三歳の時に隣人の車にはねられ頭蓋骨骨折、高次脳機能障害になりました。
34歳の時に障害が判明しそれまで精神科医にもだまされてました。
ある一定より年配の精神科医には高次脳機能障害も発達障害の知識も無いのです。
というよりは、現在の若い精神科医もやがて古い知識を持つ精神科医に推移していくのです。
そして、精神科医は時間的に無理なのか知識をアップデートすることが困難な様なのです。
さておき、私は障害が判明するまで、いや、してからも地獄でした。
欲求や行動、感情がコントロール不能なことも多く、対人関係の能力も検査の結果小学校低学年レベルだからです。
様々なトラブルやストレスにさらされ頭も狂いました。
しかし、加害者がいくら障害基礎年金の加害者の欄に名前を書かなくても逆ギレしてきても。
騒音家族で朝の5時半からハーレーをふかしてても。電動ノコギリがうるさくハンマーがうるさくても。
許そうとしたけど、また許せなくなっても。
憎むべきでは無いのです。
憎しみはカルマとなって自分に返ってきます。憎まれても憎むべきでは無いのです。
江原啓之さんの考えですけど「憎んでくれた。憎しみは必ず自分に返ってくるのに憎んでくれた。憎むと言うカルマを背負ってくれた」そうなのです。
加害者も必ず苦しんできていると思います。「事故を1日も忘れたことは無い」と逆ギレしたときにそうも言ってました。
ならばなぜ、父が勝手に示談したとはいえ補償が30万しかないのか、障害基礎年金の申し込みの加害者の欄に名前を書いてと頼んだら。
「立場が逆ならそんなこと言えますか!(>_<)」と逆ギレしてきたのか。
でも正直、完全な人間はいません。私達は皆さん修行中です。飛んでもないこと言うこともすることもあります。少なくとも私はあります。
なので、例え許せなくなっても、憎むのはやめよう。そして、できれば、こだわりをなくそうと思うのです。
「こだわりは諸悪の根元、老け込むコツ」とは私の読んでいる美輪さんの本「人生ノート」に書かれていますね。
きっと私はこれからも憎みかけるかもしれません。でも、そんな時は「憎んでごめんなさい」と心に唱えると思います。