千秋は仕事に打ち込み事件のことも、一条が退院し仕事復帰したと聞かされても、一条に関すること全てを心から締め出そうとしていた。
二人の姉たちはそれとなく一条の話題に触れようとするが、千秋はそれを察したかのように話題を逸らす。無関心を装う妹を二人は心配するが、千秋は何もなかったように振舞っていた。
一条が意識を取り戻した直後に会ったことは二人に隠していた。隠すにはそれなりの理由があるのだが・・・。
意識が戻り個室に移されたことを事前に知らされていた千秋は、面会時間ぎりぎりまで迷ったのち病室へ入った。
室内のスペースはカーテンで仕切られていて一見して病室とは思えない。ちょっとしたホテルのスイートというところだろうか。応接間のようなスペースには少し大きめのテレビが置かれ、高価そうな花瓶には華やかに彩る花が生けられその場を和らげている。カーテンの向こうにはほのかな明かりでベッドのシルエットが浮かび上がる。そのカーテンの向こうに彼がいるのだ。
千秋は一目だけでも彼に会いたいという一身でここまで来たけれど、彼がどういう反応を示すのか怖かった。しかし、彼に会わなければという千秋の思いの方が強かった。
カーテンを少し引いて中に入ると、薬が効いているのか一条は身じろぎひとつせずベッドに横たわっていた。ベッドの前に立つと千秋はためらいがちに右手を一条の顔に近づけた。わずかな息遣いが生きているという証を示している。そのことに千秋は安堵を覚えるのだった。
何日も生死をさ迷いようやく意識を取り戻したばかりの彼には安静が必要だ。一目だけでも会いたいという目的が果たせたのだからこれで満足しなければ・・・。音をさせないように向きを変えようとした瞬間、一条はわずかに目を開ける。千秋は慌ててカーテンに手をかけた。一条は静かだがしっかりした口調で背中を向けた千秋に言った。
「君がいつ来るつもりなのかと考えていたところだ。私を散々待たせておいて声もかけないで帰るつもりかい?」
目を覚ますという予期せぬことに慌てた。千秋にはまだ面と向かって話す心の準備はできていなかった。だからといって逃げるわけにもいかずしぶしぶ一条の方を向く。
「起こすつもりはなかったんです。一目顔を見るだけでもと思って・・・。それに、面会時間を過ぎているし」
「確かに遅すぎる。もっと早く来れたはずだ」
「意識が戻ったとしてもしばらくは面会を控えた方がいいと思って・・・」
「君はどうなんだ?たいした怪我はしていないと聞いていたが、それでも安心できなかった。どれだけ心配したかわからないのか?」
「あなたの怪我と比べたら、私は蚊に指された程度でたいしたことはないわ・・・」
一条は目を細めて顔を顰めた。おそらく受けた傷が痛むのだろう。会いに来なかったと責められても怒る気にはならない、興奮させて傷に触るようなことになってはいけない。
「傷が痛むんでしょう?それに眠らないと・・・。安静が一番の薬だと思うから、私はこれで失礼します」
「君は大丈夫なのか?ちゃんと眠れているのか?悪夢にうなされたりしていないか?」
「一条さんたら・・・。自分が撃たれて死ぬところだったのに、人のことを心配している場合なの?」
千秋は泣きたくなった。一条は千秋が悪夢にうなされていることを見抜いていたのだ。
「君が一緒だったと知って両親がとても心配していた。たいした怪我もなくてすんで良かった。もし君に何かあったらご両親に申し訳ないからと・・・」
一条はベッドから起きようとする。千秋は慌てて一条の肩に手を伸ばして制しながら布団を掛け直す。
「それはこっちのセリフよ。意識が戻ったと思ったら、私のせいで傷がぶりかえしたなんてことになったら、こっちこそあなたのご両親に申し訳ないわ。ちゃんと横になって安静にして」ショルダーバックを肩に掛け直しながら一条を睨む。
「もう帰るのか?」
「帰ります」千秋はむすっとする。
「今度はいつ来るんだ?今度来るときは明るい時間にしてくれ」
「カリカリしないで。血圧が上がるわ」千秋は大きく溜息を吐く。「疲れるだろうからと思って気を利かせて面会を控えていただけよ。次早にあれこれ文句を言われるなら来ない方がましよ」
千秋は背を向けてカーテンを引くと体をねじるようにして一条に顔を向けた。一条は無表情でじっと千秋を見ている。
「近いうちにまた来ます」
千秋がカーテンを閉めるまで一条はじっと見つめていた。何か言いたげな表情が浮かんでいたが口元を引き締めて千秋を見送った。
二人の姉たちはそれとなく一条の話題に触れようとするが、千秋はそれを察したかのように話題を逸らす。無関心を装う妹を二人は心配するが、千秋は何もなかったように振舞っていた。
一条が意識を取り戻した直後に会ったことは二人に隠していた。隠すにはそれなりの理由があるのだが・・・。
意識が戻り個室に移されたことを事前に知らされていた千秋は、面会時間ぎりぎりまで迷ったのち病室へ入った。
室内のスペースはカーテンで仕切られていて一見して病室とは思えない。ちょっとしたホテルのスイートというところだろうか。応接間のようなスペースには少し大きめのテレビが置かれ、高価そうな花瓶には華やかに彩る花が生けられその場を和らげている。カーテンの向こうにはほのかな明かりでベッドのシルエットが浮かび上がる。そのカーテンの向こうに彼がいるのだ。
千秋は一目だけでも彼に会いたいという一身でここまで来たけれど、彼がどういう反応を示すのか怖かった。しかし、彼に会わなければという千秋の思いの方が強かった。
カーテンを少し引いて中に入ると、薬が効いているのか一条は身じろぎひとつせずベッドに横たわっていた。ベッドの前に立つと千秋はためらいがちに右手を一条の顔に近づけた。わずかな息遣いが生きているという証を示している。そのことに千秋は安堵を覚えるのだった。
何日も生死をさ迷いようやく意識を取り戻したばかりの彼には安静が必要だ。一目だけでも会いたいという目的が果たせたのだからこれで満足しなければ・・・。音をさせないように向きを変えようとした瞬間、一条はわずかに目を開ける。千秋は慌ててカーテンに手をかけた。一条は静かだがしっかりした口調で背中を向けた千秋に言った。
「君がいつ来るつもりなのかと考えていたところだ。私を散々待たせておいて声もかけないで帰るつもりかい?」
目を覚ますという予期せぬことに慌てた。千秋にはまだ面と向かって話す心の準備はできていなかった。だからといって逃げるわけにもいかずしぶしぶ一条の方を向く。
「起こすつもりはなかったんです。一目顔を見るだけでもと思って・・・。それに、面会時間を過ぎているし」
「確かに遅すぎる。もっと早く来れたはずだ」
「意識が戻ったとしてもしばらくは面会を控えた方がいいと思って・・・」
「君はどうなんだ?たいした怪我はしていないと聞いていたが、それでも安心できなかった。どれだけ心配したかわからないのか?」
「あなたの怪我と比べたら、私は蚊に指された程度でたいしたことはないわ・・・」
一条は目を細めて顔を顰めた。おそらく受けた傷が痛むのだろう。会いに来なかったと責められても怒る気にはならない、興奮させて傷に触るようなことになってはいけない。
「傷が痛むんでしょう?それに眠らないと・・・。安静が一番の薬だと思うから、私はこれで失礼します」
「君は大丈夫なのか?ちゃんと眠れているのか?悪夢にうなされたりしていないか?」
「一条さんたら・・・。自分が撃たれて死ぬところだったのに、人のことを心配している場合なの?」
千秋は泣きたくなった。一条は千秋が悪夢にうなされていることを見抜いていたのだ。
「君が一緒だったと知って両親がとても心配していた。たいした怪我もなくてすんで良かった。もし君に何かあったらご両親に申し訳ないからと・・・」
一条はベッドから起きようとする。千秋は慌てて一条の肩に手を伸ばして制しながら布団を掛け直す。
「それはこっちのセリフよ。意識が戻ったと思ったら、私のせいで傷がぶりかえしたなんてことになったら、こっちこそあなたのご両親に申し訳ないわ。ちゃんと横になって安静にして」ショルダーバックを肩に掛け直しながら一条を睨む。
「もう帰るのか?」
「帰ります」千秋はむすっとする。
「今度はいつ来るんだ?今度来るときは明るい時間にしてくれ」
「カリカリしないで。血圧が上がるわ」千秋は大きく溜息を吐く。「疲れるだろうからと思って気を利かせて面会を控えていただけよ。次早にあれこれ文句を言われるなら来ない方がましよ」
千秋は背を向けてカーテンを引くと体をねじるようにして一条に顔を向けた。一条は無表情でじっと千秋を見ている。
「近いうちにまた来ます」
千秋がカーテンを閉めるまで一条はじっと見つめていた。何か言いたげな表情が浮かんでいたが口元を引き締めて千秋を見送った。
病室を出ると一人男性が立っていた。ここに来た時には姿を見せなかったが、おそらく一条の警護しているのだろう。制服ではないところを見ると沢田会長の指示を受けて彼の警護をしているのだ。千秋は視線を合わせないようにして男の前を通り過ぎた。
ナースステーション前の外来受付で面会記録にサインしていると、意識を取り戻したことを教えてくれた看護士が現れる。ナースコールが鳴り受話器を取ると若い看護士たちに指示を与えている。主任クラス以上のベテランというところだろう。
「福山千秋さんですね」
千秋はいきなり声をかけられ驚く。スーツ姿の男が千秋のすぐ後ろに立っていた。男は千秋に向かって微笑む。
「一条さんがあなたを車まで送るようにと言われまして・・・」
いきなり現れて車まで送るというこの男は何者?一条の名前が出たからといって信用していいものだろうか・・・。
千秋はその男をまじまじと見つめた。髪を後ろで結んで若く見えるが三十代前後、顔立ちに似合わず体はがっちりして見える。この男は鍛え上げた体をスーツで覆い隠しているに違いない。
千秋が男を観察していると何処からともなく主任看護師が現れ、警戒していた千秋にこの男が信用できると太鼓判を押した。
「あの患者さんには警護がついているのよ。この人は見た目ちょっと頼りなそうだけど・・・」
主任看護師はまるで息子を見るような目をしている。男は苦笑いを浮かべながら頭をかいた。彼女は気をつけてと言うとナースステーションへ戻っていった。
男は運転席のドアを開けて千秋が乗り込む間も警戒を怠らなかったが、ドアを閉める時に地下駐車場の話は聞かなかったことにしてほしいと言った。千秋はただ頷いただけで何も言わなかった。
男は病棟を出てすぐに、一条の警護を担当している加藤と名乗った。そして、ホテルの地下駐車所で一条が狙われた時もその場にいたとつい口を滑らせたのである。それはホテルの駐車場で一条が何者かに狙われたと認めたことになる。その直後、加藤は我に返ったようにはっとした表情を浮かべた。
自分が狙われたことを一条が否定し、あくまでも人違いだと断言する以上、加藤は上司である一条の考えに従うべき立場にある。たとえ故意にしたことではないとしても、一条が不利になるような軽率な言動は控えなければならない。
千秋は運転しながらあの主任看護士が見た目ちょっと頼りなさそうだがと言った時の加藤の顔を思い出す。あの人にかかっては誰でもあんなふうになるわね。彼女の言葉には説得力がある。彼女が言うことは何でも信じてしまいそうだ。彼がうっかり口を滑らせたのもそのせいかもしれない。何かを引き出す不思議な力とでも言うべきか・・・。
加藤は一条が最も信頼する部下である。千秋はその後たびたび加藤と会うことになる。
ナースステーション前の外来受付で面会記録にサインしていると、意識を取り戻したことを教えてくれた看護士が現れる。ナースコールが鳴り受話器を取ると若い看護士たちに指示を与えている。主任クラス以上のベテランというところだろう。
「福山千秋さんですね」
千秋はいきなり声をかけられ驚く。スーツ姿の男が千秋のすぐ後ろに立っていた。男は千秋に向かって微笑む。
「一条さんがあなたを車まで送るようにと言われまして・・・」
いきなり現れて車まで送るというこの男は何者?一条の名前が出たからといって信用していいものだろうか・・・。
千秋はその男をまじまじと見つめた。髪を後ろで結んで若く見えるが三十代前後、顔立ちに似合わず体はがっちりして見える。この男は鍛え上げた体をスーツで覆い隠しているに違いない。
千秋が男を観察していると何処からともなく主任看護師が現れ、警戒していた千秋にこの男が信用できると太鼓判を押した。
「あの患者さんには警護がついているのよ。この人は見た目ちょっと頼りなそうだけど・・・」
主任看護師はまるで息子を見るような目をしている。男は苦笑いを浮かべながら頭をかいた。彼女は気をつけてと言うとナースステーションへ戻っていった。
男は運転席のドアを開けて千秋が乗り込む間も警戒を怠らなかったが、ドアを閉める時に地下駐車場の話は聞かなかったことにしてほしいと言った。千秋はただ頷いただけで何も言わなかった。
男は病棟を出てすぐに、一条の警護を担当している加藤と名乗った。そして、ホテルの地下駐車所で一条が狙われた時もその場にいたとつい口を滑らせたのである。それはホテルの駐車場で一条が何者かに狙われたと認めたことになる。その直後、加藤は我に返ったようにはっとした表情を浮かべた。
自分が狙われたことを一条が否定し、あくまでも人違いだと断言する以上、加藤は上司である一条の考えに従うべき立場にある。たとえ故意にしたことではないとしても、一条が不利になるような軽率な言動は控えなければならない。
千秋は運転しながらあの主任看護士が見た目ちょっと頼りなさそうだがと言った時の加藤の顔を思い出す。あの人にかかっては誰でもあんなふうになるわね。彼女の言葉には説得力がある。彼女が言うことは何でも信じてしまいそうだ。彼がうっかり口を滑らせたのもそのせいかもしれない。何かを引き出す不思議な力とでも言うべきか・・・。
加藤は一条が最も信頼する部下である。千秋はその後たびたび加藤と会うことになる。
