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愛ちゃんのブログ『Sparkling Girls Go Go』に、インスパイアされています。
以下、わたしはこのように感じました。
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ひっさしぶりに風邪を引いた。
妊娠中は引かなかったから、かれこれ1年以上ぶりだ。
風邪といっても悪寒がするわけでもなく、熱が出ているわけでもなく。
ただノドが痛いだけで、日常生活は普通に送れるレベル。
でもガツンと行動すると悪化する予感なので、今は家で安静にしています。
ただ…ノドがつぶれました。かっこ笑い。
声が出そうとするとノドが猛烈に痛むし、
そもそも声が出ない。ほぼ出ない。
なんか、かすれてる音しかしない。風に飛ばされる落ち葉みたいな音。
カサカサカサカサ。
そんなこんなで、一昨日からほとんど話していないです。
なんか、こうやって文章が書けていることが不思議で仕方なくなっちゃう。
こんな言い方、ちょっと大袈裟かもしれないけど、
私、まだ言葉を覚えてるじゃんって。
そんなことよりも何よりも、私が驚いたことは、
私が話さなくなっただけで、我が家がとーっても静かになったということ。
なんかしらん、私、娘さんに絶えず話しかけてたもんだから、
それが無くなって娘さん、ちょっと戸惑っていらっしゃるご様子。
たまにノドの痛みを忘れて話しかけると、世にも恐ろしい声が出るもんだから、
娘さんにしてみたら、ほんと、訳分かんない状況なんだろな。
(ずっと話してないからかしらん、ブログが独り言みたいになっている。
そして文体がいつもとはえらく違っていることに気づいたけど、
それはそれでいいやということで)
そんなこんなそんなこんなで、話せなくなって気づいたこと。
(ここからが本題。そして覚書。)
それは、私がいかにいかに、「聞いてこなかったか」ということ。
心の声。私の声。家族の声。家の声。食べ物の声。体の声。
全て全ての声。つまり、宇宙の声。
私は話すことで、つまり声を発することで、
それらの声…つまり1つの声、たった1つのその声を聞かないでいた。
避けてたつもりはなかったけど、結局、私は信じられなかったんだと思う。
たった1つのその声を。
愛はコミュニケーションだって、愛ちゃんに教えてもらった。
でもコミュニケーションって何だろう。
それは「伝える」「伝えられる」という
相対的な関係を持たないことなんだろうと、今は思う。
その声、たった1つの「その声」は私にもあなたにも聞こえるはず。
私の声は、あなたの声。あなたの声は、私の声。
つまり私たちの声、聞こえたその声は、宇宙の声。
でも「その声」の内容は、きっと人それぞれ違うんだろう。
それが「個性」というものなんだと思う。
そしてこの「個性」がキャッチするものが「お役目」なんだろうな。
それぞれの個性でキャッチする「その声」は
「たった1つの声」、つまり「宇宙の声」。
だから何よりもまず、聞くこと。
耳をそばだてるのではなく、心を静寂にすること。
そして聞こえたことを、実行すること。
宇宙の声を信じること。
実行するという「経験」を積み重ねて、
宇宙と共に在ること。
「共に在る」ことを通り越して、
その「たった1つ」になること。
「なること」を通り越して、ただただ、平たくなること。
「その声」が聞こえたら、それはお役目をいただいたということだから、
実行に移さなくちゃだ。
というか、実行できることなんだと思う。
実行に移すために必要なことは、ちゃんと起こる。
恐れる必要はない。
っていうか、恐れてるのは自分であって、
私は恐れてなんかいない。
宇宙に恐れはないんだ。
だから、私はやる。
声を失ったことで、そんなことを感じました。
愛ちゃん、ありがとう。
私、聞いて実行します。
コミュニケーションのイメージ画(以前のブログにも載せたやつ!)