今日、日テレでダウン症と診断された赤ちゃんの出産までのドキュメンタリーをやってました。
出生前診断からダウン症であると診断された赤ちゃんのお父さん・お母さんのそれぞれの葛藤、気持ちのすれ違い、、
そして周りにいる人たちの思い…。
障害は不幸じゃないと言うけれど…
私の本音は、やっぱり健康な子を産みたい。
出生前診断に怖さはあるけれど、受けられるなら受けると思う。
産むのは、両親の最初の責任だと思うけど、育てるとなると、親だけではなく確実に周りにいる人たちを巻き込む。
もし、入院や手術を要するなら、費用や精神的・肉体的にも負担が増える。
もし親が亡くなったら、もし兄弟がいなかったら、近くに頼る人がいなかったら、障害を持った子は、自立して生活できるんだろうか。
労働収入を得て、日々を自力で生きられるようになれるのだろうか。
もし、誰かの介助がなければ生きていけないというハンデがあるとしたら、私は親として最後にとても無責任なことをやらかしてしまう。
もしそうなるのが分かっていたら、産まないという選択肢があってもいい。
産むことを賞賛して産まないことを批判したり、反対に産むことを批判して産まないことを賞賛するような行為が、時として親を苦しめるんじゃないのかな。
当事者である親が決めたことに外野が何をいう資格もない。
どの親御さんも相当苦しむと思う。
だから、それぞれの判断に対してバックアップする体制が必要なのかも知れない。
出生前診断からダウン症であると診断された赤ちゃんのお父さん・お母さんのそれぞれの葛藤、気持ちのすれ違い、、
そして周りにいる人たちの思い…。
障害は不幸じゃないと言うけれど…
私の本音は、やっぱり健康な子を産みたい。
出生前診断に怖さはあるけれど、受けられるなら受けると思う。
産むのは、両親の最初の責任だと思うけど、育てるとなると、親だけではなく確実に周りにいる人たちを巻き込む。
もし、入院や手術を要するなら、費用や精神的・肉体的にも負担が増える。
もし親が亡くなったら、もし兄弟がいなかったら、近くに頼る人がいなかったら、障害を持った子は、自立して生活できるんだろうか。
労働収入を得て、日々を自力で生きられるようになれるのだろうか。
もし、誰かの介助がなければ生きていけないというハンデがあるとしたら、私は親として最後にとても無責任なことをやらかしてしまう。
もしそうなるのが分かっていたら、産まないという選択肢があってもいい。
産むことを賞賛して産まないことを批判したり、反対に産むことを批判して産まないことを賞賛するような行為が、時として親を苦しめるんじゃないのかな。
当事者である親が決めたことに外野が何をいう資格もない。
どの親御さんも相当苦しむと思う。
だから、それぞれの判断に対してバックアップする体制が必要なのかも知れない。