紫苑の扉 -25ページ目

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 友美はいつ浅井が店に入ってきたのか、何処まで大沢の話を聞いていたのか、大沢が出て行く様子を見送る浅井の表情は何も読み取れなかった。
「大沢弁護士がここに現れるとは意外だな」
「私には良く分かりませんが、あの人があの噂の大沢弁護士なんですか?」
「あなたのその様子ではあまり良い印象は受けなかったようですね」
「ええ・・・」そう答えながら友美は探るように浅井を見つめる。
 沢田正次の代わりに城山出版編集者として、浅井卓也が福山千夏担当となったことは知っている。沢田正次と比べるのはおかしいかもしれないが、この男は感情を表に出さず物事を理性的に対処し、相手を誘導して物事を有利に運んでしまう。本当に隙がなくて掴みどころがない。
 編集者として誰よりも小説家福山千夏を理解していた沢田正次とは違うけれど、彼亡き後誰よりも彼女が信頼しているのはこの男に違いない。千夏さんに個人的な感情があるかどうかは分からないけど、うかうかしているとこの人に千夏さんの気持ちが傾いちゃうかも・・・。なかなかいい男だし・・・。相場さん大丈夫かしら、ちょっと心配だわ。それにしても相場さん何しているのかしら・・・。
「相場さん、遅いですね」
「いつ戻ってくるか分からないのですか?」
「ええ、最近は由香里さんと仕事の事で出かけることが多くて、あまり店に来ないので・・・」
「おや、おや。彼はあなたの共同経営者ですよね。その彼が店に出てこないとは」
 友美は思わず口をふさぐ。いけない、余計な事を・・・。つい口を滑らせてしまった。
「妹だからといってかばうのは何なんですが、甘やかされてわがままなところもありますが、由香里はあなたが思っているよりも悪い奴じゃない。沢田会長には色々お世話になっているのですよ。儀弟が亡くなった後、妹にホテルの経営を進めてくださったのもあの方でした。沢田グループがショッピングモールのプロジェクトを進めていることをご存知ですね」
「相場さんと何の関係が?」友美は何故かむっとしてしまう。この人は何が言いたいのかしら・・・。
「あなたもご存知の通り、妹のホテルとはこのフラワーショップと取引がある。その中で相場さんと付き合いが始まっている。相場さんの人柄に惹かれたというのも事実でしょうが、沢田グループが推し進めるプロジェクトの参入を薦めたのも妹です。相場さんの人柄に惚れたと言うだけでなく、沢田会長に恩を返したいという気持ちもあるのです」
 沢田会長が浅井由香里に亡くなった夫の代わりにホテルの経営を勧めたという話は初耳だ。彼女はレストランの女主人というだけでなくホテルの経営者。もともと沢田グループのホテルだったというのはこの地に住む人間は皆知っている。現在でも沢田グループと取引のある企業が沢田グループとの商談に利用することはよくある。
 「相場さんが店を大きくしたいと思っているのは分かっています。でも、私はこの場所でこの店を守っている事に満足しています」
「もともと福山姉妹のお兄さんと相場さんが始めた店だと聞いています。福山さんが亡くなった後はあなたと二人で協力しこの店を守っている。だが、今ではあなたと相場さんの意見が食い違っているという事ですか?」
「そういうことではありません。熟慮して結論を出そうとしているだけですわ」
 友美は相場の気持ちも分からないわけではない。ただ一方的に話を進める相場に不安を覚えるのだ。相場は自分がしていることに自信を持っている。友美も同じ考えだと思って、反対するはずがないと思い込んでいる。相場だけでなく友美も、何年も一緒にやってきたのだから、相手の気持ちを分かっていると思い込んでいた。だが、少しずつ二人の間にずれが生じ始めていたのだ。
「申し訳ない。勝手なことを言って・・・。部外者が口を出す問題ではないですね」
 この人、私の心を見透かしている。このままでいいのかと、自分にはそういう迷いがある。友美は自嘲気味に考える。共同経営者でありながら、相場に頼りっぱなしで自分は何もしてこなかった。そろそろ手を引く時なのかもしれないと・・・。
「それにしても戻られませんね」
 外はすっかり暗くなって風も出てきた。友美は時計に目をやる。そろそろ店を閉める時間だ。
「戻らないと思います。店を閉める時間ですし・・・。妹さんと一緒かもしれませんね。浅井さんはどうなさいますか?」
「実を言うと、妹が来るというのは嘘です」
「え?」
「見覚えのある車が止まっていたので、もしやと思い店に窺ったのです」
 あの車が大沢のものだと浅井は知っていた。だからここに来たという事なの?でも、どうして?友美の思いを感じ取ったかのように浅井は言った。
「大沢弁護士はかなりの野心家だ。弁護士である事を利用し、人の弱みを掴んで利用する。そんな黒い噂は囁かれるものの、誰もその確証を掴めないでいる。あんな男と関わったら何が起きるかわからない。あの男のことだ、相場さんを利用して何か良からぬ事を考えているのではないかと・・・」
「私には良く分かりませんけれど、浅井さんのご忠告は心に留めておきます。大沢弁護士とは初めて会いましたけど、威圧的で気味が悪い人ですね」
「意見が同じで安心しました」浅井はにっこり笑った。

 千春は撮影が思ったより早く終わってほっとしていた。今日は気分良く一日を終えられそうで嬉しかった。スタジオを出て車に乗り込み携帯を出す。仕事の依頼があるかもしれないと思ったが、友美からのメールが一件入っているだけだった。話したいことがあるから紅影に来てほしいというメールだ。園田の入れたコーヒーを飲みながらゆっくりと友美と話がしたいと思っていたところだ。
 千春は車から出ると冷たいというより刺すような空気が漂う中、白い息を吐きながら手をこすり合わせて紅影へ急ぐ。千春は目的の場所に着く前に手が悴み体もすっかり冷え切ってしまった。逸る気持ちでノブを回して店に入る。
 友美の姿が目に入ると千春はほっとした。紅影の主人である園田は、穏やかな表情でいつものようにカウンターの奥でグラスを磨いている。園田と友美の二人は年が離れていてもそれを感じさせない似合いの夫婦だ。
「千春さん久しぶりですね。忙しい事は良い事だが、たまには顔を出してください。千春さんの元気な顔を見ないと心配で・・・」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。園田さんだけよ、そう言ってくれるの・・・」
「仕事が忙しいって言うのは口実よ。きっと誰かいい人がいて、そっちの方が忙しいみたいだけど・・・・」友美はからかうように言う。
 千春はちょっとだけ顔を顰める。やはり口の軽い誰かさんの仕業ね。あれだけ言っておいたのに・・・と、千春はぶつぶつと呟いた。
「何をぶつぶつ言っているの?」友美は笑いながら、園田の方をチラッと見る。
「別に何も・・・」千春は頬杖を吐いて溜息を漏らす。
「外は寒かったでしょう。温かいコーヒーをどうぞ」園田はコーヒーをカウンターに置きながら、いつものように穏やかに言う。
「コーヒーが恋しかった。園田さんが入れるコーヒーが一番だわ」
 千春はコーヒーを味わいながらカウンターの隅の方に目をやった。紅影の雰囲気は何一つ変わってはいないが、物憂げな表情を浮かべながら、カウンターの隅に静かに座っていた川久保の姿はない。
「川久保さんはどうしているのかしら・・・」千春の視線を目で追いながら友美が言った。
「心配しなくても大丈夫よ」
「千春は川久保さんが何処にいるのか知っているの?私たち心配していたのよ」
「川久保さんのことは神尾刑事が把握しているから心配いらないわ」
「神尾さんが彼の居場所を把握しているのなら安心だ」
 川久保が沢田の元に身を寄せている事を話すわけにはいかないが、彼が無事だという事だけ伝えれば二人はそれだけで安心するだろう。
「事件の事で色々大変だろう。何処にいようと元気ならそれでいい。私たちにできる事は待つ事だけだ」園田は千春の思いを汲み取るように言った。
 
「で、友美は私に何か言いたい事でもあるの?」
「そうなのよ。店に予想もしない人が来たの・・・」
「あまりいい話じゃなさそうね」
 大沢がフラワーショップに現れたと聞き千春は嫌な予感に襲われた。大沢弁護士の存在は黒雲が蔽い尽くすような不気味さがある。友美も同じように感じているらしく、浅井が現れなかったらと言いながら身震いした。
「とても威圧的。本当に嫌な感じだった」
「大沢春直弁護士か、彼はかなり冷徹な弁護士という噂をよく聞くよ。確かに弁護士としては切れる男のようだ」園田はふと思い出したように言った。
「勝つ為には手段を選ばない息子と違って父親は良心的な弁護士らしいわね。でもずいぶん前に父親は亡くなったんじゃないかしら」友美も誘発されるように言った。
「父親は事務所を息子に引き継がせたかったようだ。しかし、大沢春直は自分の事務所を構えた。父親の意思は引き継がれることなく切り捨ててしまった。父親の事務所の関係者は全て切り捨て閉鎖されたんだ。経営方針や考え方がまったく異なっていたんだろうね」
「恨んでいる人もいそうね」
千春は大沢という男がますます怖くなる。川久保はそんな男と対等に渡り合っていけるだろうか・・・。
「沢田グループ内にもかなりの力を持っているし、怖いもの知らずというところでしょう」
「園田さん、結構詳しいのね」
「いや、聞き齧ったくらいで、本当なのかどうかは実のところ私には分からない」
「何処まで本当なのかは分からなくても、大沢弁護士は信用ならないってことは確かな事だわ」


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