草っぱらで近所の子供と遊んでいました。
それは突然やって来ました。
聞いたことの無いような轟音と共に地面は揺れ立って居られません。
目の前の家の瓦が落ち、コンクリートブロックは倒れ、家の中に居た人達は悲鳴を上げて
外に飛び出してきます。
何がなんだかわからず。
3人の子供は揺れもおさまらないままに家の方向へと這い蹲り、
倒れたブロック塀のわきをすり抜けます。
いつも見慣れた家は傾き、ガラスが散乱。
何故か涙だけがあふれてきたことを思い出します。
30年前の宮城県沖地震です。
地震大国とは言えども、地震への恐怖心だけは消えません。
6月14日。
宮城県沖地震から30年と2日目。
朝からソフトボール大会でグラウンドに来ていたんです。
かなり揺れましたが、「また地震か...」なんて感じでした。
数分後。
みんな携帯に釘付け。
「最大震度6強だってさっ!」
ここでことの重大さを知り、自宅へ電話したのも繋がらず。
とりあえず安否確認のメール。
数分後に防災用伝言板メールにて「被害あります」「震度5強です」
との伝言メッセージがありました。
これをみて安否の確認は出来ましたが、「こちらは無事。「被害あります」ってどんな感じ?」
と伝言板に登録。
30分たっても連絡無し。
そんなこんなで、ソフトボール大会は始まり。
試合中にメールがありました。
「食器数枚割れた。物も倒れた。金魚の水あふれた。そんな感じ」
少し安心しました。
電話は繋がらず。直接連絡が付いたのはお昼頃。
ご飯食べてから帰ってきても大丈夫。とのことだったので、その後帰宅。
テレビで被害状況を見るも..自然の力もある時は残酷です。
仙台市内は特に甚大な被害はありませんでしたが、
宮城県の県北地域は大変な被害に見舞われました。
余震は今でも感じます。
一日も早い復興と行方不明者の方々の救出。早く進んで欲しいです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。