こんばんは~
月曜日は しまちゃん・あやのちゃんの結婚式の2次会から参加
幸せのおすそ分け頂きました
火曜日は ママのワンコの花子ちゃんの誕生日会
そんなこんなで ブログ書けまへんでした
忘れんうちに 坂記事書かんとね
蛙坂
釈迦坂下って 丸の内線の高架下を潜り 道なりに行くと
す~ぐ 真っ赤かな坂道
釈迦坂も きつかったけど ここは もっとキツイ~
手すりがあるのが きつさ物語ってるよね
【標識の説明】
「蛙坂は七間屋敷より清水谷へ下る坂なり、或は復坂ともかけり、そのゆへ詳にせず」(改撰江戸志)
『御府内備考』には、坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があって、ここにも蛙がいた。むかし、この坂で左右の蛙の合戦があったので、里俗に蛙坂とよぶようになったと伝えている。
なお、七間屋敷とは、切支丹屋敷を守る武士たちの組屋敷のことであり、この坂道は切支丹坂に通じている
藤坂
蛙坂を一旦下りて また丸の内線の高架下をくぐる
藤坂の坂下の藤寺 ちっとだけ リヨー登場
リョーがいるから 走って坂道じゃないよ
お散歩探検だよ
最近は 朝 神宮外苑走ってから 着替えて坂探検のパターンなのよ
坂探検は時間かかるから リョー置いてけなくてね
長時間留守番出来ない ダメな奴なんだよ
藤坂下
坂下だけ マル坂
こちらの坂も結構キツイのぉ~
坂上がって 春日通りに出る
【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』)藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。
『東京名所図会』には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹(鷹狩のこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺と呼ぶようになった。
昔は、この坂から富士山が望まれたので、富士坂ともいわれた。
『続江戸砂子』い、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、ここの伝明寺には銘木の藤あり。一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれた。
藤寺のみさかをゆけば清水谷
清水ながれて蕗の苔もゆ (金子薫園)
この坂を 水戸の黄門様が 若い時 下って 藤寺の藤を観に行ったんだね
結構 キツイ坂だったよ
ほんじゃ