「家族のために」といろいろ選択した私は
頭のどこかで
私は自分を犠牲にしている
という気持ちがあったんだと思います。
さらに
母も、亡くなる少し前に
いらはには好きなことさせてやれなかったな
と私に言ったことがありましたので、
家族のためにあきらめさせてしまった、という
負い目があったのかもしれません。
私が「犠牲になった」
親が「犠牲にしてしまった」と思った時
私は
じゃあ、少しくらい甘えてもいいよね?
と思い、親は
少しは援助してあげよう
という気持ちになったのかな?と思います。
結婚して3年目に新居を建てましたが
土地の登記も、家の設計も、みんな親がかりでした。
それでも、壁紙を選ぶのさえさせてもらえなかった時は
「それは私がしたかったのに」と
文句を言ったけれど
もう少し、主体的に動けたらよかったな、と思いますが
過ぎてしまったことは仕方ないですね
一事が万事、こんな風にすすんでいきましたので
いつしか私は
自分では何も決めることができない
自分で何も決めようとしない
そんな人になってしまいました