『食の歴史Ⅱ』第33章から
○補助食品
〔コンパナギウム:調味料と副次的な食品を合わせてパンに添えるものを意味する、中世~近世の概念〕
(1)スープと生鮮野菜
A.スープはコンパナギウムの中でも、最も大切なものだった。「パサパサに乾ききった大きな田舎パンを呑み込むのを助けてくれ」「家で食べる食事の全てにおいて、基本的かつ(たいていの場合)唯一の料理」だった。農民は、妻or家にいる娘が運んでくる熱いスープを、畑で食べることもあった
B.「パン」という言葉はあらゆる食品を指したが、同様に「スープ」という言葉は"カス=クルード"(パン・チーズ・ハムなどの軽食)以外の全ての食事に対応した。『スープを食べに来て下さい』と言えば、(全ての社会階級で)自分の食卓に人を招くことを意味した
C.スープのブイヨンには「様々な根菜、葉野菜、(可能な範囲内で)肉-普通は塩漬けの豚肉-で香味を付ける」か、あるいは「油、バター、植物油で調味した」。また豆類を、粥と同じようにスープにも使った
[調理例:「キャベツたっぷり、カブ、根菜、その他野菜」を、バターor豚脂の欠片を入れた湯の中で火を通して作った](1778年頃、クリの多いヴィヴァレの山岳地帯)
【日常的に食された野菜】
D.農民の食(とりわけスープ)の中には野菜が日常的に入っていた
E.しばしば遺産目録に登場する根菜を見ると、カブとターニップ(カブより粗末と言われた)が、ニンジン・パースニップその他の味の良い根菜よりも多い
F.ニンニク・リーキ・その他の球根・香草(地方ごとに異なる)は、農民にとっての香味料だった
G.サラダ菜や菜園の葉野菜は様々で、ある程度までは地方による違いが明確だった。しかしヨーロッパ中で、キャベツが常に農民の食生活の第一の位置を占めていた
【キャベツ料理】
H.キャベツは地方ごと・季節ごと・使用法ごとに、約20種類あった。アルザスの場合「スープに入れる(他の土地と同じ)、赤キャベツやサヴォイキャベツをサラダの材料に使う、タマキャベツをシュークルートを作るのに使う」などした
I.シュークルート(ザワークラウト)=『酸っぱいキャベツ』を、フランドルからロシアに至るまでのヨーロッパ中部と東部全域で、たっぷりと食べた。バリエーションとして「カブ・ターニップ(いずれもアウクスブルク)・塩漬けキュウリ(ボーランド、ロシア)」のような、塩水に漬けたその他の野菜がある。厳しい冬の間は新鮮な野菜が食べられないため、これが必要不可欠だった
J.ドイツでは、3~4カ月漬け込んだ後で豚脂の塊とともに火にかけて、豚脂風味のザワークラウトを作った。これはフランス農民が食べていた「豚脂風味のキャベツ」の一種であり、18世紀になるとこれにジャガイモを入れて、フランスのポテ(豚肉の塩漬けの煮込み料理)・ドイツのアイントップフ(ドイツ鍋)に近いものとなった
(2)果物
【地中海沿岸地域】
A.ワイン・シードル(サイダー=リンゴ酒)・ポワレ(梨果汁を発酵させて作るアルコール飲料)の製造に使われるのでなければ、果物の収穫と消費は記録されない。それゆえ当時の消費の実態はなかなか把握できない
B.地中海沿岸地域では、多くの旅人が「果物の豊富さ・多様性について驚嘆している」が、農民食に占める地位は判らない
[「リンゴ、梨、さくらんぼ、クルミ、酸っぱいナナカマドの実」が、農民が作る飲料の原料として挙げられている](近世フランス)
[「ボンクレティアン種の梨、レネット種のリンゴ、さくらんぼ、プラム、マルメロ」を食べていたが、桃とアンズの木は19世紀になって登場した](ノルマンディーのウーシュ渓谷)
[デザートにビルベリー(『森や山に育つ小さな果物で、ブドウの味がし、ブドウとよく似た』と表現されている)が出された場所もある]
【ヨーロッパ中部・東部】
[「リンゴ、梨、プラム、さくらんぼ」を生食・燻製・乾燥・マーマレードで食べたし、果物単独だけでなく、肉の付け合わせ・ソースにもした](ボーランド)
[肉や家禽を果物と一緒に料理する、果物を保存するためにかまどで乾燥させる、という習慣があった。乾燥させたのは、プラム(プロヴァンスのブリニョル産)やプルーン(フランス各地)のように売却目的ではなく、冬の備蓄用だった](ドイツ) [生や乾燥の「リンゴ、梨、プラム(特にクエッチ)、さくらんぼ」が遺産目録に登場する。他にも「梨をかまどで乾燥し、ポットの中で脂or豚脂と一緒に加熱する"シュニッツ"と呼ばれる保存食」があった](アルザス)
C.穀物に乏しい地域で、果物の保存に対するニーズがあった。「困難な端境期に乾燥したものを食べられる」ので、さくらんぼは大きな資源だった(アルザス、18世紀)
D.1740年代から果物の保存が増加したが、この時期は食糧を確保するのが次第に難しくなっていたことを示していると考えられる。その裏返しとして、1770年代にジャガイモを栽培するようになってから、アルザスの農民は果樹の手入れを怠るようになった(ジャガイモが乾燥果物の代わりに、貧しい人々の冬の食物となったから)
(3)肉と油脂
A.過去においては、農民のスープに使う肉と油脂(=蛋白質と脂質)を同レベルで扱っていた。豊かな農家は「塩漬け豚のブイヨンのスープ」を食べたが、貧しい農家は「クルミ油のスープ、麻の実の油のスープ」でさえ食べた
B.遺産目録からピックアップすると、ある大富農は「麻の実の油、クルミ油、豚脂、ラード」を合計155リーヴル所有していた。ある小作人は「豚脂、クルミ油」を約15リーヴル所有していた。貧しい農民となると「バター2リーヴル、動物脂とラードを少々」にまで落ち込む
【近世フランスでの豚の所有状況】
C.中世~近世初期にはかなり見られた豚の飼育が、18世紀には大きく減っていた。一部の地方(パリ盆地のような森・低木林が乏しく、穀物を栽培していた平野)では、豚は1つの村に10頭もいなかった。反対にボカージュ(畑地や牧草地などを生け垣や林で区切った地帯)・森林地帯・山岳地帯では相対的によく見られ、最貧層を除くほとんど全員が少なくとも1頭を有していた
D.プロヴァンスでは、14~15世紀には「都市でも自家用の豚を飼育するのが慣行であり、村では地主の3~4割には常に豚がいた」。これが17~18世紀には「豚は牧畜に全く重要性を占めることはなく、最高でも動物資産の7%に過ぎない」ようになっていた
E.アルザスでは、17世紀半ばではほとんどの農民が豚を所有していたが、18世紀には経済的・法的条件が悪化したために、半数の家がもはや飼育していなかった。それでも豚肉とその塩漬けは、1年を通じて農民たちの基本的な食品だったという。全体で見ると、穀物の乏しい地域(アルザス中部・南部)では豚肉を食べる人が明らかに多かった
F.アルザスの遺産目録には「豚肉加工食品が詰まった塩漬け品貯蔵室、(ハム・ベーコン・ブラッドソーセージ・フレッシュソーセージがぶら下がる)梁」が出てくる場合もある
【その他の肉】
G.田園地帯では、牛・仔牛が日常的に消費されたことは無かった。山岳地帯の人々は時にはヤギの塩漬け肉を食べた。肥育した雄ヤギを好んだ地域もあった
H.あちこちで、季節行事のために仔羊・仔ヤギ・ガチョウをつぶし、旅の客が来れば老いた雌鳥・若い雄鶏をつぶした
【油脂】
I.貧しい農民のスープで豚脂の代わりをしたが、それは多様で極地化していて、重要性はかなりのものだった
J.原則として植物油は「全てのカトリック国で菜食日に必要とされた」「多くの場合には、貧農の家にあった唯一の脂肪性食品だった」。しかし一部地域(ブルターニュ・ノルマンディー・フランドルなど)では、植物油は庶民には高価すぎたがら、ごく早いうちに四旬節でもバターを使った料理を食べることが許された
K.どの地域でも「バターは農村的な食材とみなされた」「豚脂・ラード・ガチョウ脂を使う料理はバターを使う料理よりも贅沢だと考えられた」
L.植物油には「クルミ油、オリーブ油、麻の実の油、亜麻仁油、ケシ油」などがあった。ボーランドでの植物油は常に亜麻仁油or麻の実の油だった
M.麻の実の油はフランスでも多くの田園で見られる。どこでも農民は、衣料用の麻布の原料となる麻を栽培していたから、その繊維だけでなく種子も活用するのは当たり前だったようだ
○補助食品
〔コンパナギウム:調味料と副次的な食品を合わせてパンに添えるものを意味する、中世~近世の概念〕
(1)スープと生鮮野菜
A.スープはコンパナギウムの中でも、最も大切なものだった。「パサパサに乾ききった大きな田舎パンを呑み込むのを助けてくれ」「家で食べる食事の全てにおいて、基本的かつ(たいていの場合)唯一の料理」だった。農民は、妻or家にいる娘が運んでくる熱いスープを、畑で食べることもあった
B.「パン」という言葉はあらゆる食品を指したが、同様に「スープ」という言葉は"カス=クルード"(パン・チーズ・ハムなどの軽食)以外の全ての食事に対応した。『スープを食べに来て下さい』と言えば、(全ての社会階級で)自分の食卓に人を招くことを意味した
C.スープのブイヨンには「様々な根菜、葉野菜、(可能な範囲内で)肉-普通は塩漬けの豚肉-で香味を付ける」か、あるいは「油、バター、植物油で調味した」。また豆類を、粥と同じようにスープにも使った
[調理例:「キャベツたっぷり、カブ、根菜、その他野菜」を、バターor豚脂の欠片を入れた湯の中で火を通して作った](1778年頃、クリの多いヴィヴァレの山岳地帯)
【日常的に食された野菜】
D.農民の食(とりわけスープ)の中には野菜が日常的に入っていた
E.しばしば遺産目録に登場する根菜を見ると、カブとターニップ(カブより粗末と言われた)が、ニンジン・パースニップその他の味の良い根菜よりも多い
F.ニンニク・リーキ・その他の球根・香草(地方ごとに異なる)は、農民にとっての香味料だった
G.サラダ菜や菜園の葉野菜は様々で、ある程度までは地方による違いが明確だった。しかしヨーロッパ中で、キャベツが常に農民の食生活の第一の位置を占めていた
【キャベツ料理】
H.キャベツは地方ごと・季節ごと・使用法ごとに、約20種類あった。アルザスの場合「スープに入れる(他の土地と同じ)、赤キャベツやサヴォイキャベツをサラダの材料に使う、タマキャベツをシュークルートを作るのに使う」などした
I.シュークルート(ザワークラウト)=『酸っぱいキャベツ』を、フランドルからロシアに至るまでのヨーロッパ中部と東部全域で、たっぷりと食べた。バリエーションとして「カブ・ターニップ(いずれもアウクスブルク)・塩漬けキュウリ(ボーランド、ロシア)」のような、塩水に漬けたその他の野菜がある。厳しい冬の間は新鮮な野菜が食べられないため、これが必要不可欠だった
J.ドイツでは、3~4カ月漬け込んだ後で豚脂の塊とともに火にかけて、豚脂風味のザワークラウトを作った。これはフランス農民が食べていた「豚脂風味のキャベツ」の一種であり、18世紀になるとこれにジャガイモを入れて、フランスのポテ(豚肉の塩漬けの煮込み料理)・ドイツのアイントップフ(ドイツ鍋)に近いものとなった
(2)果物
【地中海沿岸地域】
A.ワイン・シードル(サイダー=リンゴ酒)・ポワレ(梨果汁を発酵させて作るアルコール飲料)の製造に使われるのでなければ、果物の収穫と消費は記録されない。それゆえ当時の消費の実態はなかなか把握できない
B.地中海沿岸地域では、多くの旅人が「果物の豊富さ・多様性について驚嘆している」が、農民食に占める地位は判らない
[「リンゴ、梨、さくらんぼ、クルミ、酸っぱいナナカマドの実」が、農民が作る飲料の原料として挙げられている](近世フランス)
[「ボンクレティアン種の梨、レネット種のリンゴ、さくらんぼ、プラム、マルメロ」を食べていたが、桃とアンズの木は19世紀になって登場した](ノルマンディーのウーシュ渓谷)
[デザートにビルベリー(『森や山に育つ小さな果物で、ブドウの味がし、ブドウとよく似た』と表現されている)が出された場所もある]
【ヨーロッパ中部・東部】
[「リンゴ、梨、プラム、さくらんぼ」を生食・燻製・乾燥・マーマレードで食べたし、果物単独だけでなく、肉の付け合わせ・ソースにもした](ボーランド)
[肉や家禽を果物と一緒に料理する、果物を保存するためにかまどで乾燥させる、という習慣があった。乾燥させたのは、プラム(プロヴァンスのブリニョル産)やプルーン(フランス各地)のように売却目的ではなく、冬の備蓄用だった](ドイツ) [生や乾燥の「リンゴ、梨、プラム(特にクエッチ)、さくらんぼ」が遺産目録に登場する。他にも「梨をかまどで乾燥し、ポットの中で脂or豚脂と一緒に加熱する"シュニッツ"と呼ばれる保存食」があった](アルザス)
C.穀物に乏しい地域で、果物の保存に対するニーズがあった。「困難な端境期に乾燥したものを食べられる」ので、さくらんぼは大きな資源だった(アルザス、18世紀)
D.1740年代から果物の保存が増加したが、この時期は食糧を確保するのが次第に難しくなっていたことを示していると考えられる。その裏返しとして、1770年代にジャガイモを栽培するようになってから、アルザスの農民は果樹の手入れを怠るようになった(ジャガイモが乾燥果物の代わりに、貧しい人々の冬の食物となったから)
(3)肉と油脂
A.過去においては、農民のスープに使う肉と油脂(=蛋白質と脂質)を同レベルで扱っていた。豊かな農家は「塩漬け豚のブイヨンのスープ」を食べたが、貧しい農家は「クルミ油のスープ、麻の実の油のスープ」でさえ食べた
B.遺産目録からピックアップすると、ある大富農は「麻の実の油、クルミ油、豚脂、ラード」を合計155リーヴル所有していた。ある小作人は「豚脂、クルミ油」を約15リーヴル所有していた。貧しい農民となると「バター2リーヴル、動物脂とラードを少々」にまで落ち込む
【近世フランスでの豚の所有状況】
C.中世~近世初期にはかなり見られた豚の飼育が、18世紀には大きく減っていた。一部の地方(パリ盆地のような森・低木林が乏しく、穀物を栽培していた平野)では、豚は1つの村に10頭もいなかった。反対にボカージュ(畑地や牧草地などを生け垣や林で区切った地帯)・森林地帯・山岳地帯では相対的によく見られ、最貧層を除くほとんど全員が少なくとも1頭を有していた
D.プロヴァンスでは、14~15世紀には「都市でも自家用の豚を飼育するのが慣行であり、村では地主の3~4割には常に豚がいた」。これが17~18世紀には「豚は牧畜に全く重要性を占めることはなく、最高でも動物資産の7%に過ぎない」ようになっていた
E.アルザスでは、17世紀半ばではほとんどの農民が豚を所有していたが、18世紀には経済的・法的条件が悪化したために、半数の家がもはや飼育していなかった。それでも豚肉とその塩漬けは、1年を通じて農民たちの基本的な食品だったという。全体で見ると、穀物の乏しい地域(アルザス中部・南部)では豚肉を食べる人が明らかに多かった
F.アルザスの遺産目録には「豚肉加工食品が詰まった塩漬け品貯蔵室、(ハム・ベーコン・ブラッドソーセージ・フレッシュソーセージがぶら下がる)梁」が出てくる場合もある
【その他の肉】
G.田園地帯では、牛・仔牛が日常的に消費されたことは無かった。山岳地帯の人々は時にはヤギの塩漬け肉を食べた。肥育した雄ヤギを好んだ地域もあった
H.あちこちで、季節行事のために仔羊・仔ヤギ・ガチョウをつぶし、旅の客が来れば老いた雌鳥・若い雄鶏をつぶした
【油脂】
I.貧しい農民のスープで豚脂の代わりをしたが、それは多様で極地化していて、重要性はかなりのものだった
J.原則として植物油は「全てのカトリック国で菜食日に必要とされた」「多くの場合には、貧農の家にあった唯一の脂肪性食品だった」。しかし一部地域(ブルターニュ・ノルマンディー・フランドルなど)では、植物油は庶民には高価すぎたがら、ごく早いうちに四旬節でもバターを使った料理を食べることが許された
K.どの地域でも「バターは農村的な食材とみなされた」「豚脂・ラード・ガチョウ脂を使う料理はバターを使う料理よりも贅沢だと考えられた」
L.植物油には「クルミ油、オリーブ油、麻の実の油、亜麻仁油、ケシ油」などがあった。ボーランドでの植物油は常に亜麻仁油or麻の実の油だった
M.麻の実の油はフランスでも多くの田園で見られる。どこでも農民は、衣料用の麻布の原料となる麻を栽培していたから、その繊維だけでなく種子も活用するのは当たり前だったようだ