第4話 | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 千春は車に乗り込んで、運転席のシートに寄りかかりホッと息を吐く。吉良との共同で翔の写真集を製作する話が出てから、仕事の依頼は増えて以前よりも忙しくなってしまった。
 バックから携帯を出して着信記録を見つめる。そこには翔の名前があった。吉良の別荘を出た後、翔から何度もメールが送られて来ていたが、千春は一度もメールを返さないままだった。メールの画面を撫でながら、ぼんやりと車窓から外に視線を向ける。千春は目を閉じて溜息を吐いた。翔のことを考えまいと思っても、何をするにも思考の中に割り込んでくる。
 千春がハンドルに手をかけて鍵を差し込むと携帯が鳴った。
「もしもし・・・」
「千春、今何処?」
「車の中よ」
「外で食べない?」
「今から?」
「悪いけど、千秋にも連絡して来るように言ってよ、この間のホテルで待っているから・・・」
 千夏は返事も聞かずに切ってしまった。いつものように何の前置きもなく、言いたいことを言って切ってしまうから、主語や述語もへったくれもあったものではない。それで作家として食べているとは信じられない。まったく!千春はあきらめ顔で千秋に電話をかけた。

 神尾はホテルのレストランで落ち着きなく椅子に座っている。レストランでは心地良い音楽が流れているが、神尾には馬の耳に念仏状態である。
 川久保のことが気になって千夏を訪ねたのだが、彼女のペースに乗せられてこんなところに来る羽目になってしまったのだ。何が“妹たちも呼んでいるから、一緒に美味しいものを食べましょうよ”だ。神尾はぶつぶつ心の中で呟く。
 取調べで被疑者の女性と向き合ってもこうは緊張しないが、ホテルのレストランで二人きりで向き合うのは苦手だ。上司の勧めでお見合いをする羽目になったことがある。(それは上司命令に等しかったが・・・)その時もホテルのレストランだった。今日は一人ではなく三人の女性、それも福山三姉妹を相手にしなければならない。優雅な食事よりもコンビニのおにぎりを齧り付きながら、車の中で張り込みしていた方がましだと神尾は心の中で呟いていた。
 千夏は神尾が根っからの警察官だと思っている。出世を約束されたキャリアではないが、彼はどんな時も警察官であるということが身体に染み付いているのだ。食事中にしても職務中と同じ、非番の時でさえ警察官という柵を抱えているようなものだ。デスクにしがみつくキャリアと違って、現場で捜査に奔走する刑事なのだ。
 彼がバリバリで根っからの刑事であることはよくわかっている。神尾の父親も警察官だった。ノンキャリアではあったが副所長を務めていたほどの人物だ。優秀な警察官であった父親の血を引く神尾が、父親と同じ警察官の道を選んだというのも頷ける。その神尾が今日ハウスに訪ねて来た時、表情からとても疲れているように見えた。
「そういえば、お父様はお元気?」
「ああ、退職して警備会社に勤めている。と言うより副署長の椅子を蹴って国家警察に見切りをつけたと言うところかな・・・」
「まあ、警察を辞めて警備会社に?」
「警察上がりだから身辺警護の教育兼相談役もしている。警察と言う大きな組織の中にいるよりも民間の警備会社を選んだ」
「お父様は私が訪ねていくと、色んな話をしてくれたわ。私が小説を書いているって言ったら、殺人事件を題材にするなら協力するって・・・。でも、半年後には移動の辞令があったのよね。色々もっとお話したかったわ・・・」
「そういえば、親父は君がどうしているか気にしていたよ。君の本はほとんど持っている。新刊が出るたびに買いに行っているようだ。自称ファン第一号だといつも言っている」
 二人の会話は学生時代へと移っていった。神尾はいつの間にかリラックスして穏やかな表情を浮かべていた。千夏はそんな神尾を満足そうに眺めていた。
 そろそろ妹たちが来る頃だ。時々チラッと入口に目を向けていた千夏の目に留まったのは一条の姿だった。三人の男たちと連れと思われる女性が入ってきた。
「どうかしたのか?」神尾は千夏の視線を辿った。
「沢田グループの一条直也・・・」
 千夏は目を細めて一条を見た。もしかしたら一条が現れるかもしれないとチラッと考えていた。正次は一緒ではないらしい・・・。
「あれは千秋さんじゃないか?」
 千秋は千夏の姿に目を留めるとホッとしたような表情を浮かべた。神尾が一緒なのは千春から聞いていた。いつものいかめしい神尾ではなく、リラックスした様子で座っている。神尾はまだ独身だと聞いている。刑事でなくてもあの風貌ならちょっと怖い人に見えなくもない。いつもとは違って今日の神尾はとっつき悪い感じはしない。
「こんにちは、無理やりつき合わされてご迷惑じゃありませんか?」
「あんたね・・・。なによ、それ・・・」
 千夏はチラッと窓側を見た。前に来た時も同じテーブルに一条が座っている。神尾も一条を見ている。そのことに気づいて千秋も窓際に目を向けた。二人が見ているのが一条だと知って驚いた。このホテルを沢田グループが所有していたのだから、一条が利用するのは驚くことでもない。それでも千秋はできるなら一条とは関わりたくはない。
「千春姉さんはまだ来てないのね」一条から目を離して千秋は言った。
「もう来るんじゃない?」
 千夏は店内を見回した。自分たちが入ってきた時は半分のテーブルに客が座っていた。いつの間にか空席はわずかに残っているだけだ。千夏たちが座っているテーブルから対角線上に一条のテーブルがある。距離的には離れていて、意識していなければ千夏たちがいることには気がつかないだろう。千夏は一条のいるテーブルに視線を向けると人影に遮られた。三人の男たちがちょうど席に着いたところだった。三人の中の一人が、サングラスをかけた男に耳打ちをして窓の方に顎をしゃくった。もう一人の男は携帯を出して電話をかけている。見るからに怪しげな三人組だ。
「あ!千春姉さんが入ってくるわ・・・」
 千秋は千夏が三人の男たちに気を取られていることに気づかない。一条を見ないようにしていた千秋には当然目に入るはずもない。神尾もまた怪しげな三人の男たちには気づかず、千夏が一条を見ていると思っていた。
 千春は店内を見回して千夏たちを探していた。窓際に目を向けた千春は一条の姿を目で捉えたが、千夏たちを探してぐるりと店内を見回す。すぐさま千夏たちのテーブルを見つけて向きを変えた。その時、後ろから来ていた女性客の肩にぶつかる。
「すみません・・・」千春は振り返ると慌てて謝った。
「いえ・・・」女性客はサングラスをかけて表情は見えない。
 かすかな香水の香りが千春の臭覚に軽い刺激を与えた。どこかでこの香り・・・。千春はその女性の後姿を見送りながら考えた。思い出せない・・・。千春は考えるのをやめて千夏たちが待つテーブルへ向かった。
「さっきの女の人とあんたの知り合いなの?」千夏は窓際に目を向ける。
「違うわ・・・。肩がぶつかったから謝っただけよ」
「あの人一条さんの知り合いみたいね・・・」
 四人の視線は一斉に窓際へと向けられた。さっきの女性客は二人連れの男性と共に一条の前に立った。一条は三人と挨拶を交わし、椅子に座るように促した。
「沢田グループの関係者みたいね。幹部の人間と言う感じかな、どうせ仕事がらみでしょう」
「なんか派手な感じね、さっき千春姉さんと肩がぶつかった女性って・・・」千秋は顔を顰める。
「身につけているのはブランド物、センスもなかなかのものね・・・」
 モデルを相手にすることが多い千春の言う通りだった。一条が関わる人間は気に入らないからという千秋の偏見もある。しかし、沢田グループの一条と関わりたくないというだけの理由ではなかった。一条を意識しする自分が嫌で仕方がなかった。
 


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