最近特に生活リズムが狂いすぎている。
良くないのは分かっているし、とりあえずどの人にも日光を浴びろと言われる。

もう日光を浴びようというアドバイスは散々されているので今後は是非ともそれ以外でお願いしたいところだ。



大人になりたくない。

歳をとるのが嫌だとか、そういうのじゃない。
“いのち短し恋せよ少女”とかうるせぇすぎ。
全然いのち長いし華のある時間がいつまでとか勝手に決めんな。
ひっそりと、誰に眺められることなくても、ただ自分の生命を全うできればそれでいい。

そうは思っていても一年一年、あぁ昔とは違うなってふと老いを感じたりする。
昔の自分なんて全然好きじゃなかったくせに。

だけどそれも悪いことばっかりじゃなくて、
歳を重ねるにつれだんだん何に対してもさほど動じなくなる。
キャパが広くなるっていうのかな。

もともと落ち着いてる方なんだろうけどやっぱりそれでもそう感じるし、いつか世間からおばさんと呼ばれるような歳になっても、
自分はもしかしてそっちの方が好きなんじゃないかとすら思う時がある。


じゃあなんで大人になりたくないなんて言ってるのかというと、
それはつまり純粋さとか素直さを失うことで、よくある表現だけどここのところ自分のななめ上あたりから自分を見ている、いわば第二の自分がいる。

そしてその自分に随所で落胆される。

例えば、自動販売機でジュースを買う時。
あ、これ飲みたいな。と思ったのにこれ缶だから捨てるのちょっと面倒だな。
やめよ。
って、結局何も買わなかった時。

自分が小学生だったらそんな捨てる時のことなんて考えずに飲みたいんだから買ってたし、
多分それで幸せだったと思う。

好きでもない人とのちょっとした世間話で「あははは。」って笑ってる時。
全然楽しくなんてないし面白くなんてないのに、
笑ってないのに口角はあがって少し乾いたような笑いが出る。

わたし今この人に気を遣って笑ってんだ…。
この場をやり過ごすために笑ってんだ…。
全然笑えないのに。


自分の感情くらい自分のために使いたい。
自分に素直でありたい。

だけど自分のそういう感情を無視していつのまにか麻痺していって、
なんも思わなくなって、
あんまり人に傷つけられることもなくなって、

それが大人になるってことなんだと思う。

だって、純粋に素直に生きていたらきっと
周りからは白い目で見られるから。

不思議ちゃんとか変わってる子とか言われて済まされる。
そういう言葉で何か既存のカテゴリーに押し込んでみんな勝手に安心したいから。
もしくは自分が自分の感覚を麻痺させてることへの罪悪感を消したいから。


だけどわたしは麻痺なんてさせない。させたくない。
全部真剣(マジ)で全部くらって生きていく。


その分、痛みがわかる人間でありたいし
傷だらけでボロボロになりながら
それでも自分が好きな自分で死ねたら本望だ。


でもたまにはきっと日の目を浴びたいし、
誰かの目に止まって少しだけでも眺めてもらいたい。




やっぱ日光浴しようかな。