言葉 | 紗菫の部屋

紗菫の部屋

My thoughts and memories

 
先日のとしちゃん放送中の6分ほどの間に経験し、
感じたことを書き残しておこうと思います。



としくんはいつも、歌声という最高の贈り物をファンみんなに届けてくれるだけじゃなく、
Twitterでファンのツイートやリプに「いいね」をしてくれたり、
ファンからのプレゼントを着て見せてくれたり、使って見せてくれたり、
としちゃんの放送でお便りを読んでくれたり、
ファン全体という1個の集合体としてだけではなく、
ひとりひとりの想いを丁寧に丁寧に掬い上げるように、
ファンから受け取ったひとつひとつの愛に応えてくれるように、
できる限りファンのひとりひとりと関わろうとしてくれていますよね。


先日、初めてとしちゃんでメールを読んでいただきました。

おそらく多くの方がそうなのではないかと思いますが、私もいつも、
自分のお便りを放送で読んでもらいたくて書いているというより、
自分の想いをとしくんに伝えたい、あるいはとしくんに話を聞いてほしい
というような想いで書いています。

私はライブの時にもいつもとしくんにお手紙を書いていきますが、
毎回自分でも自覚しているくらいかなり長くて暑苦しい内容なので、
正直なところとしくんはこういう手紙ってどう思ってるんだろう?とか、
迷惑じゃないかな?とか、嫌な気分にさせちゃってないかな?とか、
変なこと言っちゃってないかな?と、ずっと不安があったんです。

としちゃんのメールもそんな感じで書いていたりするので、
内容的にあるいはボリューム的に放送では絶対読まれないだろうという
前提で書いていることがほとんどで、
特にマスカレイド・展に関しては毎回相当暑苦しく書いていたので、
もしも読んでもらえたら嬉しいけれど、
読んでもらえることは絶対に無いだろうと思っていました。


なので、先日読んでもらえた時にはホントにホントに超ビックリで、
自分の書いた文章をとしくんが声に出して読み上げてくれるというのが
これほどまでに衝撃的なことだとはまったく想像できていなかったので、
としくんの朗読を聴きながら大パニックでめっちゃアワアワしていました
あせる

としちゃんで毎回いくつもお便りを読んでいるとしくんには、
このくらいのボリュームなら読むのにこのくらいかかる、というのは
大体予想はついていたと思いますが、
それでもあえて読むのが大変なあんな長文メールを選んでくれて、
途中で切り上げることもなく最後の挨拶以外全部読んでくれて、
あぁ、私の想いも掬い上げてもらえたんだって、報われたように思えて、
今まで書いてきた手紙も受け入れてもらえてたのかなって安堵することができて、
ホントにホントに涙が出るほど嬉しかったです....
乙女のトキメキ


としくんが朗読してくれているのを客観的に聞きながら、
自分でも、ホントに長いな、めっちゃ暑苦しいな、と思っていましたが、
画面に「長い」「長すぎる」「苦手」というようなコメントがいくつも流れるたび、
すいません
汗すいません汗とすごく申し訳ない気持ちになり、
こんな長いメールを読んでしまったことを
としくんも後悔してないかなと思ったりもしました。

でもとしくんは、「短く...」というコメントに
「短くしなくても別にいいんですよ、長くどんどん書いてください」
と言ってくれて、それはもちろん私に対してだけではなく、
長いお便りを書きたいすべての人に向けて言ってくれた言葉ではありますが、
自分の書いた文章によってどなたかを不快にさせてしまったという、
罪悪感のようなものを感じていた私の心をその言葉が救ってくれて、
ホントにとしくんは人の想いを繊細に感じ取ってくれる、
聡明で優しくて温かい人だなぁって、あらためて感動しました....。


匿名で数秒で流れて消えてしまうニコ生のコメントは、
そこまで思慮深く慎重に言葉を選ぶことなく、
その時思った正直な気持ちを軽いノリで書いてしまうことも多いと思います。

別に誰かを傷つける意図や悪意がある訳ではなく、
ただ見た人がどう感じるかなどは何も考えずに、本心を正直に書いただけ。

だからたとえ見ていてネガティブな気持ちになってしまうような言葉でも、
いちいち気にせずスルーすればいいというのはわかっていたつもりでした。

だけど、実際に自分がほんの僅かでもコメントを受ける側になってみると、
決して攻撃的な言葉や酷い言葉ではない、何気ないたった数文字の言葉でさえも
棘が刺さるように感じてしまったり、
逆にあたたかい言葉にすごく励まされ救われる想いがしたり、
言葉というものの重さをあらためて感じさせられた気がしました。


大袈裟かもしれませんが、たったひとことであっても、
その言葉に宿っているネガティブな気もポジティブな気も
聞く側読む側は受け取ってしまう。

としくんのような大スターの方々の所には、ネットが普及した近年では特に、
メールやSNSやブログへのコメントなど日々膨大な量の言葉が届くと思いますが、
言葉と共に伝わってくる膨大な量の気を常に受け続けるのは
ホントに大変だろうな...と思います。

中には「なんでそういうこと言うんだろう...」と思うような言葉もあったり、
もちろんそういうものすべてに反応していたら心が持たないし、
うまく受け流す術は仕事柄当然身に着けてはいると思うけれど、
としくんのように真面目で誠実で繊細な人は、そういうものも
多少なりとも真剣に受け止めてしまうのではないかと心配になったりもします....。


でもとしくんがいつも私たちに聞かせてくれる言葉は、
喜びだったり、感動だったり、感謝だったり、尊敬だったり、称賛だったり、
あたたかくて美しくて愛のある素敵な言葉たち。

その言葉を聞いて、私たちも嬉しくなったり、幸せになったり、
楽しい気分になれたり、前向きになれたり、安心できたり、感動したり、
言葉で想いを伝えてもらい共有してもらえることで、
としくんの放つ健やかで明るくて美しい気も一緒にもらえるようで、
その気を受け取ることで、日々の生活の中で心に付いてしまった汚れも
洗い流されていくような感じがします。



「愛する言葉は 愛だけ伝える」
「争う言葉は 争い伝える」
「希望の言葉は 希望を伝える」

ホントにその通りですよね....。


言葉の意味だけじゃなく、そこに宿る想いや気も一緒に運び、
時に凶器にもなり、時に救いや癒しや支えにもなる言葉。

本音を言ったり愚痴を吐き出したりすることももちろん必要だけど、
なるべく自分自身にも人に対してもポジティブでいられるように、
自分が発する言葉というものにもっともっと気をつけようと
あらためて思いました。




子供の頃から作文とか読書感想文とかは大の苦手で、
読みやすい、わかりやすい、面白い文章などは到底書けないのですが、
地面の穴に向かって一人呟いてるようなこんな拙いブログを読んで下さり、
本当にありがとうございます
虹