『中世の食生活』B・A・ヘニッシュから[22]
[主に13~15世紀のイギリスの事例より]


○手を洗うこと

(1)全ての道具の中で最も役立ったのは指だった。当然、指を清潔にしておくことは強調された

 A.指の汚れを舐めてとる行為は戒められ、どの食事の前後でも洗わなければならなかった
 B.飛んだ肉汁が手についている給仕は、コースの間に目立たないようにして手を洗うべきとされた
 C.客の少年たちも手と爪を綺麗にして食事についた。見習い給仕はいつでも主人に給仕出来るよう、手を綺麗にして主人の前に立っていなければならなかった
 D.もちろん、誰もがきちんと手を綺麗にした筈はなく、特に子供は手を洗わずに喜んで晩餐の席に着いていた
 E.しかし、清潔な手に関心がないのは「無教養で無骨」なことのはっきりとした印とみなされた

(2)手を洗う儀式は祈りを捧げる儀式の直前or直後に行われた。この2つの儀式(行儀作法)によって食事の形式を整えたことを意味し、逆に「手を洗ってお祈りをするのが待てないほど、肉を渇望する者」は貪欲な人間とされた

(3)晩餐の際に手を洗うには水とタオルが用いられたが、その礼儀作法にはいくつかの微妙な問題があった

 A.晩餐客の中でも初心者には「近くの人に水を跳ねかけないよう」「洗面器に唾を吐かないよう」注意がなされた
 B.同じ洗面器とタオルを何人もの人が使うがゆえに「水とタオルのどちらをより汚した方がいいか(どちらを綺麗に保つか)」という悩みがあった。多くの人々はタオルを汚すことを好んだから、賢明な一家の主は「綺麗なタオルは食事の始めに使用するのにとっておいて、古い方を食事終了時に手を洗うのにとっておいた」
 C.タオルか水か一方に頼らない方法もあった。特に女性は大切な盛儀の折に、晴れやかで優雅な晩餐の食卓に姿を現す前に「コッソリ食事を済ませ」本番では少量の食べ物をもてあそぶのを好んだ。そして手を洗う時には、彼女らは「自信を持って指を水に浸し、水を綺麗に輝く状態で残してからタオルにソッと触れ、しみ1つ残さずに済ます」ことができた
 D.手の洗い方として、水の中へ手をザブンと突っ込んだり、時には「水が上からかけられている間に、洗面器の上に手を差し出している」こともあった
 E.手を洗う間に水がたくさん注がれて、晩餐客の衣服を濡らしてしまわないよう、2人のお供の者が袖をタオルで守った
 F.客が手を洗う前に、テーブルクロスにはサナップと呼ばれた長い布(様々な厚さのリンネルやタオルでできた)が掛けられ、テーブルクロスを汚れから守った。サナップは手を洗い終えると片付けられた

(4)洗面器と水を用意するに関しても特徴的な仕事があった

 A.召使いたちは「タオルと洗面器が綺麗か」を確認し、寒い日には湯を用意した。食卓で水を温かい状態に保つために、こすって温める金属製の皿が時々用いられた
 B.いい香りのする水は喜ばれ、作るための方法がたくさんあった。1例は「セージを茹でて熱湯を捨て、ちょうどよい温かさになるまで冷やす。セージの代わりにカモミールorマヨナラ(しそ科の植物の総称)orまんねんろうを入れ、これらをオレンジの皮or月桂樹の葉と一緒に茹でる」

(5)上記の手の洗い方はいくらか儀式ばったもので、食堂内で行われたやり方だった。しかし日常ではこれほどではなかったと考えられる


○手洗いの設備と道具

(1)給排水の設備がいまだに残されている場合もある

 A.修道院や大きな家の大食堂に通じる廊下には、洗面器や水だめがあった
 B.時には、水を排出するための下水溝があったり、水だめからパイプで引き入れていることもあった
 C.バトル大修道院のホール(1330年頃建築)の水だめは「胸壁のついた丸い2つの塔のある城」として設計され、それぞれの塔にはライオンの頭の形をした噴水孔がついている

(2)手を洗う行為によって、羨ましくなるような所持品を披露することもできた

 A.タオル・洗面器・水差しは、金で求められる限り立派で数が多ければ良かったし、所有者はそれに誇りを抱いた
 B.また、テーブルクロスとタオルの図柄や質を調和させることも優雅とされた
 C.洗面器と水差しは所有者が求める最高の材質で作られ、華麗な装飾を施された。


○美しい水差し

(1)蓋付きの水差しは、毒から守る目的で本来は最高位の貴族だけに作られた

 A.このため、これを所有することが地位の象徴として垂涎の的だった。これはもちろん飾りとしても素晴らしいものだった
 B.リチャード2世が所有する水差しは「小鳥が彫り込まれ、胴全体に釉薬がかけられ、小さな女性が蓋の取っ手に腰掛けていた」

(2)広口水差しは、水を入れる全ての器の中で最も魅力的で、手が込んでいた

 A.これは風変わりな動物(の模様)が単に全体を包んでいるのではなく、その物自体がライオン・グリフィン・馬上の人といった形に造られていた
 B.こうした小さな像は12世紀から大変流行したが、起源は東洋らしい
 C.ヨーロッパの水差しの主要な生産地はディナン(ベルギー)だった。用いられた材料は真鍮・銅・青銅で、職人によってたやすく形を整えられた
 D.しかし、水以外のブドウ酒か何かが真鍮製の器に注がれると、直ちに味が損なわてしまうという欠点があった(水も長期間入れてはならなかった)。そのため召使いは、使用する直前に水を満たすように配慮しなければならなかったし、水に香りをつけても香りが金属の臭いに負けてしまうこともあった