『ヨーロッパの祝祭典』M・P・コズマンから[11]


○「万愚節」の逆さま世界


(1)4月の世の中は逆さま世界で、物事は外観通りではなく、きちんとした秩序はひっくり返っているのだが、それが愉快だった

 〔4月の饗宴が催される広間に客人たちが列をなして入っていくと、トランペットの堂々たる吹奏が始まるが、それは鍋蓋のすさまじい響きでお終いとなる〕
 〔給仕たちは帽子や服を後ろ前に着ているかと思えば、別の者は空っぽのお盆を持って後ろ向きに歩いたりする〕
 〔主賓席の傍らには、星や月模様の付いた丈の高いとんがり帽子を被り、黒い服を着た男の人がいて、空中から炎を掴み取ったり、袖の中から蝶を見つけ出してきたり、犬を歌わせたりする〕
 〔がっちり組み合わせている鎖の輪でも、彼が触れればバラバラに飛び散ってしまう。若くて美しいご婦人をノコギリで2つに挽いてしまう〕

(2)無礼講の王、雑色服、逆さま(ウィダシンズ)に行われるすべての手順

 A.饗宴の名誉ある椅子には、主人公を務める高貴な主人や御婦人が座るのではなく、道化師のためにとってある
 B.道化師は"無礼講の王゛と呼ばれ、"雑色の服゛(モトリー:motley)と呼ばれる色とりどりの道化師の服を着て、先端に鈴が付いた細長くてビラビラしている先の尖った帽子を被っている。「小さな頭が上に付けてある」笏を携えていれが、その頭にも鈴付きの道化師の帽子を被せている
 C.給仕たちはいろんなことを逆さまにした

 〔一番どうでもよいようなテーブルから真っ先に給仕して、主賓席を最後に回す〕
 〔お辞儀を人々の方ではなく、背中に向けてする〕
 〔人々は、鏡文字で字を書いたり、ページの右側から書き始めて左へ向かって書き進めたりする〕
 〔儀典官は、言葉を逆さにして「演奏いたします。ファンファーレを、楽人たちが、さあ!」というように、もったいぶって言う〕

(3)愚人祭(1月)との共通点

 A.1月の教会の祝日に「愚人祭」がある。これは教会・修道院・学校などで「生徒たちが先生を監督する」「若者が年上の人に指図する」「少年(下級聖職者)が司教になる」「無礼講の修道院長が任命される」などした
 B.愚人祭も万愚節も、祈りの言葉が逆さまに朗読された

(4)驢馬の饗宴とバラムの驢馬

 A."驢馬の饗宴゛と呼ばれるお祝いは、特にフランスのルーアンとボーヴェ(どちらも北部の町)で人気があった。ここでは、聖書の中の預言者バラムとその不思議な驢馬の冒険を描く短い劇が上演された

 〔1人の邪悪な王がバラムに報酬をやって預言を求め、イスラエルの人々を呪うように頼むのだが、バラムは逆に祝福してあげた〕
 〔だが後になって、彼は愚かにも神がお与えになったある御教えを顧みないことをした。しかしその時には彼の驢馬が、神の御教えに従った。そこでバラムの驢馬は預言者の保護者となった〕
 〔「乗り手の方が驢馬に指図される」という逆さま世界だった。その驢馬は御教えに耳を傾けない愚かな預言者に対して、賢そうに語りかける〕

 B.驢馬は古来、人間との関わり合いを最も持った動物の1つだった。時代と場所により、その意味するところは"預言者の乗り物゛"ユダヤ人の乗り物゛だったり、馬鹿やお人好しと見なされたり、賢いとされる一方では無知の象徴だった

(5)『愚者の鏡』と驢馬のブルネルス

 A.万愚節では、饗宴の素晴らしいご馳走や催し物の間に『愚者の鏡』という、12世紀に書かれた飛び抜けて愉快な本からとった、愚かしげな話が朗読or演じられる
 B.著者はイギリスの風刺作家、ニジェル・ド・ロンシャン(1130-1205)。ナイジェル・ウィルカーという名で知られ、彼はカンタベリーのクライストチャーチの修道士だったが、社会や教会の俗化を諷刺してこの作品を書いた
 C.主人公は、サレルノとパリのとても変わった大学生で"驢馬のブルネルス゛と名づけられた驢馬だった。彼は尻尾があまりにも短いのをはかなんで、農場を出てしまう。その世界では「牛は喋り、亀は飛び、雄牛は荷車の後側に引き具でつけられ、驢馬はリュートの演奏会をし、肝の据わったウサギが恐ろしいライオンを脅したりする」
 D.饗宴では、誰もが馬鹿げた話をして、聞き手にそれを信じさせようとした(例:イヴの母親の冒険を描いた、有名な話があるという)

(6)4月の浮かれ騒ぎが示すもの

 A.これら全てのナンセンスなことの意味は、浮かれ騒いでいる人々に「規則というものは、時として面倒なものではあるが、しかし無秩序は破滅的である」と思い起こさせてくれるということだった
 B.およそ物事は煩わしく見えるかも知れないが、しかしもし世の中が逆さにひっくり返ってしまったならば、ことはもっと悪いものになる
 C.万愚節でバカ騒ぎでもすれば、人々はまた気を取り直して、人生の様々なしがらみに対しても、元通りちゃんと取り組んでいくようになる、という効果があった