鶏が先か、卵が先か。
昔から水泳という競技は普段はほとんど注目されず、
4年に一度、オリンピックのときだけ、人が突然集まってきていました。
選考会から急に報道陣の数が増え、
代表合宿の公開ともなるとプールサイドにズラーーーーーーッと報道陣が集まります。
取材の数もブワっと増えるし、扱いもオヤっと思うほど変わる。
しかし、予想通りの結果か出なかったと同時に蜘蛛の子を散らすが如く人がいなくなりました。
私は実際にこの現象を経験していますが、
別に恨みがあるとか、腹が立つとか思ったことはありません。
マスコミにとってそれは仕事としての当然の行動だし、
他の人たちにとってみても結果が見えないのでは面白くないでしょう。
最近、テレビでスポーツ中継がゴールデンタイムに行われることがよくあります。
これは「世界陸上」の成功が始まりと言われていますが、水泳でも
世界選手権(世界水泳)
パンパシフィック選手権(パンパシ水泳)
など某民放キー局で中継されてきました。
そのお陰で「4年に1回」から「夏は水泳」へと変化し、それと同時に、
最初はほんの数名のスターだけだったのが、今では全体的なレベルアップをしたキッカケになりました。
【参考】
シドニーオリンピック(中継など行われる前)
金0銀2銅2
アテネオリンピック(シドニーの翌年から中継が行われるようになった)
金3銀1銅4
では、
①注目が集まるようになったから、全体のレベルが上がったのか?
→注目が集まると選手たちに自覚とプライドと欲が生まれます。
自覚は「負けられない」と思う気持ちだったり、「見られている」という緊張感を生みます。
プライドは自分は注目されるに値するだけのことをやっている・出来ているという自信を生みます。
欲はもっと強く、もっと速く、もっと注目されたいという向上心を生みます。
これらが選手のパフォーマンスを向上させる大きな要因になります。
現役選手がどれほどこれらを解っているかは置いておいて・・・
②全体のレベルが上がったから、注目が集まるようになったのか?
→「自己ベスト記録」じゃなくて「日本新記録」「世界新記録」。
「決勝進出」じゃなくて「メダル」「表彰台」。
新聞やニュースでそう流れるだけで目に留まります。
強いなら見てやろう、応援してやろうと思うのは人の気持ちとして当然の流れでしょう。
さて、このふたつのうちどちらが正解なのでしょうか?
私はバルセロナ後からアテネの前年まで内側でことの流れを見てきました。
そして今は外側から眺めていますが・・・・どちらとも正解だと思っています。
と言うより、両方のタイミングが合って、
同時進行で起こったことが今のメジャーな水泳を創り上げていったと思います。
そしてこれらには逆のことも言えるのではないでしょうか?
①⇒レベルを上げるためには、注目されることで自覚やプライド、欲を煽る。
②⇒注目を集めるためには、結果・成績を上げる。
これを今のヴォルティスに当てはめて考えてみましょう。
結果を出すために選手、監督、チームが出来る限りの努力をしています(そう信じています)。
私たちサポーターが出来ることはその後押しすなわち①のこと。
このふたつを同時進行させるためにも、私たちが諦めたらあかんのです
すなわち、
同時進行させるために私たちサポーターが頑張るときなんです