「自分はしあわせになれない」と思いながら過ごした日々に
後悔を感じたこともありました。
でも
「あの時はあの時のこと」
「むりもなかった」と
割り切ることができました。
それでも
子ども達に悪いことをした
という後悔は、ずっと心にかかえていました。
毎日一緒にいる母親が
「自分はしあわせになる資格がない」と思って
自分達を育てたとしたら…
子ども達はどんな風に感じていただろうか。
先日、いつものようにそのことを考えていました。
いつもなら
「悔やんでも悔やみきれない」みたいに
くよくよして終わるのですが、
その時は違いました。
私がどんなに後悔しても
それが、これからの何かに役立ちますか
それに何の意味がありますか
「許して」と言ったところで、
あわよくば許してもらえたとして、
それがなんになるんだろう
あの頃に戻ってやり直すことはできますか不可能ですね
悪かった、という反省は大事
でも、それをずるずるとひきずることになんの意味もない
「悪かった」と思うなら、そう思っている時間に
一箇所でも雑巾かけるとか、ひとつでも野菜切るとか
そういう時間に使うべき
くよくよする時間があるなら、
今、ここで、できることを精一杯やるための時間にまわしたいな、
って思いました