やっと文章としてまとめることが出来る。
今年8月、愛猫が旅立ちました。
一年ちょっとの闘病生活でした。
亡くなる2ヶ月くらい前から急激に痩せてしまい、最期は、口の中に炎症が出来て、大好きなご飯がほとんど食べられない状態に。。
体調が良い日が続けば、必死にちゅーるや砕いたフードや小さくしたお刺身を食べていました。
本当に僅かな変化に、家族で、一喜一憂してました。
いつも、お水飲めるといいね。ご飯食べられるといいね。と話し掛けて。
撫ででいるとすごく気持ち良さそうに喉を鳴らして、目を閉じて。
撫でている時ずっと思う。
手をかざしたら明日病が消えているような奇跡があったらいいのにな。
辛さが無くなったらいいのにな。
明日になったら、突然元気になってたらいいのな。
でもそんな特殊能力は備わってない。
でも体を撫でている間、間だけでも辛さが軽減してくれてるならずっと撫でていたい。
最期、いつもはあまりおしゃべりをしない愛猫がかすれかすれの声でおしゃべりしてくれました。
もう私逝くよ。と言っていたのかな。
私居なくても大丈夫かしら?と心配してくれていたのかな。
私の顔をまっすぐ見ながらおしゃべりしてくれた愛猫は、きっと泣きそうな顔の私を心底心配したんでしょう。
だから私は、できるだけ笑顔で愛猫を撫でてました。
明日はお休みだから、もっと一緒に居られるね。と話しながら。
そしてその日の夜中、ほとんど苦しみことなく眠るように旅立ちました。
家族が全員揃う週末を選んで旅立つ愛猫は、最期までお利口さんでした。
愛猫を荼毘に付した週明け、いつもように朝起きて朝ご飯食べているとき、聞き慣れた鈴の音を聞きました。
いつも朝ご飯食べているとき、椅子の上に乗ってきて、シャケやらなんやらおかずを狙っていた愛猫。
愛猫の首輪に付いていた鈴の音。
空耳だったんだろうか?
いやでも確かに聞こえた。
姿は見えない。
でもたぶん目の前で、いつもどおり椅子から様子を伺っている愛猫がいるはずだ。
重くて辛くて言うことを聞かなくなった体を脱ぎ捨てて、軽々とジャンプした鈴の音。
いるんだね。
でももう触れない。見えない。
いつものように抱きしめたい。撫でたい。
でももう辛くないんだね。
本当たまに今でもふとした瞬間に鈴の音を聞きます。
嫌いな病院通いや注射、色々我慢させたり辛い思いをさせてしまった闘病生活。
そこから抜け出して、今きっと、自由気ままに家中散策しているのかな。
気が向いた時でいいから夢に出てきてほしい。
夢の中で元気な時の姿で会いたい。