キキちゃんが次回作での卒業を発表されました。

とてもショックです。

もう少し、せめてもう一作、

続けてくれるといいな、と思っていましたし、

もともと長くないだろうとは思っていても、

『Le Grand Escalier』を観て、

もっともっと、キキちゃんの宙組を観たい、という想いが、

強くなっていました。

 

 

宙組をめぐるこの11か月間については、

いろいろな思いがありすぎて、

簡単には文章にできませんでした。

 

組ファンの中にも、キキちゃんたちが宙組を壊してしまったと感じて舞台を観られない方もいたようですし、

それを否定することは私にはできませんが…

私自身は、宙組やキキちゃんを応援する気持ちは、

はじめから、微塵も変わることがありませんでした。

 

そう言うと、お花畑などと揶揄する方もいるのですが、

そもそも私は今回の件を、被害者と加害者、という二元論でとらえてはいません。

私たちから見て夢の世界であっても、

タカラジェンヌたちにとっては現実であり、職場であり、人生をかけた戦場であり…

そういう中で心が行き違ってしまうことは、どんな人間関係の中でもありうるし、

それが、亡くなった彼女の心が追い詰められていった中の、原因のひとつなのだろうとは思う。

でも彼女の心の葛藤のすべては誰にもわからないし、

ましてや第三者が、「これが理由」とひとつに断じることができるほど、簡単なものでもないはずです。

 

亡くなった彼女のことが可哀想じゃないのか、

宙組ファンは公演さえできればいいのか、という言葉も、

何度も目にしました。

 

でもね、

宝塚を知らず叩いているだけの人たちよりも、

組ファンである私たちのほうが、何倍も彼女の死を悼んだと思いますよ。

あたりまえでしょう?

無責任に叩いている人たちの中に、

実際に彼女の舞台姿を見たことのある人・覚えている人がどれだけいただろう?

私たちは覚えていましたよ。

歌声だって耳に焼き付いてますよ。

映像を見ていて端に彼女の姿が映ればすぐに気づくし、今でも涙が出ます。

大切な贔屓組の子が亡くなった。

そのことに、ファンとして傷つかなかったわけはないです。


だけど、そういうことも全部ひっくるめて、

自分がずっと見てきた宙組、

これからも前に進もうとする宙組を信じたんです。

 

 

私のように内情を知らないただのファンにでもわかるような、

劇団の慣習などに関するあきらかな事実誤認記事や、

意図的とも思える誤解を招く見出し…

そういうものを平気で垂れ流す週刊誌を、

まるごと信じる理由は、私には、ありません。

それを鵜呑みにすることのほうが、私にはお花畑に思えます。

 

嘘もあるかもしれないけど、事実だって書かれてるかもしれないじゃないか、という人もいます。

でもね、嘘を嘘とわかって書く媒体は、

例えその中にいくつかの“事実”を織り混ぜたとしても、

“真実を追求する”気などさらさらなく、

断じて信用に足るものではあり得ないし、

そのために誰かが悪者になってもおかまいなしなのですよ。

 

そう思うのは、

私が10年以上、雑誌の編集に携わり、

演劇界の人たちの取材も経験し、

舞台を作る人たちの言葉や心を、どれだけ曲げることなく伝えられるかということに、心を砕いたことのある人間だからです。

自分の言葉選びひとつ、表現のちょっとした違いで、読者の誤解を招いてしまうこと、

その責任の重さを、少なからず知っているからです。

 

そのような私にとっては、

今回のように、意図的に虚実混在させて人格を攻撃した週刊誌の報道を、

私が自分自身のこの目で、例え舞台上だけであっても30年以上観続けてきたタカラジェンヌたちの真摯な姿以上に、

信じる理由などないのです。

 

 

彼女を救えなかった、守れなかった、

あるいは積極的に救おうとしなかったかもしれない、という意味では、

上級生たちに非がなかったというつもりはありません。

だけど本来そこは、劇団がやるべき領域のはず。

プレイヤーである劇団員たちの、それ以外の負荷が多すぎる体制にこそ問題があったのだと思うし、

劇団がパワハラに抵触すると認めた言動については、

宙組だけの問題として矮小化されるべきものではなく、

言ってしまえば、エンタメ業界全体が向き合うべき問題でもあるでしょう。

 

だからこそ劇団は、生徒個人の責任を追及するのではなく、

劇団・企業としての責任を以て和解としたのだと理解しています。

そうでなければ、週刊誌は味をしめて、

“次の芹香斗亜”を探し始めたことでしょう。

(実際に、パワハラネタは他組にも波及し始めていましたよね)

 

 

これによって、ある意味守られた形にもなった宙組生ですが、

実際には、辞めるほうがよっぽど楽な心境だったはず。

居座るなんて図々しい、という人もいましたが、

もし自分なら、あんな針の筵の状況で、

泣き言も釈明も許されない中で

気軽に残ることができると、本当に思うのでしょうか。

何もかも捨てて逃げることができるなら、どんなに楽だったことか。

 

でも舞台に立ち続けることを彼女たちが選んだのは、

宝塚や宙組への信頼を、

自分自身で、その舞台姿で、取り戻すしかない、という責任感ゆえだと思います。

そして劇団も、それを課したのだと。

 

 

『Le Grand Escalier』を観れば、

舞台に立てなかった8か月あまり、宙組生たちがどのように過ごしていたのか、

その一端が見えるようでした。

 

研10を超えるような中堅~上級生までもが、

あきらかにスキルアップしていましたし、

下級生にいたるまでみんながプロとして、実に堂々と、凛々しく、

舞台上から、笑顔を届け続けていました。

そして、最初こそ硬く慎重だったキキちゃんの笑顔も、

千秋楽には本物になったと、感じた方も多いはず。

 

もし報道にあることが全てなら、

みんながこれほどまでに、キキちゃんを中心にひとつになることができただろうか、

と…

 

 

そんなことを感じていた中での、

今回の発表でした。

 

 

会見でキキちゃんは、

3作と決めていた、と言っていました。

 

公演再開が決まったときから、

劇団とキキちゃんの間で、合意があったのかもしれませんね。

 

でも私は、

発表時期が通常より遅かったことや、次回作が日本物であることを考えても、

劇団には、まだキキちゃんを続投させるシナリオもあったのではないか、と感じました。

 

その上で、今回の公演を終えて、

キキちゃん自身が納得して、最終的に決めたことだったんじゃないかと。

 

もちろん、

そうであってほしいな、という、

私の勝手な推測…というか、希望にすぎませんが。

 

 

割れた卵は戻らない、

失ったものは還らない。

 

だとしても。

 

トップとして、今果すべき責任は、

ひとつ、果たすことはできたと、

キキちゃんが思えたのではないかな?

 

 

そう思ったのは、

それくらい、『Le Grand Escalier』が、

キキちゃんが作り上げた宙組が、すばらしかったから。

 

そして、あの公演での宙組生たちの姿を見て、

やっぱり宙組を応援していきたいと思えた人が多かったのではないかと、

そう感じたから。

 

 

だとしたら…

 

 

背負ってしまったあまりにも重すぎる十字架をいったん下ろして、

最後は、キキちゃん自身のために、

キキちゃんらしく、

笑顔いっぱいの舞台を見せてくれたらいいな、と思います。

 

 

そして最後の日に、

キキちゃんが、あの大階段の頂に立った自分を、

誇らしいと思えるようにと…

 

 

心から願います。