福田正
さんが写真4枚を追加しました。
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「源義高、鎌倉を脱出編」
この文章は史実をもとに描かれたフィクションであります。
巻の二
830年前の今日6/
5は、数日前、鎌倉御所を出て3日が経っていた。もちろん、人知れず女房(偉人の身の廻
りの世話をする女のこと)に扮し、お共の侍を連れ、夜も明けぬ丑三つ時に決行された。
政子の計らいにより全てが万事順調のようであった。目指すは、亡き父の生まれ故郷、比
企の嵐山(埼玉県嵐山町)を目指す。ここには畠山氏が今は遅しと待ちかまえていた。
途中で女房の衣装から侍の衣装に着替え、早馬にて行きたいところではあるが、何せ、
厳戒態勢の鎌倉を人目に付かず馬を走らせることは容易ではない。深夜に行動し、朝から
は、身を隠すのに必死であった。無論、鎌倉御所を出て数日、鎌倉では大騒ぎになってい
ることであろう。そして、捜索、伝令の早馬も何頭も通りすぎている音と気配を感じた。
街道(鎌倉街道)の要所を先回りされていることは、間違いない。
昨日は、分倍河原(府中市)の農家の納屋に金子(きんす)を渡し、匿ってもらった。
そこで、馬も乗り換え、深夜に出発。嵐山までの道のりがこれほど遠く、危険であること
を感じたことは無い。小手指(所沢市)を一気に抜け、北上する。途中「七曲の井」で人
馬ともに給水。次は一番の難所「入間川の渡瀬」を目指す。ここは、地形的に一里四方を
見渡せる大きな川である。このところの渇水で川の水は多くなさそうであると踏む。何せ
見晴らしが良いことから、追っ手が先回りし身を潜めているとも限らない。この川を渡れ
ば、畠山氏の迎えの兵が農民に扮して待っていることになっていた。
入間川を見下ろせる高台についた。どうやら追っ手の姿は見られない。互いに、安堵の
表情を確認しつつ、目配らせをし、馬の速度を速め、一気に渡瀬を渡り、対岸へ向かう事
の合図だ。幸いにも水嵩(みずかさ)は浅く、馬が十分渡れる深さである。
その時だ。・・・・(明日へ続く・・・)











