読んで下さる皆様、いつもありがとうございます。
久しぶりに書いてみようと開いてみました。
タイトル通りのお話をしようと思います。
「育てる」とは・・・
「子供を育てる」
「部下、後輩を育てる」
「児童、生徒、学生を育てる」
等などあるでしょう。
「育ててもらう」
逆にそんな立場の人たちもいますよね。
この「育てる」を目の前にする時、皆さんはどんな意識を持ちますか?
意識なんてしなくても
「勝手にお相手が育っていく。」
なんて言われたりします。
この「勝手に育つ」とは、お相手が優秀なんじゃないかな。
優秀じゃなければ、習得できないと考えるからです。
育つ側はきっと、
「見る」「感じる」「考える」
これらをする事で自分で判断しながら、
学ぶ姿勢なのかもしれません。
では、「育てる」に必要なものってなんでしょうか。ある意味これは「教育」でもあり
「教える」にも共通するものなのではないかな。
教育者・上司・親・兄弟など立場は様々ですよね。
立場なんて無くてもいつの間にか
「教える」「教わる」
なんてことも。
さて、話は戻ります。
「育てる」に必要なものは何でしょう。
シーナに来る神仏さまからのメッセージは
「謙虚な心」と「学ぶ姿勢」
なんだと。
「謙虚な心」このメッセージは
次のように言われます
「よいか。「育てる」は、
「育てさせて頂く」と言う意識を持つか否ぞ。唯の「育てる」の意識はいつの間にか
「育ててやっている」と言うものへ変わりやすい。
これは、「傲慢な心」へと変貌する可能性を秘めるのじゃよ。
つまりはの「謙虚な心」なんじゃよ。
謙虚な心であれよ。
さすれば、たとえ間違っても自分を正せるのじゃよ。
では、もう一つ。
「育てて貰う側」じゃ。
これは何が必要かの。
これはの「素直な心」ぞ。
この「素直」を履き違えてはならぬよ。
「素直」と「従う」は表面上は似ておる故に間違えるではないぞ。
真の「素直」とは
相手からの真意を理解した上で
「教えてくれている」
「育ててくれている」
つまりはの「大切にしてくれる」
「真心」の有無の見極めじゃよ。
最後に「学ぶ姿勢」
これはの、
「教え、育てる側」
「教えてもらい、育てて貰う側」
双方共に言えることなのじゃよ。
親は我が子から教えられ
子は親から教えられる
「共育ち」なのじゃよ。
ほらの、こうなれば
どちらが偉いわけでもないのじゃ。
お相手は自分の成長に必要なものが詰まった『教科書』なのじゃよ。
又、「わたしの教え方が悪いのか。」
とお相手が良きようにならぬ時もあり、
自分の無力さを感じる時もあるであろう。
そんな時こそ、自分が成長する
「時と次節の到来」であることの証なのじゃよ。
全ては己を成長させる為のご用意頂いたものなのじゃよ。」
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