『食の歴史Ⅱ』第30章から


○火から食卓へ


(1)かまどの周りで

 A.地中海地域の農村の家屋では、一般的にかまどは1つで、家の内部に置かれている(そのほとんどは無蓋のかまど)。土間の床にじかに設けられていることが多い(これは先史時代の遺跡とあまり変わらない)。農民階級では、壁際に作られる暖炉は中世末期までは例外だった
 B.無蓋のかまどの設置方法は「地面に掘るor床から僅かに持ち上げられ」、小石もしくは長手(レンガの最長辺方向の幅の小さい面)に並べたレンガで囲んだ。炉床は「小石やテラコッタの欠片を敷き詰めるor斜めに揃えて置かれた小石の基礎上」に設置された
 C.農家のかまどは一般的に小さく、60cmを越えることはめったにない。いつも壁を背にして、入り口の近くにある。そして農村でも都市でも、かまどのある部屋が唯一の住空間だった
 D.一方で小領主の家屋(堀を巡らしていた)には「1部屋の中央に縦横ともに2m近い長方形の、レンガを敷き詰めたかまど」があった(さらにこの部屋の土間の床には、いくつかの副次的なかまどもあった)。ここには他にも部屋があり、そのうちの少なくとも1つには、規模のずっと小さな暖炉があった
 E.家は垂直方向にも平面方向にも広がりえた。調理場以外の部屋は「貯蔵庫、物置、地下蔵、動物を入れておく場所」だった。都市には暖炉が農村よりも頻繁に見られたが、それは寝室にあったことから、暖房の役割だけを果たしていたようだ
 F.農村には当たり前のかまどだが、都市では最富裕の家が自家専用のかまどを備えていた程度。都市住民は「家でこねたパン生地を焼くためにパン焼き職人に助けを求める」or「製パン職人orパティスリー職人の商品を購入した」

(2)かまどの周りにある用具

 A.農民の用具の数は、都市の暖炉の周囲にあるよりも種類は少なく、設備も粗野だった
 [鉄製の三脚はどこにでもある]
 [自在鉤は14世紀ブルゴーニュの農村では珍しく、都市の方が多い]
 [薪台(暖炉の中に置く2個1組の金属台で、薪を支える。薪が外に転がり出るのを防ぎ、空気の循環を良くしてよく燃やす働きもする)は暖炉のある家に限られた]
 [もっと珍しいふいご、料理用薪台(焼き串を掛けるフックがあり、上部にはカップが付いていて、飲み物などを温められるようになっている)も同様だった]
 [鉄製の暖炉用シャベルや火かき棒は数が少なく、使用人や主婦は専用道具なしで、巧みに火を管理しなければならなかったと推測される]

 B.三脚に載せても床からわずかに持ち上げられてはいても、かまどは床に近かったから、人々は「火をかき立てる、ポットを見張る」作業は、かがみ込んだ姿勢or非常に低い椅子に座って行われた

(3)調理器具

 A.土器はあらゆる階級の人々が「野菜やポタージュを弱火で長時間加熱する」のに使われた。「容量の異なる2個1組からなる加熱用ポット」「穀物・豆類・卵・動物脂などの貯蔵に使われた球形ポット」「注ぎ口の付いた、水を運ぶための球形のポット」があった。金属器よりもはるかに壊れやすいから、土製のポットはしょっちゅう新調された
 B.農村にある金属製道具には「鉄製のフライパン」「銅製のポット」「銅製のショドロン(吊り手付きの大鍋)」「直径の小さなポワロン(片手鍋、子供や病人向けの粥の加熱に使われた)」があった。このため、多くの家で「フライ、フリカッセ、蒸気による加熱」が可能だった。技術的には「1枚の銅版から作ったポットから、鋳造して装飾を施した分厚いショドロンまで」極めて多様だった
 C.グリル・焼き串はしばしばロースト用回転機とセットで、富裕層のみが所有した。加えて、銅or釉薬をかけたテラコッタの肉汁受けがローストの下に置かれた(肉汁と油を受ける)。ショディエール(大鍋)で、ロースト肉を串刺しにする前にしばしば湯通しを行った
 D.時にはかなり裕福な個人の家でも「パテ、タルト、フランの型」があった。もっと珍しい物では「ワッフルとウブリの焼き型」があった(これらパティスリーの調理は、通常は専門家の技術)。これと関連してチーズおろしもあった(パティスリーのほとんどは塩味でチーズ風味だった)
 E.ソースの素材をすり潰すための基本的な道具はすり鉢だった(グリルでパンをローストして、それをソースのつなぎに使うこともあったが)。すり潰す対象によってすり鉢の素材・直径は様々で、外見も「自家製の稚拙なもの」から「注ぎ口とほぞが付き、場合によっては装飾も施されたもの」まである
 [石臼はカラシの種子に使う]
 [鉄のすりこぎ付きの『スパイス破砕用』青銅製大すり鉢は、薬剤師の調剤室以外にはあまり見かけない]
 [ろくろで作った木製のすり鉢・すりこぎは、貧しい家(高価なスパイスがあったとは考えにくい)にもあり「酢、ヴェルシュ、ニンニク、香草」のような地物から調味料を作るのに使われた]

 F.木材は、加熱目的以外ならば調理・保存にかなり用いられた。「塩入れと塩漬けの容器、酢入れ、水汲み用の桶、パン櫃(パンを捏ねたり保存するのに使う)、小麦用の篩、まな板、チーズ箱、パン成形用の板、ポットの蓋、ボウル、レードル、ポット用のスプーン」は木製だった。使用された木材の種類は多様で、固い木・柔らかい木・縦割りの簡単な木など、必要に応じて選択された。加えて「木の特性と結びついた象徴的な意味も帯びていた」と思われる
 G.加熱後に食材の最後の仕上げに用いる道具(一部は金属製):
 [濾し器は中に布を敷いて、液体のソースやブイヨンを濾した]
 [穴あきのレードルは、切り分けた食材を湯orフライ用油脂からすくい上げる時に水や油を切るのに使われた]
 [鉄鉤は水orソースの中で加熱した、より大きな肉の塊を引き上げた]
 [銅の大きなスプーンは、加熱用のポットから、半固体の食材or濃厚なソースを汲み出した]
(これらの品は、比較的大きな金属製の器の中で行われた様々な加熱に使用されたと考えられる)

(4)家の中の配置

 A.外部に通じる最初の部屋には、戸口近くに大きなかまどがと休息のエリアがあった。ここで食事が行われたようだ
 B.これに続く物置には「相当数の土製ポット、鉄のたがをはめた木製の器、銅製の飲料用カップ、真鍮製品、わずかの豆類、おそらくワインの樽」があった
 C.さらに第2の物置が家の別の部分にあり、家の中で最も貴重な資産の保管専用だった。そこには「加熱用ポット、彫刻をした銅製の飲料用カップ、真鍮製品が1,2個」あった
 D.食物の貯蔵場所:
 [かまどがある部屋には、食物の貯蔵・調理・摂取に関連する家具の一部しか置かれない]
 [ワインは販売用・家内消費用でも、貯蔵庫に保管された。肉&魚の塩漬けも同様]
 [干し肉はしばしば塩・チーズ箱・熟成中の酢の入った小樽とともに、屋根裏部屋に置かれた]
 [調理場に保存されたのは、少量の豆類・粉・脂のみ]
 [植物油や穀粒が寝室に貯蔵されるのも珍しくなかった]

 E.家庭用品を各種取り揃えた広々とした家では、調理場には日常使用する調理用具「水汲み用のロープ、鉄のたがをはめた桶と銅製の柄杓、かまどの備品と加熱用のポット、フライパン、ショドロンのいくつか、場合によってはグリルと焼き串」など、全てが置かれた。その他は「地下蔵、屋根裏部屋、中庭の回廊の下」などあちこちに分散された(特別な機会にのみ使用された)
 F.かまどを所有し、そこでパンを焼くほどの大きな家では、製パン職人のように「粉をふるい、生地を捏ねるための特別な部屋」を持っていた。より一般的にはパン櫃(調理場に置いた)を使うが、その中にパンやパン作りに使われる道具を保管した
 G.調理場に調理用具をしまうための家具はめったに置かれない。例外はポットを置くための棚のみ
 H.都市住民のところには「食卓とその架台、1人用の食卓となる小さな"ビュッフェ"、椅子」があった。架台に載せる食卓は移動させやすく、壁に立てかけて片付けられ、食べる時には多目的の部屋に広げることで、そこを一時的に食堂とした。都市の一部の家では、屋根裏部屋・中庭・地下蔵に収納した椅子を「特別の食事の時に、屋内or屋外のあちこちに置けた」
 I.食卓などの家具が無いところ(特に広い空間を持てない貧しい家)では、食事は調理場でとったと考えられる。また広い家でも、使用人は時間の大部分を調理場で過ごした(主人と一緒に食事したはずがない)