前記事からの続きです。
今回の記事は、息子が亡くなった時の話が出てきます。
ちいさなお洋服の写真もあります。
すべて率直に、ありのままを記しています。
みなさんの気持ちを揺れさせてしまうかもしれません。
私自身、揺れながら書きました。
ただ、どうしても書いておきたかった・・・。
そうご理解いただいて、みなさんの心身の体調に応じて、読んでいただければ、と思います。
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今日、息子のときにお世話になった病院へ行ってきました。
NICUでお世話になったスタッフさんに会いに。
息子のことを知ってくれている人のもとへ。
とはいっても、ほとんど知っている方はいらっしゃいません。
主治医の先生(お二人とも)、担当看護師さん、NICUの看護師長さん、すべて転属ないし他の病院へ移られてました。
唯一、最期のターミナル期に携わってくださった臨床心理士さんは在籍されています。
その方からは、「話したくなったら連絡くださいね」と言っていただいてたんです。
でも、悲しい場所、悲しい思い出を思い起こさせる人だから、足が向かぬまま・・・。
でもね。
私、ずっと伝えたいこと、恩返ししたいことがあったんです。
亡くなった際、非番だったNICUの看護師さんが、息子の身体にぴったり合うお洋服を作ってきてくださっていました。
前記事にもあった、その当時の記録にはこう書いてあります。
亡くなった後、「赤ちゃんをきれいにしますね」と言われて待った後の記述です。
チューブやモニターをはずし、おむつをはいたたいくんに再び会う。
おくるみも産着ももっていないため、病院のバスタオルと、看護師さんが縫ってくれたという産着をいただく。
ちいさくてかわいい産着をたいくんに着せる。
クリーム色のガーゼの布に、お花や葉っぱ、クローバー、てんとう虫の柄。
少しずつ冷たくなっているたいくんは、産着を着せるのが難しい。
痛くないように痛くないようにそっと着せる。
ちょうどの産着を着て、とてもとてもかわいらしい、赤ちゃんのたいくん。
バスタオルを持った私の腕の中に、たいくんをのせてもらう。
私の元に戻ってきた。
うちの息子は、24週で生まれました。
2週間生きていましたが、身長32cm、600g台の体重はほとんど変わらないまま。
通常の新生児に較べれば、ちいさいちいさい赤ちゃんでした。
私は、帝王切開後退院はしていましたが、搾乳と息子の所へ通うのがやっと。
まさか数日後に最後が来るなんて思ってもみなかったから、お別れをする時に何かを用意する、なんて余裕はありませんでした。
そんな中で用意してもらった産着。
親バカですが、ちょうどの大きさの産着を着た息子はかわいらしくって。
誇らしい気持ちでいっぱいになったのを思い出します。
今でも、携帯の待ち受けにあるのは、その産着姿の息子。
手を繋いで撮った写真です。
今、私があるのはあの産着を用意してもらい、大事に送ってもらったおかげ。
そう思っています。
いつか、きちんとお礼が言いたい。
その思いは、手紙にしたためて、四十九日の法要の後に届けました。
でも、お礼だけじゃなくって。
いつか、私でも出来る恩返しがしたい。
忙しい中手作りで産着を用意していただいたり、手形・足型をとって、かわいくまとめてくださったスタッフの方々に対して、「ありがとう」の気持ちをこめて、つなげる何かがあるのでは、と思っていました。
そんな中、私は、ブログ『赤ちゃんに逢いたい』のぶぅ さんが書かれたひとつの記事に出会いました。
ちいさな赤ちゃんのお別れの際、ぴったりのお洋服を着て送り出すお手伝いをしたい
天使ママさんの悲しみに少しでも寄り添いたい
という強い信念を持っているぶぅさん。
私は、ぶぅさんを通して、ちいさくして亡くなった赤ちゃんのケアの実態を知りました。
つらい思いをした方がたくさんいることも・・・。
私は、上にも書いたように、ケアをしてもらったことで救われた一人です。
なので、もともと自分の中にあった思いにプラスして、何か出来ればいいな、とは思ってました。
ただ、応援したい!という強い気持ちがありながらも、何も出来ず・・・。
実は、長らく、ちいさなお洋服を作ることで、いろんな過去の映像がフラッシュバックする怖さにおびえていました。
でも、少しずつ気持ちが回復する中で、微力ながらささやかに活動に参加させてもらってます。
パンフレットづくりなど。
もともと、お裁縫に較べれば、そちらの方が得意だったので。
(↑パンフレットです。パソコンでご覧の方は、クリックしていただければ拡大できます)
(これは、私がちくちくと縫った産着と帽子の写真です)
お洋服作りは、正直まだまだつらいことを思い出すこともあります。
実際、NICUの保育器の中にいるとき、つまり生きているときには一度も肌着を着れなかったから。
かなり高く保温された保育器の中で、はだかんぼにちっちゃなおむつをあてているだけの心もとない姿でした。
オットは、ちいさなお洋服を見て、
「ああ、たいくんもこれぐらいだったね。これぐらいの頭の大きさだったっけ」と悲しげに笑っていました。
無理をして気持ちが焦っては、もともこもない。
出来ることを少しずつ。
そう思っています。
だから、ぼちぼちと続けていければ、と思っています。
前置きが長くなりました。
そういった今の事情を含め、”もし必要としてもらえるのならこういう活動もしています”と伝えたい。
そう思いながら一念発起してアポイントをとり、今日臨床心理士の先生のところを訪れました。
パンフレットを携えて、経緯もお話しながら。
ありがたいことに、臨床心理士の先生は私の来訪と、活動の内容をとてもよろこんでくれました。
「いろんなことがあっただろうけれど、
悲しみを悲しみとして受け止めながら、進んでいてくれることがうれしいよ」
「知らせに来てくれてありがとう」
って。
活動に関しても、病院内の周産期センターのみならず、県内の知り合いの臨床心理士やグリーフケアに取り組んでいる病院に声かけをしてくださると約束してくれました。
好感触で受け止めていただいたように感じました。
病院では、やはり、忙しい中、看護師の有志の方たちが自宅等で産着づくりを手がけてくれているとのこと。
「ぶかぶかのお洋服では可哀想だし、着せることも難しいよね」と話し合った中で、自然と発生した活動なのだそう。
激務の中、頭が下がります。
そうして、天使ちゃんと天使ママを支えようとしてくれている気持ちが、癒しの第一歩になっているのだと思いました。
そんな風に、あれやこれやたくさんお話している中で、思い出したことがありました。
今後、自分の戒めのために書いておきたいと思います。
それは、前記事にも書いた、怒りの感情の話。
悲しいときは感情が不安定で、心が麻痺したりします。
自分でも、記憶がないぐらい、ボーっとしてたのだと思います。
今思えば、ただひたすらに悲しみの中に漂っていたのかも。
悲しいときには、かえってなぐさめられることで負担を感じたり、
「わかったようなことを言って!あなたには経験もないのに!!」と憤ったこともありました。
だからこそ、いきなり自分の気持ちを押し付けないこと。
さりげなく寄り添えるように、そんな気持ちを形にして届けられたらいいなと思っています。
長くなりました。
ごめんなさいね。最後まで読んでくれて、ありがとう。
何はともあれ、今日は何より伝えたかった「ありがとう」が伝えられた日です。
それは、本当にエネルギーのいる作業だったけれど。
でも、それが出来た自分をたくさん褒めてあげたいです。
とはいえ、今日は、やっぱり無理もしてたし。
たくさん涙も流してしまったし。
あれやこれやと、気疲れもしてしまったみたいです。
ちょっとひと休み。
いや、ふた休みしながらボチボチいこう、と思ってます。
いつも、ありがとうございます。


