過ぎたことは夢・・ -4ページ目

白昼夢

白昼夢」

しじまなる 椰子の葉陰に

 珊瑚打つ 白灼の浜に 

吾が胸を 去来するもの

 そは 望郷の白昼夢

 

いみじくも 過ぎし戦(いくさ)に

 砕け散る 月光の海に

消え去りし 戦友(ともの)面影

 ソロモンの海 闇なほ暗し

 

イサベラの島影淡く

 筆刷かん 空の深さに

うたかたの 夢見る眼にて

 もとほりつ 碧き海見つ

 

唯独り 渚に佇ちて(たちて)

 吾が生命(いのち) 尊くも(とおとくも)永きに

母人(ははひと)の 愛を想えり

 はらからの 心に泣けり

 

 

大東亜大戦中ガダルカナル攻防戦に大敗を喫し、かろうじてラバウル島ココボに生還、翌朝海岸に佇ちて呆然たる思い。 二十六才の秋なりし

 

       

前回書いた「百寿のお祝いの会」の日に頂戴した「百年の追憶(あゆみ)」の中に書かれた

彼の詩でございます。美しいメロディーがついて二期会のソプラノ歌手、ひらやすかつこさんの美しい歌声で歌ったCDをお土産に頂戴いたしました。

ビバ!100才!

 

百寿のお祝い

主人の古いお友達、私も含めて大学の先輩の

百寿のお祝いの会にお招きいただきました。

ホテル大倉で約180名のご招待客!

若々しくすっきりと薄いグレーの背広姿のダンディな彼!

とても100才とは思えない矍鑠として招待客一人一人と

立って握手でお出迎えです。

宴が始まり司会者の方のご紹介で壇上に上がられて

「私は大正5年9月13日生まれ、本日無事100才になりました。」

とよどみないご挨拶が始まりました。

後ろにご子息夫人が万一を考えられてか控えておられましたが

原稿を読まれないではっきりとした口調で

ご自分の100年のご経験をユーモアたっぷりに話される。

すごいでしょう?

ご家業の虎ノ門にある大きな文房具屋さんの成り立ちから

お父上が早くに亡くなられてご自分が大学生の時

20才で社長になられたが大学卒業後浜松高射砲連隊に入隊

士官になって南方ガダルカナルで戦いラバウル島で終戦

多くの部下や戦友を亡くしたことなど

ゆっくりと情感込めてのお話に聞き入りました。

こんな100才ってあるでしょうか?

私たち夫婦はご夫妻となんども旅行をいたしました。

アメリカ、カナダ、沖縄、北海道、九州、京都は何回も

にっぽん丸での日本一周の船旅は本当に楽しかった!

書道、日本画、長唄、謡、とご趣味も豊富

特に俳句はお名前の通った俳人で

ご一緒の旅行中は俳句を作るのに私ども夫婦は

四苦八苦ではございましたけれど。

アトラクションとして二期会のオペラ歌手の方が

歌われた中に彼の作詞の「白昼夢」は

多くの戦友を亡くした思いがこもっていて

素晴らしい曲でお土産にCDをいただいてまいりました。

82才、車いすで出席した私がたくさんたくさんの

エネルギーをいただいた百寿のお祝いの会でございました。

 

 

 

 

 

どうなるのかしら?

 新しいウィンドウズ10にかわって、やっとブログを書いてみます。

なんだか画面が変わってちょっと不安ですが・・・

新しいパソコンの設定などをずっとお世話になっているパソコン教室の先生に自宅に来ていただいていろいろおしゃべりをいたしました。

最近パソコン教室に新しい生徒さんが入られたそうですが、その方は80才代、私より年上で全く初めてパソコンを習われるとか。すごいと思いませんか?

現在82才の私が初めてパソコン教室に通ったのは60才のはじめでございました

50才の中ごろにNECのワープロ教室に通ってワープロを大変便利に使っておりました。

そろそろパソコンが出始めてその教室でパソコンのお試し授業を受けてみましたら、

「そもそもパソコンは2進法で・・」と何やら全くわけのわからないことばかりで、とても無理!とあきらめたのでございました。

 それから何年かたって、弟から「パソコンやれよ。」と勧められて新宿のヨドバシカメラでウィンドウズ98を買い求めて弟の指導で始めたのでございます。ほどなく歩いて行けるところにパソコン教室ができてそちらに通ってワード、エクセル,インターネットと習いました。1クラス5人ぐらい、50代から60代の同年齢の女性ばかりで気楽で本当に楽しいお教室でございました。

一通りのことができるようになってからは、それぞれがやりたいことを別々に先生の指導を受けながらやることもございました。ある方はご自分の俳句の句集を編纂される、また親戚に配るためにご自分の家の家系図を作っている方、写真を入れたホームページを作る方などそれぞれに別々のことを教えてくださる若い女性の先生も本当に大変だったと思いましたが

少人数のアットホームなお教室で過ごす2時間は本当に楽しく有意義な時間でした。

 そして82才の今、なんとかブログを書いたり、エクセルを使ってちょっとした仕事もしたり、歩くことが不自由になって自分でスーパーに行ったり銀行に行けなくなって、アマゾンや楽天などで買い物をしたり、ネットバンキングでの振り込みができて、本当によかったと思っております。

 でももし新しい85才の生徒さんのように、今!一からパソコンを習って使えるようになれるかは全く疑問です。私がスマートフォンで孫やお嫁さん、息子たちとラインで連絡を取ったり、ツムツムで遊んだり、(笑われそうだけどポケモンGOもね)できるのは60代でパソコンを教えていただいたおかげだと思いますから。

フレーフレー!新入生の85才の生徒さん!高齢化社会、90才100才目指しましょう!

 

勝手に!!

たしか5月21日の土曜日

いつものようにパソコンを立ち上げたら

いつものようにウィンドウズ10へのお誘いの画面、

いろいろな方から「あれはしないほうがいいよ。」

「必ず✖で消すこと」とおすすめを受けていたのに

ちょうどインターホンがなったので

もしかしてあわてて「あとで」をクリックしたのか?

しばらく席をはずして戻ってみたら

パソコンの画面が真っ黒でなんだかアップデート中

「なにこれ?」とぶぜんと見ていたら

突然「ウィンドウズ10にようこそ」!

「えー!」と私は許可した覚えが全くないのに・・

画面はすっかり変わってしまって

「あなたのパソコンの中身はすっかり移動しました。」

と画面には出ているけど

「ドキュメントはどこ?」「ピクチュアーは?」

なんとかインターネットを開いてみても

ネットバンキングの銀行も買い物のアマゾンも

毎週取り寄せているデリバリのお店も

みんなどこに隠れてしまったのか・・

パニック状態でパソコンの先生にSOS!

3日後に来ていただくまでパソコンは開きませんでした。

次の週スポーツニッポンに「強制アップデートで大変な目」

にという吉永みち子さんの記事が出ていて

全く同じ目に合われたらしい。

やはり吉永さんも助っ人さんに来てもらって

いろいろ大変だったそうです。

彼女の言う通り「誰もいない部屋でいきなりパソコンが動き出し

カチャカチャと持ち主の望まない作業を

着々とやっているというのは不気味である。」

「強制アップデート」ってありなのでしょうか?

80過ぎのおばあさんには理解できない

ちょっと恐ろしい出来事でございました。

夫婦漫才

「ママ、あれはなんだねぇ。」

と言ったきり旦那様は絶句・・・

1957年に結婚した私たち、もうすぐ結婚歴60年

(何婚式?)

いくら以心伝心の糟糠の妻だって

せめて「あれは」か「なんだねぇ」のどちらか固有名詞がないと

なにがなんだかわからない。黙って顔見ていたら

「もういいや。」

「確かに言った!」「聞いてないよ。」

(うん?あのことか?聞いていたような気が・・・)

「君に渡したよ。」「ううん、もらってない。」

(ごめん、まだ僕が持っていた。)

毎日こんなことの繰り返しです。

先日も下の川岸の桜の写真を撮って来た旦那様。

「帰ってきてカメラをどこに置いたかみつからない。」

あちこち探す彼に見かねて私もトイレの中まで捜索。

居間のテーブルの上にカメラケースだけあるので

「パパ、カメラだけどうやって持って行ったの?」

「ああ、カメラだけポケットに入れて行った。

あッ!あった!」とカメラはポケットの中に。

「オイ、オイ!」です。

88と82才の老夫婦、毎日夫婦漫才やってます。

「ママ、僕の補聴器知らない?」

「知らねえよ。耳の中見た?」

今年の桜

いつもサプライズで私を連れ出してくれる

孫のように思っている若い夫婦が花曇りの昨日

彼の車でまたまた行先不明で家を出発

首都高の上からも桜がいっぱい見えます。

思いがけなく着いたところは東京タワー!

「上から桜を見降ろしましょう!」と

大勢の外国人客に交じって車いすでエレベーターに。

東京タワーができてすぐに一度行っただけですから

何年ぶりかしら?



真上から見た増上寺と芝公園です。

上から見ると増上寺が桜に囲まれているのがわかります。

屋上の一角で名前は知らない二人の芸人さんが

身体を張ったコントを熱演中。

可愛い外国人の子供たちと一緒に見物しました。

最後におひねりの箱を持ってまわってきたから

千円入れてあげたら

「謝謝」ですって!

車椅子押してもらって優雅な爆買のおばあさんかい。

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お土産にタワーちゃん人形買ってもらって

ふふふ!本当のおのぼりさん気分。

帰り道も桜の咲いているところを選んでくれて

外苑の枝垂れ桜も見て話題の国立競技場の横を通り

薄暗くなって提灯がついた中野通りの夜桜も見て

たっぷり桜を堪能した一日でした。

本当にありがとうね。


花曇り

花曇りの今日、神田川の桜も満開でございます。

今年も長男夫婦が枝垂れ桜の美しいところまで

車で連れて行ってくれました。






ソメイヨシノより枝垂れ桜の方がピンクが濃いようです。

向う岸の三色の桃も見事に色づいて川に垂れ下がっています。



どなたか屈みこんで写真を撮っている方のまねをして

私もパチリと一枚、トチの木という掲示がありました。

とってもかわいい新芽ですね。



テレビのニュースも新聞も暗いお話ばかりですが

春は確実に来ています。

お花、特に桜からいっぱいエネルギーを頂きましょう。

少し遠回りしての帰り道、あちらこちらのお庭にも

花がいっぱい!

特にこの季節、この町に住んでよかったと思うのでございます。

さくら

寒い日が続いたせいでしょうか?

今年の桜は少し遅いような気がします。

リビングから見える神田川沿いの桜はまだほんのりピンク色。

今日3月27日私は82才になりました。

「はるけくもきつるものかや」としみじみ思います。

去年大きな病気をして一度生まれ変わったのですから

新生2才なのでしょうか。

感謝しながら楽しく生きて行かなければと思いますが、

桜が咲くころ生まれたのだから出来ることなら

西行法師の和歌ように

「願わくば 花のもとにて春死なむ

      その如月の望月の頃」

とも思いますがそれは「御胸のままに」でございますね。

きしくも今日はイースター。

誕生日とご復活祭が重なるのは珍しいことでございます。

5日のお雛様




私の小さなお雛様たち

3月3日は過ぎたけどもう少し飾っておきましょう。

私の初節句におばあちゃまが祝ってくれた

美しいお内裏様。

懐かしい四谷の家のお座敷の床の間に飾られて

3月3日が過ぎると大急ぎで母が片付けていましたっけ。

早く片付けないと嫁入りが遅れるって。

昭和20年5月26日の東京大空襲で

家と一緒にお雛様も焼けてしまった!

23才で結婚したのは当時としては普通かしら?

息子3人で、ひな祭りに飾るお雛様がないのは寂しくて

旅行先で少しづつ買ってきた小さなお内裏様たち

去年は入院騒ぎで出さないままでした。

今年はもうちょっとだけ楽しませてくださいね。

82才でも・・

今年は閏年だから29日までありますが、

明日からは3月弥生になります。

そして私は間もなく82才になるのです。が、

今やエッセイの執筆に忙しい!?

昨年10月に大学時代のクラス会に出席いたしました。

慶応大学は戦後女子を受け入れるようになったものの

経済、法学部は女子は数えるほど

文学部でもまだ少なかったのですが

80才を過ぎてのクラス会には亡くなった方3名を除く

10名の女子が全員出席、男性はたった3名でした。

その時に映画好きの友人からの話に話題提供と

以前ブログには書いたことのある

俳優三国連太郎さんとのいきさつを手紙に書いて

送ったところ、ある同人誌に籍を置いているその友人が

「これ面白いから同人誌に載せなさいよ。」

とさかんに勧めてくれて他の同人の方たちにもはかって

秋に出版される同人誌に載ることになりました。

私はその同人誌の読むだけの誌友にはなっていたのですが

自分の文章を発表することなどおこがましくて自信もない。

編集者の方のお話で手紙形式の文章は

色々難しい制約があるからエッセイに書き直すこと

手紙はよく書くけどエッセイってどう書けばいいの?

発行部数600ほどの同人誌と言っても誰が読むかわからないので

必ずご遺族の了解を得ることなどのご注意をうけ

82才で初めての経験にうろたえているところです。

でもね、「いくつになっても何かを始めるのに

遅すぎることはない。」と新しい世界にチャレンジ!

さて、つぎは何を書こうかしら?