彼女が空を飛んだわけ 31 | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 

 珍しく里中から食事に誘われた高藤。会長の決まりきったお小言を聞くより、美人と美味しい食事を楽しむ方がましだ。しかし、会長のお気に入りである彼女だから、もしかして…。

「プライベートで私を食事に誘うなんて珍しいな」高藤は探るように里中を見る。

「あら、何か魂胆があると思っているの?」わずかに眉を上げからかうように笑う。

「会長があんな簡単に、あっさりと引き下がるのは変だと思ってね。何かと呼び出してはお小言を食らう私には、会長が何か企んでいるんじゃないかと疑ってしまうんだ」

「あら、ずいぶんなこと、私が会長のスパイだと言いたいの晧さん?」

「君が私を名前で呼ぶのは珍しいな…」

「いいじゃない、今はプライベートな時間だもの…。幼馴染として食事に誘ったのよ。ここの所お互いに忙しくて、ゆっくり話す余裕なんてなかったし、帰国してからいろいろあったから、あなたも落ち着かなかったでしょ?」

「私はこの業界では新参者に過ぎない。会長の孫だからと優遇されることに不満を持つ者もいる。海外で事業家として成功したからと言って通用するわけではない」

「会長の孫だから専務になれたと思っているの?あの会長がそんなことすると思う?身内には特に厳しい人だってことは誰もが知っているわよ。貴方の父親である社長が高藤デパートに入社した時は、地下の食品売り場に配属されたと聞いたわ。誰もあなたのお父様が会長の息子だなんて知らなかった。会長の息子だなんて微塵も見せなかった。実際のところ下積み時代が長かったと聞いているわ。どんな仕事も手を抜かない自分に厳しい人だから、上司にも信頼されていろいろな仕事を任されるようになった。思慮深くて人望があったから部下にも慕われていた。今の社長を見ているとよくわかるわ。だからこそ、誰もがその息子ならと期待していたのよ」

「そうは思えない。甘やかされたドラ息子が、親の七光りで今の立場にいられると、陰口をたたかれている。そういうものだ」

「あなたって昔からそういうふうにすねたような言い方していた。別に親の七光りでもいいじゃない?そういうのも大いに利用すべきよ。それも実力のうちよ」

自ら望んだことではないが、これが最善の選択だと言えるだろう。結局は流れには逆らえないのならばこの道を進むしかない。すべては会長の思惑通りというわけか。高藤は苦々しい思いで自分自身を嘲る。

「爺さんには参るよ。何が何でも自分の思い通りに事を進めようとする。頭にくるが結果的にはその通りになってしまう。会長がいろいろ計略を仕掛けてくる。それをかわすのも疲れたよ」

「あなたらしくないわね。会長の思い通りにさせてたまるかって、そういう勢いだったくせに、何があなたを変えたのかしら。さんざん逃げ回ってきたくせに、なぜ戻ろうと思ったの?あちらで事業家として成功したのに…」

「戻ってくることに決めたのは会長とは関係ない。戻ってきたのは大切なものを取り戻すためだった。会長が云々というわけではないよ」

「大切なものを取り戻すって、何を取り戻そうとしたの?」

「人生を取り戻そうとしたのさ、大切な人ともう一度やり直すつもりだった。だが、手遅れだった。私が高藤デパートの会長の孫だと知った彼女は、恐れをなして私を見捨てた。彼女は高藤デパートの社員だったから恐れをなしてね…」

「会長のことが恨めしくないの?」

 高藤は里中を不思議そうに見つめた。

「どういう意味だい?」

「え?」

 里中は思わずしまったと思った。後悔したがすでに遅すぎた。高藤がどこまで知っているのか確かめるはずが、ついそれを忘れて口を滑らせてしまった。

「君のその慌てぶりは相当な秘密らしいね。会長が一体何をしたのか知りたいね…。遠藤美紗子を私の秘書にしたのも、槙野を高藤に引き込んだのも会長の差し金ということか。何か後ろめたいことでもしたのか?遠藤美紗子を秘書にすることを簡単に承諾したのも、会長の考えということかな…。そして君もそれに絡んでいる。君は何のために私が戻ってきたのか知っているんだ」

「そ、それは…」

「会長がそう簡単には許したりしない。何かあると思っていたけれど…。さあ、話してもらおうか」

 

 あっという間に黒い雲が広がり空を覆いつくし、激しい雨が降り出した。本格的な梅雨の始まりだ。むっとした空気がさっと引いたかと思うと冷たい風が吹き出す。

 美紗子は窓辺に立つ高藤を見つめた。今日の彼はいつもと何かが違っていた。どことなくよそよそしい。美紗子の思い違いではなさそうだ。一時、書類を見ていたが、ページはそのままで一項も進んでいる様子はなくただ一点を見つめているだけだった。不意に立ち上がって窓辺に近づいた。それが合図のように激しい雨が降り出した。

 槙野もそれを感じ取っていた。いつものハイテンションはまるで風船がしぼんでしまったかのように、ジョークもジョークにならず不発に終わった。気まずさに二人は顔を強張らせるしかなかった。

 槙野は高藤の背中を見つめながら溜息を吐いた。彼がいったい何を考えているのか分からない。仕事に集中できないほど彼を悩ませているのはいったい何なのか…。

「書類にサインをお願いします」

 高藤はまだ窓の方を見て黙り込んでいる。槙野が声を掛けても気づきもしない。槙野はもう一度声を掛ける。それでも答えようとしない高藤に近づいて横に立つ。

「なあ、槙野…」

「なんだ?黙り込んで、私たちにしかとか?」

「私は本当にバカだよ。私一人何も知らずに能天気に会長に乗せられて、踊らされていたのか?」

「なんだ、いきなり」

「君もそう思っているのだろう?遠藤美紗子さん」高藤は振り向いて美紗子を見た。

「会長が幸子さんにしたことを許せと?」

 美紗子も槙野も凍り付いたように体を強張らせる。

「黙っていたのは、私が傷つくからとかいう、甘ちょろい同情か?」

「本当にそう思うか?」

「別れさせるために手切れ金を渡した。彼女はそれを受け取った。彼女が裏切ったと思わせるために…。彼女は結婚しようとした。私とは別の男と…。そして自ら命を絶った。滅裂なことを言っているとわかっている。何が真実で何が嘘なんだかわからない。混乱している」高藤はゆっくりと美紗子の方へと歩き出す。

 美紗子の胸は張り裂けそうなほど大きな鼓動を打ち続ける。彼の激しい怒りに美紗子は体を震わせる。それでも、美紗子の口から飛び出した声は冷たかった。

「そうです、すべて本当のことです。嘘を言っても仕方がないことです。事実は事実だから、言いつくろうなんてことはしません。でも、それだけじゃありません。幸子さんは、自ら命を絶ちました。だからと言って会長のせいではないのは確かです。それにあなたへの思いは嘘じゃありません。手切れ金の入っていた通帳は、今は会長の手元にあります。それが何を意味するのか分かりますよね」

 槙野は美紗子の腕を掴んで、高藤と彼女の間に割って入る。槙野は高藤をにらんだ。

「今は、仕事中です。今やるべきことをしてもらえますか?」

「槙野、君は知っていたのか、なぜ黙っていたんだ。彼女が自殺したわけを知ったところで死んだ彼女が戻ってこない。そんなことぐらい私でもわかっている。だからと言ってここまで隠す必要はないだろう」

「そうやって誰かを責めて、自分の気が済めばいいのか?ようやく彼女の死を受け止めて前に進もうとしている君に、過去を引きずって生きてほしくはないと思うのは余計なことか?それとも、私たちの方が彼女を知っていたと、それが気に食わないわけだ」

「やめてください。彼女が亡くなったのは会長のせいなんかじゃなかった。それだけはわかってください。会長がしたことは許せないけれど、彼女の自殺は会長とは関係ありません。それに…」

 高藤は必死に怒りを抑えようとしていた。会長が無関係だという美紗子の言葉を簡単には受け入れられなかった。

「どうしてそう言える…」

「彼女は病魔に蝕まれていたからです」

 高藤の顔から血の気が失せていくのを見ながら、自分が彼に対して最も残酷な真実を告げなければならないのかと思うと胸が痛たんだ。

「槙野さんは幸子さんが亡くなった理由については最近知ったばかりで、隠していたのはこの私です」

「君はなぜ彼女が自殺した理由を知っているんだ」高藤は動揺を隠しきれない様子。

「高藤さんにお話ししていないことは他にもあります。高藤さんには本当のことは知らない方が幸せじゃないかと思ったのも確かです」

「君がこのことを知ったら、苦しむのはわかっていた」槙野の声には怒りが滲んでいた。

 高藤はこめかみに手を押さえると目を閉じた。そして力なく崩れるようにしてその場に座り込んだ。

「あなたと別れる決心をして、彼女は新しい人生を歩み始めました。そして、学生時代に付き合っていた男性と結婚することになったのです」

 槙野は高藤の姿をまともに見ることができずに、そこから逃れるように窓の方へ眼をやった。

「私のところへ電話をかけてきたのは亡くなる前日の事でした。もうすぐ結婚すると彼女は言いました。とても嬉しそうに言っていました。私はそう聞こえたんです。微塵も疑っていなかった。彼女は私に招待状を送るから、ぜひ出席してほしいと…」

 今でも、彼女の幸せそうな声が忘れられない。あれが偽りだったとは今でさえ信じられない。

「でも、結婚間近で彼女は自ら命を絶ってしまった。彼女が自殺したと聞いた時は、本当に耳を疑いました。彼女と親しくしていたのはずいぶん前の事ですから、それ以降付き合いはありませんでしたけど、自殺するような弱い人には見えなかった」

 よろよろと立ち上がる高藤を槙野は支えて立たせた。高藤は俯いたまま項垂れている。槙野はそれをしっかりと支える。

「畜生…」高藤は歯を食いしばりながら罵る。

「お前の気持ちはよくわかる。だが、お前以上に彼女の自殺にショックを受けているのは遠藤なんだぞ。彼女が河内幸子の自殺にこだわるのには理由がある」

「どういうことなんだ」

「聞いていなかったのか?自殺する前日に幸子さんから電話がかかってきたと…」

「聞こえたよ。幸子が自殺するつもりだなんて微塵も感じさせなかったと」

「その電話がかかってこなかったら、同期として葬儀に出席して冥福を祈るだけで済むだろう。それだけでは終わるはずだった…」

 美紗子はどこから話をしていいのかわからなかったが、槙野がそのきっかけを作ってくれたおかげで、少し気持ちが落ち着いた。しかし、まだ高藤にどこまで話すべきか整理がつかなかった。

「少し、外の空気を吸ってきてもよろしいですか?専務も少し落ち着く時間が必要ではないかと思うのですが…」

「その方がいいだろう。私もまだ聞かされていないこともあるようだ。そうだね・・・」

 美紗子はうなずいた。確かにすべてを槙野に伝えたわけではなかった。それに、槙野にもまだ自分の知らない事実を隠している気がしていた。

 美紗子はドアの前へ行くと一度振り返ってみた。高藤は机の上の書類に目を通し始めていた。槙野は何か考え事をしているのかのようで窓の方を見つめている。激しく振っていた雨もやんでいたが、空には幾つもの灰色の雲が筋を引くように伸びていた。

 

 高藤はいつこのことを知ったのだろう。昨日は会長と会食の予定だったはずだが、このことを会長が話すとは思えない。自ら罪を認めるような人ではないし、この話を知っている人は数えるほどしかいないはずだ。その中の一人に倉田がいるが、その可能性は

まず考えられない。そうなると考えられるのはただ一人、美紗子は溜息を吐いた。

美紗子は時々一人で考えたい時に行く場所がある。資料室のそばにあるベンチに座ってコーヒーを飲むのだ。ベンチの横には自動販売機があってそこでコーヒーを買う。ここへ来る人はほとんどいない。だからちょうどいい指定席というわけだ。

もうあれこれと悩んでいる場合ではなさそうだ。だからと言ってすべてを話すというわけにもいかない。言葉は慎重に選ばなければ、誤解を招くようなうっかりしたことは言えないし、場合によっては知らない方が、相手にとっても自分にとってもいいこともあると思った。そして、美紗子は自分がやるべきことがまだあることに気づいた。まだ幸子の手紙を読んでいない。彼女からの最後のメッセージを読まなければならない。

彼女が妹に託した私に宛てたあの手紙を読めば、私と高藤が納得できる答えが見つかるのではないかしら…。まだ時期ではないと引き延ばしにしていたけれど、それでは何の解決にもならないし、私も前には進めない気がする。

 美紗子はコーヒーを飲んでゆっくり考えるつもりが、コーヒーを買うのも忘れたことに気が付いた。ふっと笑って、溜息を吐きゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

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