『異人歓待の歴史』(H・C・パイヤー)から〔7〕
○中世盛期の宿泊業に関する法制
(1)過渡期(11~13世紀)の特徴
[※以下は「商業の保護・促進を目的とした変化」と考えるべきか?]
A.異人歓待が至るところで急速に変化し発達したこの時期においても「宿主と客人との間の個人的な信義の関係」は引き続き見られた。これは特に「宿主が仲介者・仲買人としての機能を果たしている」点に現れている
B.国家が宿主の庇護権を制約して「宿主を客人の世話,客人の保護のための公の受託者とする」規定が増えたのもこの時期だった。これは都市はもちろんのこと「農村の市場定住地,幹線交通路沿いの定住地・家屋,それら定住地の居酒屋」についても当てはまった
C.シャンパーニュの大市都市(11~12世紀)が「城砦定住地や修道院定住地に隣接する市場の周囲にあった、市場訪問者のための仮小屋の寄せ集め」から出来上がったのと同じ様に、当時の都市の多くが発達した。取引は市場広場内に限らず、その周囲の小屋・家屋でも広く行われ、そこに異邦人の市場訪問者が泊まっていた。これらの小屋・家屋には商品が貯蔵され、そこでは「契約の相談が行われる,市場開催期間以外にも契約が締結される」などした
D.これらの定住地住民はことごとく市場法の対象とされた
(2)イタリア・ルッカの商人宿主
A.ルッカはトスカーナを経てローマへ至る幹線道路沿いの巡礼・商業都市だった。ここでは旅人(ことに商人)は“客人厚遇の契約”を宿主との間で結ばなければならなかった(おそらく11世紀~)し、客人を泊めるのを常とした家屋も存在した(1111年)
B.都市法(1300年頃)が伝える契約の形式は「並外れて明確で、適用対象は商人(巡礼者は対象外)であった」ので、商人間の異人歓待の雛型と考えられる
【その中身】
C.契約は宿主の家屋へ立ち入り「馬を入れる,商品を保管する」だけで結ばれた。ただし正式には「宿主と客人が接吻をして客人が自分の手を宿主の手に重ねる」(授手托身行為…古来客人厚遇が始まる場合になされていた)によっても結ばれた
D.この契約は個人間のものであり、宿主が転居してもそれまでに結ばれた客人契約は継続された。さらに契約の世襲が原則だった(ただし当事者の相続人は契約の継続を放棄できたが)
E.契約が宿主に義務づけたのは「客人に慣例通りの異人歓待を振る舞い、必要ならば食事も出すこと」「客人の取引に立ち会い、特に仲介者として客人に助言・助力を惜しまないこと」だったが、客人をぞんざいに取り扱えば契約は解消されてしまった。客人はこの反対給付として一種の手数料を「客人が滞在期間中に行う購入・販売・交換のたびに」支払わなければならなかった
F.客人を追い求める,様々な約束をして客人をそれまでの宿主から引き抜いたりすることは禁じられた
G.この契約の締結には免除対象(ルッカとピサの支配領域にある、臣民と食料品の販売者)があった
【後の14世紀の都市法に見られる変化】
H.契約と合わせて「仲介者手数料,宿主と客人との間の個人関係の相続」が見られなくなる。代わりに、外に吊した看板で宿屋であることを明らかにした“町の公の宿主”がはっきりと現れる
I.個人的性格の強かった私人の宿主は、国家によって規制される宿屋の亭主に取って代わられ、かなり公の性格を持った
(3)イタリアの他都市では
A.同様の事情と変化は、上部・中部の商業交通上重要な都市(ピサ,フィレンツェ,ピアツェンツァ,ヴェローナ,パヴィア,ミラノ)で見られたが、ヴォルテッラ(フィレンツェ南西)のような小都市でも起こっている
B.宿主と客人の個人的契約は続いていた(~13世紀後半)が、これ以降(特に14世紀に入ってから)に規定が急増した。「客人の取引の仲介行為,取引全般への関与を旅籠亭主に対して禁止した」「厳格な規制・管理下に置いて、宿屋は個々に看板を外に吊すよう命じられた」
【都市相互間の客人契約】
C.多くの都市が、他都市へ出掛けた自都市の旅人を泊める宿主との間に「継続的な契約関係を持ち、彼ら宿主を自都市の市民にとって“公の宿の宿主,代理人,庇護者”とすることもあった
D.パヴィア市民とヴェルチェリ(ピエモンテ地方北部)との間の貸付契約(1165年)は以下のようになっていた
「1.ヴェルチェリの都市とその領域から出掛けた者は全て、パヴィアの3軒のホスピテス(宿主)に投宿しなければならない」
「2.ホスピテスは『貸付金の利子を付ける,貸付金を分割払いにする』ことの世話をしなければならない」
「3.代償にホスピテスは、客人から徴収した手数料(宿泊,暖房,明かり,葡萄酒,塩のために支払わねばならない)の半分を使う(?)」
「4.食事は客人任せとされた」
E.こうした契約関係による投宿先を「フィレンツェはアレッツォ(フィレンツェ東南)に」「ファエンツァ(エミーリア地方東部)はフィレンツェに」「モデナ(エミーリア地方中部)とルッカはヴェネツィアに」「ヴェルチェリはミラノに(これは相互)」持っていた。そして委託対象として選ばれたのが、例外なく都市の名望市民だった
F.こうした契約による投宿先は、客人にとってかなり自由な宿屋に取って代わられる(13・14世紀の変わり目)。しかしこれまでの契約による宿主は引き続いて、外国の都市にとっての“庇護者,代理人”として活動し続けた
(4)南フランス・スペインの宿主
A.イタリアの事情はこの地域でも見られた(12・13世紀、所によってはそれ以降も)
「1.宿主は客人に対して『宿泊,商品倉庫,暖と明かり,(時折)酒類・塩・香料』を提供しなければならない
「2.宿主は客人の売買に手助けをしなければならない。客人に地元の商慣行について情報を提供し、客人を自都市の商人と接触させ『客人に委託された者』として振る舞うことがよくあった。加えて客人が義務を果たしたり公課を給付することについても配慮した」
「3.しかし食事を出す必要はない」
B.異邦人の商人だけでなく、巡礼者や旅人であっても「スペインの巡礼街道で高価な品物,衣服,運送用の動物を購入・販売する」ならば、地元の仲介者が必要だった(12世紀中葉~)。普通は宿主がそれを務めたが、宿主がいなければ別の証人を用意しなければならなかった
【宿主の権限】
C.宿主や旅籠亭主は決済された取引について、一種の手数料を徴収した。その料金は商品の種類に応じて、固定or売上の一定割合だった
D.この手数料に加えてorその代わりとして、宿主・亭主は「自分の家で仲介される販売の決済の際に介入して、販売された商品の決済価格の一部(最大でその半額)を、自分のために請求する権限」を持っていることがよくあった
E.個々の都市では、上記の報酬は「国王や都市の商品関税と結びついていた」ので、宿主は徴収義務を負い、その内の1/3を自分のものにできた。どちらの権限も、早い地域では11世紀以降にはよく知られていた。また特にスペインでは、これらは「取引の仲介,(おそらくは)宿泊の提供」に対する報酬だった
F.クエンカの都市法(12世紀末)では、宿主が支払いを受けた上で客人に食事を提供した場合には、宿主はこれらの報酬を放棄しなければならないことが時にはあった。中世を通じ、ヨーロッパの多くの地域では「宿屋での宿泊料金は飲食物の料金の中に含まれていた」。この規則やクエンカの都市法の規定の背景には「宿泊は無償であるべき,食事その他の特別な給付にしか支払う必要はない」という古い考え方が後にまで影響を及ぼしていた
(5)宿主の介入・仲介権について
A.「自分の家屋で決済される販売に宿主が介入する権限」は、南フランスでは広く見られた。北フランス・パリ・ノルマンディー諸港・イングランドでもある時には僅かに、ある時にはもっと明確に現れている
B.この権限は、都市領主・都市住民が持つ「市場で決済される販売,特に外部の購買者に対する決済に介入できる」特権に対応しており、宿主の家屋は「家主の支配・庇護下にある一種の市場」として理解されていた
C.この特権は仏・伊では、最初は幹線商業路沿いの大都市で、後には人里離れた市場で次第に消滅する(13世紀中葉~)。その理由は「手工業ギルドによる分業のために、旅籠の機能が規制or限定されたこと」、「都市当局が宿主を今まで以上に管理下に置いたこと」だった
(6)イタリアの商事会社の社員
A.イタリアの大商事会社の社員・従業員・(特に多くの)使者がフィレンツェ・アヴィニョン・リヨン・パリなどの間をひっきりなしに旅した(14世紀)道中で、投宿した先の宿主たちがいた
B.この宿主はまだ純粋の旅籠亭主ではない。同時に商事会社の一種の代理人であり、商事会社の人間に「運送手段の世話,信用の世話,地元の当局や商人との交渉全般に渡って援助」をする役目があった
C.フィレンツェのピエーロ・ディ・ギエーリ会社の場合には、隊商宿のような家屋だったものを「教皇庁の使者と情報のための中枢」へと発展させた(14世紀)。従業員は「ピサ,ジェノヴァ,ボローニャ,ファエンツァ,ニッツァ・モンフェラート(ピエモンテ地方南東部),ニーム(フランス南部),ペルピニャン,リヨン,バーゼル」などで繰り返し同じ人の家屋に投宿した
D.こうした投宿先の人はイタリア出身で、商事会社の本拠地と同じ都市である場合がよくあった
(7)巡礼者や商人の庇護
A.旅が頻繁なものとなり、さらに異人歓待が職業化されるにつれて、古い客人厚遇が持っていた「宿主と客人間の庇護関係」は、君主や都市による規制によって置き換えられていく
B.「宿主による虐待と詐欺から巡礼者を庇護する規定」は北スペイン(12世紀後半~)・南フランス(11世紀)・スウェーデン(13世紀)に登場する
C.旅籠亭主には「巡礼者への販売で不正な度量衡を用いてはならない」「自家用のパン焼き竈を所有してはならない」などの規制もかけられた
(8)宿屋に預けられる貨物
A.“宿の亭主”という職業が成立してくるにつれ、特に「亭主の家に預けられる貨物の安全,その処分権」が重要となっていく
B.エステリャ(ナバラ地方中央部)の都市法(1164年):
「1.宿泊中に紛失した荷物を客人(巡礼者や商人)が『宿主やその家族が盗んだ』と非難するならば、裁判によって決着が図られる。宿主が負ければ『客人に盗んだ荷物の3倍の弁償+国王に高額の罰金を支払う』が、客人も負ければ罰金を支払わされた」
「2.客人が宿主から盗んだ場合には全く逆にして適用された」
「3.後には『客人は投宿先を離れる直前でも、苦情を申し立てて宣誓する必要があり、それに応じて宿主は即座に弁償しなければならない』『投宿先を離れた後には宿主は責任は無い』とされた」
C.オヴィエト(アストリア地方)の都市法(1274年)では、宿主は「戸に付ける鍵にはしっかりしたものを用意する」「出発前に『無くなっている物はないか』を客人に尋ねる」ように定められていた
D.イタリアの幾つかの都市(14世紀初頭)では「宿主は預けられた品物を丁寧に保管して、無傷のまま返還する義務がある」という規定が見られる。こうした内容が、現実の諸事情の変化に伴ってきちんと文書に盛り込まれるようになっていった
○中世盛期の宿泊業に関する法制
(1)過渡期(11~13世紀)の特徴
[※以下は「商業の保護・促進を目的とした変化」と考えるべきか?]
A.異人歓待が至るところで急速に変化し発達したこの時期においても「宿主と客人との間の個人的な信義の関係」は引き続き見られた。これは特に「宿主が仲介者・仲買人としての機能を果たしている」点に現れている
B.国家が宿主の庇護権を制約して「宿主を客人の世話,客人の保護のための公の受託者とする」規定が増えたのもこの時期だった。これは都市はもちろんのこと「農村の市場定住地,幹線交通路沿いの定住地・家屋,それら定住地の居酒屋」についても当てはまった
C.シャンパーニュの大市都市(11~12世紀)が「城砦定住地や修道院定住地に隣接する市場の周囲にあった、市場訪問者のための仮小屋の寄せ集め」から出来上がったのと同じ様に、当時の都市の多くが発達した。取引は市場広場内に限らず、その周囲の小屋・家屋でも広く行われ、そこに異邦人の市場訪問者が泊まっていた。これらの小屋・家屋には商品が貯蔵され、そこでは「契約の相談が行われる,市場開催期間以外にも契約が締結される」などした
D.これらの定住地住民はことごとく市場法の対象とされた
(2)イタリア・ルッカの商人宿主
A.ルッカはトスカーナを経てローマへ至る幹線道路沿いの巡礼・商業都市だった。ここでは旅人(ことに商人)は“客人厚遇の契約”を宿主との間で結ばなければならなかった(おそらく11世紀~)し、客人を泊めるのを常とした家屋も存在した(1111年)
B.都市法(1300年頃)が伝える契約の形式は「並外れて明確で、適用対象は商人(巡礼者は対象外)であった」ので、商人間の異人歓待の雛型と考えられる
【その中身】
C.契約は宿主の家屋へ立ち入り「馬を入れる,商品を保管する」だけで結ばれた。ただし正式には「宿主と客人が接吻をして客人が自分の手を宿主の手に重ねる」(授手托身行為…古来客人厚遇が始まる場合になされていた)によっても結ばれた
D.この契約は個人間のものであり、宿主が転居してもそれまでに結ばれた客人契約は継続された。さらに契約の世襲が原則だった(ただし当事者の相続人は契約の継続を放棄できたが)
E.契約が宿主に義務づけたのは「客人に慣例通りの異人歓待を振る舞い、必要ならば食事も出すこと」「客人の取引に立ち会い、特に仲介者として客人に助言・助力を惜しまないこと」だったが、客人をぞんざいに取り扱えば契約は解消されてしまった。客人はこの反対給付として一種の手数料を「客人が滞在期間中に行う購入・販売・交換のたびに」支払わなければならなかった
F.客人を追い求める,様々な約束をして客人をそれまでの宿主から引き抜いたりすることは禁じられた
G.この契約の締結には免除対象(ルッカとピサの支配領域にある、臣民と食料品の販売者)があった
【後の14世紀の都市法に見られる変化】
H.契約と合わせて「仲介者手数料,宿主と客人との間の個人関係の相続」が見られなくなる。代わりに、外に吊した看板で宿屋であることを明らかにした“町の公の宿主”がはっきりと現れる
I.個人的性格の強かった私人の宿主は、国家によって規制される宿屋の亭主に取って代わられ、かなり公の性格を持った
(3)イタリアの他都市では
A.同様の事情と変化は、上部・中部の商業交通上重要な都市(ピサ,フィレンツェ,ピアツェンツァ,ヴェローナ,パヴィア,ミラノ)で見られたが、ヴォルテッラ(フィレンツェ南西)のような小都市でも起こっている
B.宿主と客人の個人的契約は続いていた(~13世紀後半)が、これ以降(特に14世紀に入ってから)に規定が急増した。「客人の取引の仲介行為,取引全般への関与を旅籠亭主に対して禁止した」「厳格な規制・管理下に置いて、宿屋は個々に看板を外に吊すよう命じられた」
【都市相互間の客人契約】
C.多くの都市が、他都市へ出掛けた自都市の旅人を泊める宿主との間に「継続的な契約関係を持ち、彼ら宿主を自都市の市民にとって“公の宿の宿主,代理人,庇護者”とすることもあった
D.パヴィア市民とヴェルチェリ(ピエモンテ地方北部)との間の貸付契約(1165年)は以下のようになっていた
「1.ヴェルチェリの都市とその領域から出掛けた者は全て、パヴィアの3軒のホスピテス(宿主)に投宿しなければならない」
「2.ホスピテスは『貸付金の利子を付ける,貸付金を分割払いにする』ことの世話をしなければならない」
「3.代償にホスピテスは、客人から徴収した手数料(宿泊,暖房,明かり,葡萄酒,塩のために支払わねばならない)の半分を使う(?)」
「4.食事は客人任せとされた」
E.こうした契約関係による投宿先を「フィレンツェはアレッツォ(フィレンツェ東南)に」「ファエンツァ(エミーリア地方東部)はフィレンツェに」「モデナ(エミーリア地方中部)とルッカはヴェネツィアに」「ヴェルチェリはミラノに(これは相互)」持っていた。そして委託対象として選ばれたのが、例外なく都市の名望市民だった
F.こうした契約による投宿先は、客人にとってかなり自由な宿屋に取って代わられる(13・14世紀の変わり目)。しかしこれまでの契約による宿主は引き続いて、外国の都市にとっての“庇護者,代理人”として活動し続けた
(4)南フランス・スペインの宿主
A.イタリアの事情はこの地域でも見られた(12・13世紀、所によってはそれ以降も)
「1.宿主は客人に対して『宿泊,商品倉庫,暖と明かり,(時折)酒類・塩・香料』を提供しなければならない
「2.宿主は客人の売買に手助けをしなければならない。客人に地元の商慣行について情報を提供し、客人を自都市の商人と接触させ『客人に委託された者』として振る舞うことがよくあった。加えて客人が義務を果たしたり公課を給付することについても配慮した」
「3.しかし食事を出す必要はない」
B.異邦人の商人だけでなく、巡礼者や旅人であっても「スペインの巡礼街道で高価な品物,衣服,運送用の動物を購入・販売する」ならば、地元の仲介者が必要だった(12世紀中葉~)。普通は宿主がそれを務めたが、宿主がいなければ別の証人を用意しなければならなかった
【宿主の権限】
C.宿主や旅籠亭主は決済された取引について、一種の手数料を徴収した。その料金は商品の種類に応じて、固定or売上の一定割合だった
D.この手数料に加えてorその代わりとして、宿主・亭主は「自分の家で仲介される販売の決済の際に介入して、販売された商品の決済価格の一部(最大でその半額)を、自分のために請求する権限」を持っていることがよくあった
E.個々の都市では、上記の報酬は「国王や都市の商品関税と結びついていた」ので、宿主は徴収義務を負い、その内の1/3を自分のものにできた。どちらの権限も、早い地域では11世紀以降にはよく知られていた。また特にスペインでは、これらは「取引の仲介,(おそらくは)宿泊の提供」に対する報酬だった
F.クエンカの都市法(12世紀末)では、宿主が支払いを受けた上で客人に食事を提供した場合には、宿主はこれらの報酬を放棄しなければならないことが時にはあった。中世を通じ、ヨーロッパの多くの地域では「宿屋での宿泊料金は飲食物の料金の中に含まれていた」。この規則やクエンカの都市法の規定の背景には「宿泊は無償であるべき,食事その他の特別な給付にしか支払う必要はない」という古い考え方が後にまで影響を及ぼしていた
(5)宿主の介入・仲介権について
A.「自分の家屋で決済される販売に宿主が介入する権限」は、南フランスでは広く見られた。北フランス・パリ・ノルマンディー諸港・イングランドでもある時には僅かに、ある時にはもっと明確に現れている
B.この権限は、都市領主・都市住民が持つ「市場で決済される販売,特に外部の購買者に対する決済に介入できる」特権に対応しており、宿主の家屋は「家主の支配・庇護下にある一種の市場」として理解されていた
C.この特権は仏・伊では、最初は幹線商業路沿いの大都市で、後には人里離れた市場で次第に消滅する(13世紀中葉~)。その理由は「手工業ギルドによる分業のために、旅籠の機能が規制or限定されたこと」、「都市当局が宿主を今まで以上に管理下に置いたこと」だった
(6)イタリアの商事会社の社員
A.イタリアの大商事会社の社員・従業員・(特に多くの)使者がフィレンツェ・アヴィニョン・リヨン・パリなどの間をひっきりなしに旅した(14世紀)道中で、投宿した先の宿主たちがいた
B.この宿主はまだ純粋の旅籠亭主ではない。同時に商事会社の一種の代理人であり、商事会社の人間に「運送手段の世話,信用の世話,地元の当局や商人との交渉全般に渡って援助」をする役目があった
C.フィレンツェのピエーロ・ディ・ギエーリ会社の場合には、隊商宿のような家屋だったものを「教皇庁の使者と情報のための中枢」へと発展させた(14世紀)。従業員は「ピサ,ジェノヴァ,ボローニャ,ファエンツァ,ニッツァ・モンフェラート(ピエモンテ地方南東部),ニーム(フランス南部),ペルピニャン,リヨン,バーゼル」などで繰り返し同じ人の家屋に投宿した
D.こうした投宿先の人はイタリア出身で、商事会社の本拠地と同じ都市である場合がよくあった
(7)巡礼者や商人の庇護
A.旅が頻繁なものとなり、さらに異人歓待が職業化されるにつれて、古い客人厚遇が持っていた「宿主と客人間の庇護関係」は、君主や都市による規制によって置き換えられていく
B.「宿主による虐待と詐欺から巡礼者を庇護する規定」は北スペイン(12世紀後半~)・南フランス(11世紀)・スウェーデン(13世紀)に登場する
C.旅籠亭主には「巡礼者への販売で不正な度量衡を用いてはならない」「自家用のパン焼き竈を所有してはならない」などの規制もかけられた
(8)宿屋に預けられる貨物
A.“宿の亭主”という職業が成立してくるにつれ、特に「亭主の家に預けられる貨物の安全,その処分権」が重要となっていく
B.エステリャ(ナバラ地方中央部)の都市法(1164年):
「1.宿泊中に紛失した荷物を客人(巡礼者や商人)が『宿主やその家族が盗んだ』と非難するならば、裁判によって決着が図られる。宿主が負ければ『客人に盗んだ荷物の3倍の弁償+国王に高額の罰金を支払う』が、客人も負ければ罰金を支払わされた」
「2.客人が宿主から盗んだ場合には全く逆にして適用された」
「3.後には『客人は投宿先を離れる直前でも、苦情を申し立てて宣誓する必要があり、それに応じて宿主は即座に弁償しなければならない』『投宿先を離れた後には宿主は責任は無い』とされた」
C.オヴィエト(アストリア地方)の都市法(1274年)では、宿主は「戸に付ける鍵にはしっかりしたものを用意する」「出発前に『無くなっている物はないか』を客人に尋ねる」ように定められていた
D.イタリアの幾つかの都市(14世紀初頭)では「宿主は預けられた品物を丁寧に保管して、無傷のまま返還する義務がある」という規定が見られる。こうした内容が、現実の諸事情の変化に伴ってきちんと文書に盛り込まれるようになっていった