お寄りいただきましてありがとうございます。

 

今回は、「戸惑うのは、自然なこと」を書こうと思います。

 

■話すことに戸惑うのはなぜ?

 

カウンセラーを目の前にしても、

占い師を目の前にしても、

うまく話せない。

 

何がつらいのか、
どうしてモヤモヤするのか、
自分でもよくわからない。

 

でも不快感は残り続ける。

 

話せないのは、

いくつかの理由が複合的になっているからです。

 

・他人に迷惑をかけてはいけないと言われて育った

・自分で解決できない自分が情けない

・悩みを抱えていることを知られたくない

・そもそも自分の気持ちを表現する言葉をあまり知らない

・否定されるのが怖くて言えない

など

 

つまり、話せないのはあなただけではなく、

とても自然なことなのです。

 

■話すことのメリット

これは、以前の記事でも書きましたが、

気持ちの言語化をする方が良いと私は思います。

 

でも、言えないよね。

言葉を考えるし、
間違えたくないし。

 

それも自然なことです。
 

話せない時間は、
何も進んでいない時間ではありません。

自分の中で、
まだ形になっていないだけ。

戸惑うのは、自然なことです。

もし、
うまく話せないけれど、

モヤモヤをなんとかできるなら、

してみたい


そんなタイミングが来たら、
私を思い出してもらえたら嬉しいです。

 

急がなくて、大丈夫です。

 

BASEショップをそっと覗いてみてくださいね)

お寄りいただきましてありがとうございます。

みなさまの日常に、

ほんのり灯りをともす存在になれたらいいなと

思っているSumikaでございます。

 

ときどきこちらでお伝えしている、

「話す相手を選んでいい」について、

あらためて書いてみようと思います。

 

■なぜ、話す相手を選んでいいのか

たとえば、精神的DV被害を受けていた私の場合

これは、私自身の体験から感じたことです。

 

「夫から悲しい言葉を言われます。

 でも、頑張っても頑張っても何度も言われてしまいます。」

 

あなたならどなたに話してみますか?

①共通の知人友人

②自分だけの知人友人

③自分の親族

④その他(複数の相談員など)

 

私はすべてに話しました。

当時は、自分が「被害を受けている」と

認めること自体がつらかった時期でもあり、
今ほど相談先も多くありませんでした。

 

返ってきた言葉は、こんなものでした。

 

「あの人がそんなことをするわけがない」

「あなたにも落ち度があったでしょう?」

「そんな程度で離婚?子どもは置いていったら?」

「絶対子どもの意見を聞くように」

「理由はあるの?」

「えー、こわーい」

「うちには関係がないから」

「許すことは考えないの?」

「慰謝料ふんだくって離婚しなー」

 

心がボロボロだったとき、このような言葉は

想像以上に深く傷ついてしまいました。

 (話したことを後悔もしました。)

 

これは「二次被害」と呼ばれるものです。

 

でも、今こうして「カウンセラーSumika」がいるのは、

④の中でも、

次の一歩を踏み出せる言葉を持つ人に出会えたからです。

 

だから私は伝えたいのです。

 

話す相手は選んでいい。

 

友人だからといって、

すべてを話す必要なんてありません。

 

「誰もいない」と感じていませんか。
「この程度じゃ、相談にならない」と

思っていませんか。

 

悩みの大きさに、基準はありません。
 

でも、心にモヤモヤがあると、
日常は少しずつ、苦しくなっていきます。

 

そのモヤモヤ、
友人知人や親戚に話せそうでしょうか。

 

「話せないなぁ」と感じたなら、
それは、もう十分なサインです。

 

話すかどうかは、今すぐ決めなくて大丈夫。

Sumikaは、
その気持ちをそっと置いていける場所として、
ここにいます。

 

私のチカラが必要な方に届きますように。

BASEショップを覗いてみてくださいね)

ラーメンに込めた想い②では、

Sちゃんに言った言葉と娘の迷いを綴りました。

ここでは、

正論が正解とは限らないお話をしていきます。

 

■カウンセラーっぽくない視点

私は、カウンセラーという仕事をしていますが、 

この時、娘に伝えたのは、ただの共感ではありませんでした。

 

「無理に連れ出さないほうがいい」

「本人の意思を尊重すべきだ」 

という正論もあります。

でも、この場合、そうは思いませんでした。

なぜなら、その時のSちゃんは、 

自分を大切にするエネルギーさえも、 

枯れ果ててしまっている状態だからです。

 

そんな時に「あなたの好きなようにしていいよ」や

「○○に行ってみたら?」

となどと言われても、ひとりで実行はしずらいです。

より一層、Sちゃんは“孤独”を感じてしまいかねません。

 

それは、

 自由の尊重ではなく「孤独の放置」です。

 

娘が「私が食べたいから、ついてきて!」と言ったこと。 

 

それは、Sちゃんに「選ばせる負担」をかけず、 

「あなたがいてくれると、私が嬉しい」という

Sちゃんに役割を与えたことになります。

 

これは技術ではなく、

「お節介」という名のあたたかい人間関係。

 

社会との糸がプツンと切れてしまいそうなときに、 

「ラーメン、食べに行こうよ」 

そう言えるちょっとしたお節介と、

 細い糸を握り続けるしつこさだったりします。

■あたたかいお節介
何よりもまず、Sちゃんが娘に話してくれたこと。

ここが大きな一歩だと思います。


「誰にも会いたくない」

これはみなさん、

一度は経験がある感情ではないでしょうか。

「どうせ私なんて…」

そう思うことも普通にあるでしょう。

「もう、やってらんない!!!」

やり場のない怒りもありますよね。

 

その重い気持ちを娘に話すことができ、

娘はそれを受け止めて、次の計画を立てた。

娘は、Sちゃんの心に

お節介というあたたかい種をまいたのです。

 

まるで母のような視点ですよね。

(Sumikaの特徴のひとつです)

 

■言語化の大切さ

Sちゃんが娘に話せたこと。
娘が、自分の言葉を振り返ったこと。

この二つは、
「誰かに話した」という、確かな一歩です。

 

人は、動けなくなったときほど、
頭の中だけで考え続けてしまいます。
でも、言葉にした瞬間、
現実との距離が少し縮まります。

 

私は、
「何かを決めてから話す」必要はないと思っています。
整理できていなくても、
結論が出ていなくてもかまいません。

 

話したこと自体が、もう一歩だからです。

 

その一歩を、
私に話してもらっても構いません。

 

あなたの力を奪わない距離で、
あなたの一歩を受け取ります。

 

~すみかママがいる安心感を~

 

詳しくはBASEをそっとご覧ください。