こんばんは、GWも後少し またまたブログ放置してしまいましたあせる

4月29日 市谷駅から 東郷公園脇の階段坂探検して トコトコ靖国通りを歩き神保町駅


駿河台の坂道探険です

駿河台は 昔 神田山と言われてたそうです

江戸時代初期は りっぱな神田山だった


江戸時代に入り 山を開削 外堀を作ったり

江戸の町は かなり江戸時代に変貌したみたいです

開削した 土は日比谷入り江を埋め立てたそうです。


日比谷辺りは 江戸の初期は入り江で 埋め立て地って事ですかね?


クロちゃんとも  東京駅の辺りは もう海だったという話になった

確かに 八重洲口というぐらいだから 海だったんですね

日本橋も 回船問屋があるぐらいだから すぐ海だった事がわかる



坂記事から だいぶ脱線してしまった・・・・・

でも、 坂から江戸を知るって 楽しいラブラブ




        富士見坂
駿河台の最初の坂道

あまり 勾配の無い 富士見坂

飲食街だしあせる

靖国通り沿いから 駿河台の交差点の少し手前にある坂道

開削前は もっと勾配あったんでしょうね


坂上は 文坂に繋がってます


標識がなければ 絶対 わからない坂道でした

【標 識】
説 明
この坂を富士見坂といいます。『新撰東京名所図会』には「駿河台南甲賀町の内、袋町に通づる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地にはあらざるも、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか」とかかれています。富士見坂という名の坂は、千代田区だけでも三ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。
設置者: 千代田区教育委員会
設置日 平成十六年三月


【この坂について】
 短く、傾斜が緩やかな坂道です。明大通り、文坂 の途中を、北東から南西へ下る坂道です。坂下は靖国通りの神田書店街、三省堂の近くになります。建物の林立する中、両側を商店街に挟まれた坂道であり、現在、富士山を望むことはできません。

         




         錦華坂




錦華公園とお茶の水小学校の間にある坂道




【標 識】
説明
 この坂を錦華坂といいます。名称は坂下に錦華小学校があるからです。この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。この坂は大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により新らしく作られた道路です。「議決要綱の三」には「南甲賀町より袋町三番地を横断して裏猿楽町二番地先錦華小公園東側に通ずる六米街路を新設」とあります。
設置者: 千代田区
設置日 昭和五十年三月


【この坂について】
 千代田区立お茶の水小学校(元の錦華小学校。夏目漱石も一時学んだそうです。平成五年に学校統廃合により現在の名称に変更)の横から北へ上る坂道です。坂道の西側には錦華公園があります。



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この辺りの坂道には 石標識があって この石標識探しが面白かったです

錦華坂上

坂を下り 小川町の坂道に移動

続く足跡