることで、私と子供を引き離すとは予想もできないことだった。全く余りにも非道い痛手だ”(10歳の息子を亡くした父親:1406年)
〈例3〉“1390年8月11日、彼、ルカのことは神に任そう。神の祝福と私の祝福で神に迎えられますように”(乳母の所で亡くなったという通知に対する、慣例的な追悼の書き込み)
〈例4〉“今月、乳母が…あの子の死亡を知らせてきた。恐らくあの乳母が窒息死させたのだろう。あの子はサン・ジャコポ墓地へ埋葬された。我が家の故人と同様に神の祝福あれ”


(8)新生児の捨て子現象

 A.人口の大半では母親が新生児に授乳しているが、それでも多くの母親が貧困・病気のせいで遅かれ早かれ子供を捨てる選択をした。しかし「中世後期以前の捨て子の比率を調査すること」「捨て子と嬰児殺しの区別を付けること」は、史料上難しい
〈例〉カロリング期の各地に点在する大領地では、明らかな男女別人数のアンバランスが見られる。これについて「余計な女児を選んで殺す」差別行為があったかどうかについて、議論が繰り返された
 B.都市には嬰児殺し対策を任務の1つとする救済院が登場した(13世紀~)。キリスト教の教義において「洗礼を受けられずに亡くなった子供は永遠に天国へ行けない」とされたので、嬰児殺しはより重大な罪とされた。そこでこの施設は、貧しい人々・巡礼者とともに「産褥の女性,孤児,捨て子」を受け入れることになった
 C.中世都市において「新生児の捨て子はかなり広がっていた」と考えられる。原因は「女中(自由身分or奴隷身分)の懐妊,慢性的貧困と食糧危機」が主である。悲惨な人々は「都市の救済院に嫡子を預け、その後に返してもらう(その間は救済院で死から守ってもらう)」という希望を持つしかない場合もある
 D.ところが初期の特殊な救済院(例:フィレンツェのイノチェンティ救済院)では死亡率が恐ろしく高い。結局子供を捨てる→「子供を早く死なせてしまう」ことになる(=嬰児殺しの先延ばし)
 ⇒親にとってみれば「地上での赤ん坊の救いを、神と他人の慈悲に委ねる」ことによって、少しでも子供を長生きさせ、さらに「永遠の生を保証してもらう」望みしかなかった
 E.捨て子の中で女児は男児より多く、差別は間違いなく存在する。しかしそこに潜んだ動機を掴むのは困難である
[※「一族の世継ぎを残したい」という考えは貧困層には無関係、ということか?]

【教会による子育て意識の強化】
 F.教会は「授乳期間中の禁欲を信者に勧告する」ことで、乳児に対する親たちの責任感に働きかけた。こうした節制への呼びかけもあり、親たちは子供の将来に注意を向けるようになる
 ⇒聖職者は避妊を阻止する一方で、節度ある生活の実践を通じて親たちに出産間隔を伸ばすよう働きかけることで、子供の将来にプラスの影響を与えた!
 G.もう1つ、司祭や(告解を受ける)聴罪司祭は「両親or乳母の寝床で圧死させられる乳児『虐待』を非難」した。そこに「両親の過失による犯罪or計画的犯罪」の容疑があるとして、両親に自覚を促した。それまで両親・乳母はこのような不祥事を大目に見ていたのだが、教会からの働きかけによって初めて、このことに関する赤ん坊の生存に配慮するようになった


(9)夫婦関係

 A.多くの性的な掟・禁制によって、夫婦は何よりもまず節制を学んだ(中世末)。医学の権威者たち(古代~)も同じように、健全な子孫を増やそうと望む者たちに同じことを勧告している
 B.それらは性的な放縦について言っているのではなく、夫婦関係全般に対して適切さを求めていた。あるフィレンツェ人にの表現では“あなたの妻を適切に扱いなさい、そして限度を越えるようなことは慎みなさい”ということ(息子たちへの忠告であった)。自分で「不快・恥辱・メランコリー・悲哀…」の中で暮らすようなことにならないよう、という配慮であった
 C.妻の上手な扱い方について:
「妻の要求を絶えず警戒する」「家系存続に必要な妻の体は、あまりにも不安定な自然本能に支配されている」「この体は女性固有の不完全な理性に動かされるので、夫である主人は勝手な快感にふけることなく、欲情を慎重に・規則的に満足させなければならない」「でなければ夫の権威そのものが失われるだろう…」

【夫の権威と妻の地位】
 D.夫婦関係への男性サイドのビジョンを左右するのが「権威」である。そこには「女性より完全で強い性質としての男性(神のイメージに最も近いもの)は、女性を支配しなければならない」という主題があり、これが家庭生活全般に投影され「夫に対する妻の隷属,家事の分担」を正当化した(これは極めて多くの思想の根拠となっていた:中世後期)
 E.家庭とは「保護されると同時に閉ざされた空間」である。何らかの儀式を必ず伴って花嫁として迎えられた女性は、外界から隔離される。「女性の脆さ・弱さには保護と監視が必要」とされていたからだ。さらに妻が外界への行き来する際の経路・場所も常に限定されていた
〈例〉教会,共同洗濯場,共同パン焼き窯,水くみ場,その他(社会階級によって違うが)はっきり定められた場所
 F.それらの場所は夫たちの好奇心・心配をかき立てるが、そこで流される噂は夫の監視から逃れていたようだ
〈例〉『糸巻き棒の福音書』『結婚15の喜び』という作品では、集まったおばさんたちの恐るべき知恵が凝縮されているという。これらの作品では「産婦を囲んで,一緒に巡礼に出かけて,至る所で」亭主の破滅を企てる妻たちのおしゃべりを前にした、亭主らの怖じ気・非難が呼び起こされる
 G.そんなわけで、一般的な夫の理想は以下の通り(中世の家政書による)。「a.家の中に妻を閉じ込め独占すること」にある。妻の役割は夫が稼ぐならば「b.夫が稼ぎ貯える産物を必要に応じて保存・加工する」ことにある。つまり「c.食料の日常的な管理,食料消費の監視とプランニング,調理のための準備」である。そのために「d.思慮深く・優しく・節度ある=良妻」が求められる。上記の役割を完璧に果たす妻は「e.うまく機能する社会の重要で欠かせない要素であり、夫の産物を適切に消費していく」という
 ⇒消費活動に無駄遣いがあれば、共同体全体と社会の交換活動に悪影響を与えるとされた(例:奢侈禁止令は社会秩序の傾向を監視し、そこから女性が逸脱するのを攻撃した)。虚栄・大食・贅沢は主婦たるもの、それを抑制しなければならない
 H.さらに妻は家庭の秩序・平和に関する女主人である。「f.夫が疲れて帰宅する時には、急速・熱い風呂・ご馳走・整えられたベッドを用意しておく」「g.召使いに指図し(必要ならば)罰を与え、一家のために働かせる」「h.子供にとっては初等教育よりも、敬虔・従順を学ばせることが大事である」という

【女性に対する非難】
 I.しかし女性は、男性から「a.きわめて不実・軽薄・欺瞞的である」「b.ひどい汚名・恥・罪・浪費に陥りやすい」「c.激しい憎悪は女性が原因であり、熱い友情も女性によって失われる」と執拗に非難されるが、これは男性の「いつも女性に騙される」という気持ちから生じている
 J.さらに「d.女性のお喋りは家庭の静けさを破り、一家の秘密を外部へ漏らす」「e.女性の喧嘩好きは狂気じみた自己中な浪費癖に助長され、男性の理性を心配へと散らしてしまう」と、女性は男性から苦情を受けている。これは中世後期の男性が熱望した「家庭の安定」と、自らの権威という幻想によって生まれる深い挫折感から生じている
 K.女性の反抗は社会から非難されただけでなく、社会から懲罰も受けた。「再婚する未亡,(一般的に)人何度も結婚する個人」に対する、若者たちの「不相応だ、無節操だ」という憤激が、象徴的に与えられる罰へとつながった
[※これが「シャリヴァリ」と呼ばれる]
〈例〉“ロバ乗せ”の慣行:
もし妻が「夫を尻に敷いて、ガミガミ言ったりこき使ったり」すれば、その夫が後ろ向きにロバに乗せられ、ロバの尻尾を掴みながら村を一周させられる
 L.夫婦関係のひどい倒錯は罰せられた(ヨーロッパ全体で)。それは「妻の反抗は秩序を危うくする」として、このように共同体から嘲笑を受けて償わされたのだった。個人生活の領域に対する外部からの干渉は当たり前であり、個人同士で争いを解決できるようなプライベートな領域は存在しなかった

【親子の対立の場合には】
 M.それに反して、子供の反抗・偽善に対しては共同体からの介入はなかった。息子が父の権威・立場を危うくするのは悲劇の原因となり、当然そのような悶着には相続問題も含まれる。そうした場合には友人・親戚が忠告するだけである(他人が口出しする権利はない)
 N.夫婦間の問題(→妻がいかに夫を欺くか)を扱うファブリオーは、甘酸っぱいか朗らかなコントとなっているのに対して、世代間の問題を扱うファブリオーには非常に暗い調子がある
〈例〉作者は登場人物に「子供を信用してはいけない、子供は薄情だから」or「息子は父が一家とその財産の管理者である限り父に服従するが、父が財産の権利を息子に譲ると、息子は父を監視し憎み“もう邪魔されないように早く死んで欲しい”と願って止まない」と繰り返し言わせている


(10)女性の仕事と活動

 A.中世社会のあらゆる階級の女性が、上記(9)のように家庭に縛り付けられたり夫に服従していた、のではない:「農家の女性は厳しい畑仕事に従事した」「職人の妻は夫の死後も家業を受け継ぐ」「領主・ブルジョワ階級の家庭でも、娘・妻はただ遊んでいたのではない」
 B.教育者たち(※中世後期の都市市民出身か?)は、針仕事・糸紡ぎの役割について説く:
1.「女性の体を仕事に縛り付け、その思考力を鈍らせる」→「これによって女性が名誉(自分も家も)を傷付ける恐れのある危険な夢想に耽るのを阻止できる」
2.「幼い時から遊ぶ暇もなく『糸を紡ぐ,機を織る,縫い物をする,刺繍をする』ように教え、さらに家柄が良ければ『遊ぶ・笑う・踊る暇』は少なくなる」→「貴族の娘は、祭服・祭壇飾りの刺繍作業で手を休めたり気まぐれを起こしたりしない」
3.「しかし彼女たちは忙しいこの仕事の報酬として『煉獄にいる期間を短縮してもらえる』くらいでしかない」
4.「中世の女性観に基づいた配慮として『不安定で脆い女性の性質を、絶えず休みなく仕事に縛り付けておくことで、不活性にする(≒安定させる)』効果がある」
5.「こうした手作業を正当化するためのロジックとして、貧困に落ちた時のために技芸を学んでおく、としている」

【現実としての女性労働の必要性】
 C.織物作業にはもちろん経済的な機能もある。「家庭内での消費に充てられる」「貧しい家庭の多くは、女性(妻&娘)の手仕事による製作物・糸紡ぎの報酬で家計を助ける」というもの
 D.多くの女性は家庭の外で(~14世紀の経済危機)自立的に活動していた。「貧しい家庭の娘は、持参金・嫁入り支度の金を稼ぐために奉公に出ていた(時には子供の頃から、しばしば思春期になって)」

【女性と社会的な枠】
 E.未亡人もそうである。特に中世社会では、富裕層であっても「亡夫の遺産相続人から権利を認めてもらえない場合」には、急激に落ちぶれて貧困になる
〈例〉クリスティーヌ・ド・ピザンは3人の子供を抱えて25歳で未亡人になった。ペンで生きた最初の女性として、有名なバラードで“友もなく、独りぼっちの暮らし”と彼女は嘆いた
 F.そんな彼女たちを見捨てるのは夫の親類縁者だけではない。彼女たちは「家なき女」であり(※この場合の「家」とは家族共同体のこと)、社会から女性に対して定めた「自然な環境」の埒外に置かれた→彼女たちの評判は一気に悪くなる
 G.「孤立した未亡人」「糸紡ぎをしながら生計を立てる貧しい女」「下女」は、宗教共同体からのけ者にされ、品行を疑われ(売春婦として非難を受けやすい)、まさに「社会的周縁人」であった
 ☆ロベール・ダルブリッセルが設立(11世紀末)したフォントヴロー修道院は、男女の聖職者が別に住み、その管理は1女性に委ねられた。そこに頼っていった女性たちは根無し草そのものである
 ☆鞭打ち苦行者の行列(14世紀)に自ら加わっていった女性たちも、社会的周縁人のカテゴリーに加えられた
 H.女性に関する道徳(悪徳と美徳・務め・態度)が論じられたのは「夫を中心とする家庭」という枠と関連してのことである。中世末において女性が一定の自律性を獲得したのは、結婚を通じて繋がる縁者集団の中においてである。女性は「家族再生に隷属しなければならない歯車」にとどまった