私は三才で交通事故。

隣人の車にひかれて、頭蓋骨骨折。

 

死にかけて、1ヶ月半入院して退院。

なんだか奇声を発したり、落ち着きが無くなり、おかしくなる。

医者には脳に異常なしと言われる。

人生がめちゃくちゃなのをごまかして、大人になる。

社会人になろうとしたが、できない。

 

34才の時に精神科で事故が原因で高次脳機能障害者か、生まれつきの発達障害者と言われる。

それまで、7年以上それらの知識の無い高齢者の精神科医に騙されてた。

荒れた。

障害基礎年金を受給した。

 

その後も障害に振り回されたが、交通事故の加害者をやっと許す気になれた。

最近は周りの人間に恵まれるようになった。

 

気が付いたら今月で43才の誕生日を迎える。

最近、同い年の大切な友達の癌のブロガーさんのブログ更新が5ヶ月近く無い。

その人は5ヶ月前、かなり体調が良くなく、最後のほうのブログでは、のたうち、叫びながら救急車で運ばれるなどして、あるくのも難しいようだった。

有らぬことを考えたくないけど、考えてしまう。

 

そして、先日は40才の若さで有名企業の社長さんが急性心不全でゴルフ中に亡くなったそうだ。

その人はきっと今日自分が亡くなるなんて全く考えてなかったのではないか?

でも、老いも若きも急性心不全や、くも膜下出血でいきなり亡くなるなんてよくあるそうだ。

しかも、昨日まで元気な人が。

 

まあこう書いてても私はあまり悲観してない。私は霊的な世界を信じるほうだ。

人間と言うのは生まれる前にどの両親の元に生まれるかどのような国や環境に生まれるか。

そしてだいたいいつ亡くなるか決めて生まれてくるそうだ。

 

だから「親ガチャ」なる言葉があるが実際には「子ガチャ」なのだ。

 

そもそも現世は修行の場であり、泣くのも苦しむのもその為に生きているようなもので当たり前なことだ。

前向きに明るく生きたほうが良いのは人は自分と同じレベルの人間と出会う仕組みに宇宙ができているからだ。

 

そして、亡くなってあの世に行くと仲間から「大変過ぎる現世から亡くなってやっとあの世に帰ってこれたね!良かった良かった(^^)」

と言われるそうだ。

逆に生まれてくる時はあの世の仲間から「これから現世に行くのか・・・大変過ぎるけどなんとか乗り切れ!(;_;)」

と泣きながら別れるそうだ。

 

不思議なものである。

 

とにかく、私は最近、やりたいことができていない。

私は障害者として試練を乗り越える事が自身の使命と思っている。

その経験をあの世に持ち帰り、魂の集団と融合して集団が成長するのだが、それを繰り返し行えばいつか生まれてくる必要も無くなる。

ただ、気が遠くなるほど遠い話。

 

で、最近の課題として脳細胞が損傷してるのか未発達なのか物事を決めにくい、勇気がない。

例えば、私は趣味でもゲームや映画や本を楽しみたい。

ただ、本当に脳が上手く動かない。なかなか挑戦できない。障害者として、これは試練。

きっと乗り切ればひとつ成長するのだが、このままだとなにもできず、80才になりそうだ。

精神科医に相談したが「やったことのあるものから始めたらいかが?」

さすがにプロである。

ゆえに私は本日より、経験したことのあるゲームを再び経験することにした。

 

長文読んでくださり誠にありがとうございます。