こんにちは。スミレアキコです。

 

最近新たに私のことを知ってくださる方も増えてきて、本当にありがたいと思っておる日々です。

 

 

そして今日ふと「あらためて自己紹介を書こう」と思い立ちまして。

 

 

ここで私がどういう人間なのか、というのを紹介させていただきたいと思います照れ

 

 

 

私は潜在意識に興味を持ったことをきっかけに、それが仕事になり。

現在潜在意識のリーディングセッションやワークショップをさせていただいております。


 

 

 

2022年現在のメインの発信場所は↓Youtubeです。

 


ここにいたるまで、いろいろとやらかしてきた過去があり。

 

それを今から書き綴っていきたいと思います。

 

最後までお付き合いいただけたら、とても嬉しいです宝石紫

 

 

 

 

 

私は現在日本の最南端である鹿児島県に住んでおりますが、生まれは大阪府です。

その後奈良→東京→大阪と父の転勤の関係で移り住み、最後に行き着いたのがここ鹿児島です。

 

↓桜島

 

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(2022年追記)

現在の住まいは奈良県になります。

2021年のGW頃にインスピレーションがありまして、それに従ってあれよあれよと引っ越しが決まってしまい、今に至っております(笑)

(2024年追記)

現在の住まいは長野県です。

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言語が形成される子供の時期(3歳)に東京に移り住み10歳までそこに住んでいたので、私の喋り方は標準語に近く、

「全然鹿児島の方っぽくないですよね、言葉も標準語だし」と県外にお住まいの方にはよく言われます。

(実際私は鹿児島弁のイントネーションは難しくて喋れません笑)

 

 

 

子供時代は私の記憶だととても「辛い」ものが多く。

それはなんといいましょうか、重苦しくて自分を押さえ込まれるような感覚を日々感じていて。

 

今思うと感受性が強かったことも原因になっていたのでしょうが、とにかく何していても辛くて。

 

 

私がこの辛い現実から解き放たれる瞬間というのが絵を描いているときと、宇宙のことを考えているとき。

そして目に見えない見えないエネルギーの世界のことを考えているときでした。

 

 

子供の頃はよく「いやなこと」と「良いこと」というのは本当に半々に起こるのか?

ということや

「現在」の認識が変化するとなぜ「過去」の認識も同じように変化するのか?

ということなどをずっと考えているような子供でした。

 

 

 

これは「意識」のことなんですが、当時は「意識」なんて言葉も意味も知りませんでしたから、自分の感じ取ってる感覚を頼りに、それについてずっと考えていることが多かったです。

 

 

 

とにかくこういう妄想ばかりしているような子供でした。

 

 

母親からは「変な子」を連呼されて育ち、同級生からは(無愛想で何考えてるのかわからないから)「怖い」とよく言われ、周りの大人からも「愛想のない子」とよく言われ、かつ口調も非常に大人びていたので大人受けは大変悪く、友達もできなかったです(笑)

 

 

 

自分の伝えたいことが誰に言っても伝わらず、10歳までは「孤独」というものを存分に味わった記憶があります。

 

 

 

そして10歳をこえだすと、性格は相当ねじ曲がり、世の中を非常に冷めた目で捉えて生きていました。

この頃の夢は「30歳までにこの世を去りたい」でした。

 

 

自分の人生に夢も希望も何もなく、ただ息を吸って吐いていきるこの人生に何の価値があるのか、とずっと疑問に思いながら青春時代を過ごしていました。

 

 

そして19のときに、私が生まれる前から糖尿病を患い、様々な合併症を引き起こして何度も入院や退院を繰り返していた父が、この世を去りました。

 

 

私は父と非常に性格が合わず(というか、似たもの同士だったからなんですが笑)

父が倒れた前日も父と私は喧嘩しており、最終的に仲直りできぬまま父はこの世を去ってしまいました。

 

 

父は病気が重くなって目がほとんど見えない状態になっても会社に行き続けていました。(最終的に私が中学生の頃母が泣いて会社へ行くのを止めさせて自主退職させました)

 

私はそんな父を見ながら

「なぜこんなにひどい状態なのに会社に行き続けなければいけないのか。家族がいるから、稼がないといけないからか。じゃあうちに働かなくても良いぐらいお金があればお父さんは働かなくて済むのか?」

と考えるようになり、父の最期を見取ってからは「お金を稼がないといけない」という思考回路になっていました。

 

 

その思いが引き寄せた結果なのか。

 

私は21のときにネットワークビジネスに出会います。

 

このビジネスに出会った時に、私は「これでお金を稼いで人生に安心を得なければならない」と躍起になって活動していました。

 

 

しかし、私はこのビジネスで失敗します。

結果、借金をしました。

ずっと仲良くしていた友達とも疎遠になっていきました。

 

 

でも私の「金を稼げる自分にならなきゃいけない」という執着は自意識とプライドを存分に膨らまし、

「自分をいかによく見せるか」「いかに自分を素晴らしい人間だと思ってもらうか」にエネルギーを注ぐようになり

その自分を創るためにさらに借金を重ねていき、最終的に普通に働いていても返せない額の返済額になったときに、風俗の世界に足を踏み入れました。

 

 

当時は若さという武器があったので、風俗でいっぱい稼いですぐ借金返してやめればいい、と思っていましたが、風俗の世界はそんなに甘いものではなく。

 

たしかに稼ぎは多いのですが、その分ストレスが半端なくて、その日稼いだ金をたいして欲しくないものに使って散財する、を繰り返し、お金は全然たまらず、借金は全然減らず、な状態でした。

 

(というか、そもそも当時の私の思考回路は全てを見下し世の中を舐めくさっていたので、今思い返すと、風俗じゃなくても何の仕事やってもダメだったと思います)

 

 

風俗に入る前からか、もう記憶は定かではないのですが、その頃から私はちょっとおかしくなっていました。

 

 

常に頭がボーっとしていて、何食べてもおいしくなく、あまり何も感じないような状態で。

 

それが風俗に入ってからさらに加速しだし、最終的にベッドから起き上がれない状態になり、仕事のない日は朝から晩までベッドに倒れ込み、夜遅くにやっとベットから這い出し、何かを口にいれ、また眠る、という生活を繰り返すようになりました。

 

 

この頃はほとんど人に会うことはなかったですが、たまに会うとびっくりした顔をされ「ちゃんとご飯食べてる?急にやせすぎじゃない?」と言われていました。

 

 


ベッドから出られなくなる生活が続き、その頃から私は基本的にずっと寝ていましたが、たまに起きているときはずっと「どうやってこの世を去るか」ということばかり考えていました。

 

 

 

 

しかし自殺ってね、エネルギーないとできないんですよね。。。

 

ベッドから這い出す力もなかったので、実際にそれを実行に移す力がそもそもなく。

 

 

動かない体と働かない頭でただひたすらこの世を去る妄想ばかりに終始していました。

 

 

しかし不思議なもので、その妄想をしているときが一番「生きている」感覚があったんですよね。

 

 

あの頃の私にとっては「この世を去ること」というのが唯一の希望だったように思います。

 

 

 

ちなみにこの時期は動くことがそもそも無理で、風俗もやめていたと思います。

 

収入がないので、生活費は借金で賄っていました。

 

 

 

この頃から私は人との交信をことごとく絶っていました。

 

しかしあるとき実家の母が不審に思い、アポなしで私の住んでいたマンションにやってきました。

 

 

私はチャイムが鳴っているのに反応できず、母は最終的に勝手に家に入ってきて(ドアの鍵空いてたので笑)ベッドで生きた屍みたいになっている娘を見て開口一番「家に帰っていらっしゃい!!」と叫ぶように言いました。

 

 

私は借金していることは母に絶対に知られたくなかったので、借金を返すまで実家には帰らないと決めていたのですが

もうこの頃は人の声が聞こえているのに聞こえていないような、音が耳元でハウリングしているような状態で

とにかく何も考えられなくて体も動かなくて自分が何喋ってるのかもよくわからなかった状態で。

 

 

でもそれに気づいていない状態だったんです。

 

 

そんな中で青い顔して血相変えて私に帰ってこいと連呼する母を見て

「ああ私そんなにやばいのかな」

と働かない頭でボーっと思い。

ボーっとした頭で「わかった」と小さく返答したような記憶があります。

 

 

 

これから数日後、私は実家に帰り、相変わらず実家でも寝たきり生活を送っていました。

 

 

しかし一人で住んでいて寝たきりだと誰とも喋らないけど、実家には母や弟がいるので、いやがおうも喋る機会があり。

 

それがとても救いになったように思います。

 

 

自分がなぜこんな状態になってしまったのか、については全然喋る気にはならなかった(というか、借金のことなどは墓まで持っていくつもりだった)けど、ご飯食べたりテレビみたりどうでもいいことでもポツリポツリと話せる時間が増えてくると、私の体調は少しずつ少しずつ回復していき、寝たきりで動けない、というような状態からは脱して行きました。

 

 

 

そして体が少し動くようになったときに今までずっと避け続けてきた「病院にいく」ということを選択しました。

(なぜ医者にかからなかったのかというと、医療費にあてるお金がなかったからです)

 

 

 

行ったのはもちろん心療内科。

 

 

診断された病名は「うつ病」でした。

 

 

 

2に続きます↓

 

 

 

 

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