ついこのあいだのことのように思えますが
7年ほど前にドイツで暮らしていたことがあります。
2011年の11月から2012年の11月までの1年間。
きっかけは、ふと自分の心に芽生えた気持ちでした。
ヨーロッパの空気をすって生活してみたい。
もの心ついたときからピアノ漬けの毎日だった私は
25歳の終わりにリサイタルを終えたとき、大きな達成感を感じていました。
まだまだ未熟なことはもちろんだったけれど
なにかひとつ、私のなかで大きなひとつの区切りがそこでついてしまって、背中にしょった重たいものがなくなった感覚があったのです。
もうここからはわたしの自由だ。と
その感覚とともに芽生えた欲求は、ヨーロッパでの生活でした。
正直なところ、ピアノをもっと勉強したいわけではなかった。
ただ、これほどまでに自分が必死に取り組んできたピアノ、音楽というものが、いったいどういうものか、
どんなところで生まれ、どういう歴史を持っていて、どういうものであるのか、ということを
肌で感じてみたかった。
それだけでした。
行くのならドイツがいいなという希望は前からでした。ベルリンを選んだのは、いちばん住みやすそうだったから。
ベルリンの部屋はちいさな屋根裏部屋みたいな雰囲気でした。
この窓辺から、絵を描いたり、パソコンしたり、地図を調べたり、メモを書いたり、
いろんなことを想ってた。
たからモノの1年間でした。
7年ほど前にドイツで暮らしていたことがあります。
2011年の11月から2012年の11月までの1年間。
きっかけは、ふと自分の心に芽生えた気持ちでした。
ヨーロッパの空気をすって生活してみたい。
もの心ついたときからピアノ漬けの毎日だった私は
25歳の終わりにリサイタルを終えたとき、大きな達成感を感じていました。
まだまだ未熟なことはもちろんだったけれど
なにかひとつ、私のなかで大きなひとつの区切りがそこでついてしまって、背中にしょった重たいものがなくなった感覚があったのです。
もうここからはわたしの自由だ。と
その感覚とともに芽生えた欲求は、ヨーロッパでの生活でした。
正直なところ、ピアノをもっと勉強したいわけではなかった。
ただ、これほどまでに自分が必死に取り組んできたピアノ、音楽というものが、いったいどういうものか、
どんなところで生まれ、どういう歴史を持っていて、どういうものであるのか、ということを
肌で感じてみたかった。
それだけでした。
行くのならドイツがいいなという希望は前からでした。ベルリンを選んだのは、いちばん住みやすそうだったから。
ベルリンの部屋はちいさな屋根裏部屋みたいな雰囲気でした。
この窓辺から、絵を描いたり、パソコンしたり、地図を調べたり、メモを書いたり、
いろんなことを想ってた。
たからモノの1年間でした。