とんでもないことが起こってしまいました。


ワタクシは当時、都内東横線学芸大学駅から徒歩数分のところでの商談を終え

駅に向かって歩き始めてました。(目黒区と世田谷の境)


地面が滑りました。


あ、とんでもないことが起きてる。



学芸大学駅でしばらく電車動かないということで

すぐに東に向かって歩き始めました。

もちろん、どことも、誰とも連絡とれません。


取りあえず渋谷まで。


渋谷は人でごった返してる。


電車、動かない。


今思えば、相当ハイテンションになってました。


絶対帰る。



まず東に向かいます。



会社が上野・日暮里方面です。

自宅は千葉方面です。


とにかく東に、東にと歩きました。


8時30分から9時頃でしょうか。


会社に着きました。

エレベーター動かず、オフィス内には入れません。


非常階段で上へ。


メールつながった時に頼んでおいた

ボクのシャケ彦(パソコン)が

非常扉の外に置いてあります。

それをバッグに入れる。


そしていつも女性陣が利用している小さな折りたたみ自転車に

鍵がかかっていないことを確認する。


そして自転車でまた東に向かう。


歩く人たち。歩く人たち。


その間を縫うように。車の間を縫うように。

東へ。


そして12時30分ごろ、家に着きました。

事が起きてから10時間近く。


自宅に着く1時間くらい前に妻と携帯がつながりました。


自宅に着いて1時間後に弊社の社長と携帯がつながりました。


お前相変わらずツイテないなって言われました。



・・・いや、とんでもない。



ボク、凄いついてたって思ってます。


オレ、もってるよな・・・ッて思っています。



確かに出先から5時間くらい歩きましたけど

その後、社から自宅まで自転車がありましたから。


自転車、すごかった。早かった。

他の歩いている人たち、自動車・タクシーの人たちと比べて

自分のペースで誰よりも早く目的方向に向かえた。



今、TV見ながら、今回の一件の報道を見て

・・・・・・・・・・・・・・・ショック・・・っていう表現でいいのでしょうか・・・


しばらく立ち直れないくらい・・・・・・・・。


いや、立ち直れないって、ボクが立ち直れないことなんてどうでもよくて

気が狂いそうな恐怖と不安、不信・・・に陥ってるのは

今歩いている人たち、東北の人たち、まさに被災している人たち・・・・


ボクはただそれをTVで見て、自分の今日一日と照らし合わせて

興奮しちゃってるだけ。


なんなんだ。

なんなんだ。


わからない。


今、なにが起きてる?



・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・


ボクは満州に残された方たちに比べれば

シベリアに連れて行かれた捕虜の方たちに比べれば

なんてことはない。

ボクはそういう日本人の偉大な先輩かたの血筋なんだ。

魂をもってるんだ。

だからなんてことはないと一途に歩き続けた。こぎ続けた。

いろいろご苦労を重ねた先輩方の歴史を本その他で知り得てたことを

偉大な先輩たちに感謝していた。

先輩達に比べればこんなことなんでもないっておもって。


でもそんなこと関係なくて、一瞬にして

このよくわからない自然によってたくさんの方たちが亡くなってってるって?



自然、地球、宇宙・・・・・・・・

僕らは生かされてきただけ?



虚ろ・・・・



になってきた。



あ、また揺れてる。



はっきり言って、怖い。



本当に怖い。




あ、またきた。