季節は夏から秋へと移っても、捜査の進展がなく時だけが悪戯に過ぎていく。次から次に事件が起こり、警察もこの事件ばかりにかかりきりというわけにはいかない。そして、世間の関心もまた次第に薄れていく。
千夏は正次が勤めていた出版社へ向かった。編集長をしている中川に会う為だ。
「お久しぶりです、中川さん」
「何年ぶりかな、お会いするのは・・・」
「創立五十周年記念以来です・・・」
「そんなになりますか・・・」中川は目を細めて微笑んだ。
「もう少し早くご挨拶に伺うつもりだったのですが・・・」
「彼があのような形で殺されて、君もショックだっただろうと察しているよ・・・」
「彼のことは未だに心の整理がつかなくて・・・」
「そうだろうね。私も未だに彼が死んでしまったということが信じられない」中川は深い溜息を吐き、窓ガラス越しに活気に満ちた編集室を眺めた。
「彼の机はもう片付けられたのですか?」
「いや、そのままにしてある」
中川によると警察が来て彼の机を調べていたが、事件に結びつくような手がかりは何も見つからなかったということだった。
千夏は正次が勤めていた出版社へ向かった。編集長をしている中川に会う為だ。
「お久しぶりです、中川さん」
「何年ぶりかな、お会いするのは・・・」
「創立五十周年記念以来です・・・」
「そんなになりますか・・・」中川は目を細めて微笑んだ。
「もう少し早くご挨拶に伺うつもりだったのですが・・・」
「彼があのような形で殺されて、君もショックだっただろうと察しているよ・・・」
「彼のことは未だに心の整理がつかなくて・・・」
「そうだろうね。私も未だに彼が死んでしまったということが信じられない」中川は深い溜息を吐き、窓ガラス越しに活気に満ちた編集室を眺めた。
「彼の机はもう片付けられたのですか?」
「いや、そのままにしてある」
中川によると警察が来て彼の机を調べていたが、事件に結びつくような手がかりは何も見つからなかったということだった。
中川は千夏を第一資料室に案内した。室内を見回すと古い書籍を集めた書棚の壁面には、見覚えのある本の挿絵の原画が展示されている。
「他の資料室とは別格でね、ここは我が社の貴重な資料が集められている。今はこうして立派なビルの中にあるが、最初は狭い一室から始めた出版社だった。その時の資料が今もちゃんと残っている。今ではほとんど見られない手作りの仕切り板まで健在だよ。社長は自分たちが苦労して今の会社を築いてきた証として捨てられないわけだ」
手垢のついたような仕切り板ではあるが、手に取ると重く安定感がある。その重みは創立者たちの誇りでもあるのかもしれない。正次が仕切り板にこだわった理由がわかるような気がした。
「彼の書箱にも同じように仕切り板が使われていました」
「ほう、彼が仕切り板を使っていたのか」
「はい。でも、彼の仕切り板は中が空洞でそれぞれに番号つけられ、幾つかの仕切り板の中に栞と鍵が入っていました」
「栞?」中川はちょっと考えるように首を傾げた。
「彼はよく私に栞をくれました。城山出版が発行しているものもありますが、中には彼の手書きの栞も・・・」
「確かに彼は栞のデザインも手掛けていましたね。編集者としても優秀だったが、絵のセンスもある男だったな。それにしても仕切り板の中に、どうして鍵や栞を入れて隠す必要がある?」中川は探るように千夏を見た。「君はどういう経緯で仕切り板の中に栞や鍵が入っている事に気がついたのかな」
警察にもこのことはまだ話していないことだ。中川に何処まで話すべきか千夏は躊躇っていた。詳しい説明は省いた方がいいかもしれない。中川を信用していないわけではないが、何かの形で外部に知られることも考えられる。中川はそんな千夏の思いを感じ取ったように言った。
「詳しいことは話せないということだね。君の話しぶりからすると、栞と鍵が事件と何らかの形で関わっている。何の意味もなく彼が栞や鍵を隠すとは思えない。君は栞が彼からの何かのメッセージではないかと考えている」
「あくまでも私の想像で、事件とはまったく関係ないかもしれません」
「それにしても鍵を隠すというのはわかるが、栞は事件とどういう関係しているのかという疑問は残るな・・・」
「私も栞にどういう意味があるのか見当がつかなくて、こちらへ来れば何かわかるかもしれないと思ったのですが」
「鍵と一緒に見つかった栞は持ってきていないのかい?」
「私の手元にはありません。ある方に保管してもらっていますので・・・」
「他の資料室とは別格でね、ここは我が社の貴重な資料が集められている。今はこうして立派なビルの中にあるが、最初は狭い一室から始めた出版社だった。その時の資料が今もちゃんと残っている。今ではほとんど見られない手作りの仕切り板まで健在だよ。社長は自分たちが苦労して今の会社を築いてきた証として捨てられないわけだ」
手垢のついたような仕切り板ではあるが、手に取ると重く安定感がある。その重みは創立者たちの誇りでもあるのかもしれない。正次が仕切り板にこだわった理由がわかるような気がした。
「彼の書箱にも同じように仕切り板が使われていました」
「ほう、彼が仕切り板を使っていたのか」
「はい。でも、彼の仕切り板は中が空洞でそれぞれに番号つけられ、幾つかの仕切り板の中に栞と鍵が入っていました」
「栞?」中川はちょっと考えるように首を傾げた。
「彼はよく私に栞をくれました。城山出版が発行しているものもありますが、中には彼の手書きの栞も・・・」
「確かに彼は栞のデザインも手掛けていましたね。編集者としても優秀だったが、絵のセンスもある男だったな。それにしても仕切り板の中に、どうして鍵や栞を入れて隠す必要がある?」中川は探るように千夏を見た。「君はどういう経緯で仕切り板の中に栞や鍵が入っている事に気がついたのかな」
警察にもこのことはまだ話していないことだ。中川に何処まで話すべきか千夏は躊躇っていた。詳しい説明は省いた方がいいかもしれない。中川を信用していないわけではないが、何かの形で外部に知られることも考えられる。中川はそんな千夏の思いを感じ取ったように言った。
「詳しいことは話せないということだね。君の話しぶりからすると、栞と鍵が事件と何らかの形で関わっている。何の意味もなく彼が栞や鍵を隠すとは思えない。君は栞が彼からの何かのメッセージではないかと考えている」
「あくまでも私の想像で、事件とはまったく関係ないかもしれません」
「それにしても鍵を隠すというのはわかるが、栞は事件とどういう関係しているのかという疑問は残るな・・・」
「私も栞にどういう意味があるのか見当がつかなくて、こちらへ来れば何かわかるかもしれないと思ったのですが」
「鍵と一緒に見つかった栞は持ってきていないのかい?」
「私の手元にはありません。ある方に保管してもらっていますので・・・」
二人は再び中川のデスクへ戻った。中川は二人分のコーヒーをテーブルに置くと、ソファーにゆっくりと腰掛けた。
「君も良くわかっているだろうが、沢田会長は家庭よりも仕事を優先させるような男だ。息子には自分が選んだ相手と結婚させ、沢田グループの後継者にする為に君たちを無理やり引き裂いた。父親であることよりも組織のトップであることが何よりも重要だった。人間は必ずしも、裕福な家系に生まれたからといって幸せではないということなんだろうね」
「沢田グループのトップですから組織を守るのは当然のことですけど・・・」
「沢田親子のことは君の方が詳しいから私が言うまでもなかったな・・・」
「ええ、まあ・・・」
「亡くなる一ヶ月前、ここを辞めて父親の事業を継ぐつもりだと聞かされた時は、正直言って驚いたよ」
「私も彼が亡くなった後でそのことを知りました」
千夏の脳裏に正次と最後に会った時のことが蘇ってくる。もう君を困らせるようなことはしない。二人の関係は仕事上のパートナーであることには変わりないと言った。
― あなたって本当に嘘つきね・・・ ―
仕事上のパートナーと言いながら、彼は父親の事業を引き継ぐ決心をしていたなんて・・・。
正次は千夏と別れた後、それまで勤めていた城山出版をやめ渚出版社へ入社。数年後、実力を買われ渚出版の編集長に抜擢される。渚出版社の社長令嬢だった北山舞子と結婚し、渚出版の後継者として見込まれ、取締役として経営に携わることになる。
しばらくは舞子との結婚生活はうまくいっていたが、舞子の父親と経営について意見が食い違うようになると、夫婦間にも亀裂が入り始めるようになっていく。二人の間にはひとり子供がいたが、二人の関係は修復されることなく二人は離婚し、それと同時に正次は渚出版をやめることになる。
正次が渚出版をやめたことを知った沢田会長の右腕である一条が、沢田グループの後継者として戻るようにと説得を始める。父親の後を引き継ぐことを拒み続けていた正次は、一条の忍耐強い説得もなかなか首を縦に振ろうとはしなかったが、一条の熱意に負けた正次は一社員として沢田グループの一員になることを決心する。
「君は一条さんの説得に応じた彼が、なぜ再びこの世界に戻ることになったのか不思議に思わないかい」
「中川さんが熱心に城山出版へ戻るよう説得されたからだと聞いていますが・・・」
「それもあるかもしれないが、別の理由があると思っている。君ともう一度やり直す為だったのでは?」中川は千夏の表情が変わるのを面白そうに眺めた。
「彼がそう言ったのですか?」千夏は頬が赤らんでいたが必死に冷静を装っていた。
「戻る条件として君の担当になることだと要求されたからね・・・」
「中川さんは私をからかって面白がっていません?」
「私は大真面目だよ」中川は瞳を煌かせると頬を緩める。
「再び私の前に現れた時に彼が言っていました。離婚したのは自分の間違いを正すため、自分の気持ちを偽って手に入れたものは間違いだった。情というものは自然に育つものだが、夫婦の絆と男女の関係は別物。情というものが根底にあるとしても・・・。結婚して年月を重ねれば自然とお互いが同化してしまう。いつしか男と女の関係もなくなるとも・・・」
「結婚しても君とのことを彼は忘れていなかった。地位を得ても彼の心は満たされなかったのだろうね。たとえ子供がいても形だけの夫婦関係は虚しいものだ。奥さんは彼に愛情を残していたと思うが・・・」
「沢田会長は彼の子供のことをかわいがっていらっしゃいます。舞子さんは何度かお見かけしていますが・・・。お話したことがないので・・・」
「沢田会長とよく会っているようだね。どうやら君は沢田グループと深く関わる運命にあるようだな・・・」
城山出版へ戻ってきた彼が、再び一条の説得により沢田の後継者となる決心をした。そして、一条がホテルの駐車場で襲われたこと、正次さんが殺されたことはただの偶然だろうか・・・。
自分の周りで起きること全てが沢田グループと関わっているとしたら・・・。
「君も良くわかっているだろうが、沢田会長は家庭よりも仕事を優先させるような男だ。息子には自分が選んだ相手と結婚させ、沢田グループの後継者にする為に君たちを無理やり引き裂いた。父親であることよりも組織のトップであることが何よりも重要だった。人間は必ずしも、裕福な家系に生まれたからといって幸せではないということなんだろうね」
「沢田グループのトップですから組織を守るのは当然のことですけど・・・」
「沢田親子のことは君の方が詳しいから私が言うまでもなかったな・・・」
「ええ、まあ・・・」
「亡くなる一ヶ月前、ここを辞めて父親の事業を継ぐつもりだと聞かされた時は、正直言って驚いたよ」
「私も彼が亡くなった後でそのことを知りました」
千夏の脳裏に正次と最後に会った時のことが蘇ってくる。もう君を困らせるようなことはしない。二人の関係は仕事上のパートナーであることには変わりないと言った。
― あなたって本当に嘘つきね・・・ ―
仕事上のパートナーと言いながら、彼は父親の事業を引き継ぐ決心をしていたなんて・・・。
正次は千夏と別れた後、それまで勤めていた城山出版をやめ渚出版社へ入社。数年後、実力を買われ渚出版の編集長に抜擢される。渚出版社の社長令嬢だった北山舞子と結婚し、渚出版の後継者として見込まれ、取締役として経営に携わることになる。
しばらくは舞子との結婚生活はうまくいっていたが、舞子の父親と経営について意見が食い違うようになると、夫婦間にも亀裂が入り始めるようになっていく。二人の間にはひとり子供がいたが、二人の関係は修復されることなく二人は離婚し、それと同時に正次は渚出版をやめることになる。
正次が渚出版をやめたことを知った沢田会長の右腕である一条が、沢田グループの後継者として戻るようにと説得を始める。父親の後を引き継ぐことを拒み続けていた正次は、一条の忍耐強い説得もなかなか首を縦に振ろうとはしなかったが、一条の熱意に負けた正次は一社員として沢田グループの一員になることを決心する。
「君は一条さんの説得に応じた彼が、なぜ再びこの世界に戻ることになったのか不思議に思わないかい」
「中川さんが熱心に城山出版へ戻るよう説得されたからだと聞いていますが・・・」
「それもあるかもしれないが、別の理由があると思っている。君ともう一度やり直す為だったのでは?」中川は千夏の表情が変わるのを面白そうに眺めた。
「彼がそう言ったのですか?」千夏は頬が赤らんでいたが必死に冷静を装っていた。
「戻る条件として君の担当になることだと要求されたからね・・・」
「中川さんは私をからかって面白がっていません?」
「私は大真面目だよ」中川は瞳を煌かせると頬を緩める。
「再び私の前に現れた時に彼が言っていました。離婚したのは自分の間違いを正すため、自分の気持ちを偽って手に入れたものは間違いだった。情というものは自然に育つものだが、夫婦の絆と男女の関係は別物。情というものが根底にあるとしても・・・。結婚して年月を重ねれば自然とお互いが同化してしまう。いつしか男と女の関係もなくなるとも・・・」
「結婚しても君とのことを彼は忘れていなかった。地位を得ても彼の心は満たされなかったのだろうね。たとえ子供がいても形だけの夫婦関係は虚しいものだ。奥さんは彼に愛情を残していたと思うが・・・」
「沢田会長は彼の子供のことをかわいがっていらっしゃいます。舞子さんは何度かお見かけしていますが・・・。お話したことがないので・・・」
「沢田会長とよく会っているようだね。どうやら君は沢田グループと深く関わる運命にあるようだな・・・」
城山出版へ戻ってきた彼が、再び一条の説得により沢田の後継者となる決心をした。そして、一条がホテルの駐車場で襲われたこと、正次さんが殺されたことはただの偶然だろうか・・・。
自分の周りで起きること全てが沢田グループと関わっているとしたら・・・。
避けることができない運命とどう戦っていけばいいの?
どうしてあなたは私の仕事場で殺されたの?
正次さん教えて!
