第3話 | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 千夏は二階の窓から、池の前に立つ浅井を見ていた。事件現場となった池を見てみようという好奇心からだろうと思った。
 それにしても、これからちょくちょく伺わせていただくことになると浅井は言っていたが、どういう意味だろう・・・。あの時はそう深く考えなかったけれど・・・。正次の代わりに来たと言うのも引っかかる。そんなことを考えている間に、浅井は池を離れてハウスの影に消えた。
 千夏は眩しい太陽の光に手を翳した。相変わらず日差しは強く、生ぬるい風が部屋に吹き込んでくる。扇風機の風もあまり役に立ちそうにないが、そんなことは言っていられない。千夏は窓から離れパソコンの前に座って仕事に取り掛かった。パソコンを起動させたとたん、駐車場に車が止まった。千夏は立ち上がって、駐車場側の窓に近づいた。
神尾は額に汗しながらドアを背にして立ち、恨めしげに陽炎のように揺らめく太陽を見上げた。
「今日は何事?」
 千夏はいきなりドアを開けて神尾を迎えた。神尾はベルを鳴らす間もなく、突然現れた千夏と向き合うことになった。
 髪が乱れるのもかまわず一心不乱に執筆するというのが、神尾が抱いていた女流作家のイメージだった。千夏はきちんと髪をひとつに結び、花柄ワンピースを着ている。時間をかけて念入りに化粧するのが一般的な女性だろう。彼女の場合は時間を無駄にすることもなく自然に見えるナチュラルな化粧をしている。しばし見とれてしまった神尾は、それを軽く咳払いをしてごまかす。
「君は私が来ると事前に知っていたのか?予知能力があるというわけじゃないだろうな・・・。こっちがベルを鳴らす前に、先回りして私を驚かせるとはいい趣味しているよ」
「あなたのポンコツ車のエンジン音が聞こえたのよ」
 ポンコツ車・・・。神尾は眉を吊り上げた。確かにとても新品の車には見えないだろうが、ポンコツといって片付けられるとは少しばかり癪に障る。少しだけいい女だと思った神尾は心の中でそれを撤回することにした。
「そんなことはどうでもいいけど、ともかく中へ入ってよ。さっき冷房を入れていたから涼しいと思うわ。たいしたお構いもできないかもしれないけど・・・」
 ああ、そうだろうよ・・・。神尾はぶつぶつ心の中で呟きながら入って行った。

 神尾はソファーに座り、即効に口を開いた。
「川久保さんの姿を最近見かけるかい?」
「そういえば、最近こっちには戻ってきていないみたいだわ・・・」
「何日か前に、ある人物と一緒にいるところを見た」
「ある人物?」千夏はコーヒーをテーブルに置いて腰を下ろす。
「ある事件の関係者の足取りを調べている時、あるホテルで川久保さんを偶然見かけた。川久保さんは真剣な面持ちで男と向き合っていた。なんとなく二人のことが気になって、しばらく様子を見ていた。川久保さんは脇に封筒を大事そうに抱え、足元にアタッシュケースを置いていた。男は川久保さんの話を頷きながら聞いているだけで、ほとんど自分から口を開く様子もなかった。男が川久保さんに向かってようやく口を開いたのは別れ際ぐらいだったと思う。川久保さんは時々腕時計に目を向けていたから、長話をするつもりはなかったようだ。私が彼らを見かけてから5分も経っていなかったんじゃないかと思う。二人は握手を交わし、川久保さんはアタッシュケースを持つとホテルの出口の方へ歩いて行った。私は川久保さんの後を追わず、相手の男が動き出すのを待った」
 千夏はある人物が誰か早く知りたいのは山々だが、話を途中で折るような真似はしたくなかったので話を続けるように頷いて促す。
「川久保さんは事務所で寝泊りしているが、ここのところ事務所に姿を見せていないようだった。だからてっきりここへ戻ってきているのだろうと思っていた。そんな時、彼を見かけたというわけさ。ともかく私はその男の後をつけて行った。つけているとわからないように後を追いかけていたつもりだった。これでも刑事だから、尾行には自信があったのにな・・・」神尾は参ったと言うように、頭の後ろに手をやって口元を歪める。「その男はいきなり振り返り、私に何か用があるのかと言った。こっちが尋問されているような気分を味わったよ。しらばくれることも考えたが、あっちの方が上手でね。自分がつけられていることは初めから承知の上だという顔だった。仕方なく、さっき話していた男とはどういう知り合いなのかと聞いてみた。お互い軽く挨拶するくらいの関係だと彼は答えた。たったそれだけの問答で相手がどんな人間かわかるはずもないが、彼は頭の切れる男だと思わせるところがある。いや、手ごわい相手だと刑事としての勘が働いたと言った方がいいかもしれない・・・」
「あなたは本能で動く人だからね・・・」千夏は思わず手で口をふさぐ。
「それを言うなら直感を信じていると言ってほしいな・・・」神尾はフンと鼻を鳴らした。
「ごめん、ごめん。思ったことをすぐに口に出してしまう性格だから・・・」千夏は再び余計なことを口走っていた。だが、肝心の本人はそのことにまったく無頓着だ。
 神尾は目を剥いた。だが、怒る気も失せてしまった。彼女を相手にするとどうしても調子が狂ってしまう。溜息を吐いて、再び口を開く。
「川久保さんと話していたのは一条と言う男だ」
「一条?」まさか、あの人が?
「そうだ、沢田グループの一条直也さ・・・」
「二人はどういう関係なのよ」千夏は思わずテーブルの上に両手をつく。
「考えてみろよ。二人に共通することと言えば?」
「二人とも弁護士・・・」
「軽く挨拶を交わすくらいの関係と言われればそうだが、それだけの関係とは思えなくて、どうしてもそのことが心に引っかかる」
「沢田グループと言えば会長のワンマン経営術、情け無用の冷血漢と呼ばれるような男の下で働いているような人間だから、かなりの切れ者でしょうよ。なんでも今では沢田会長の右腕と称される一条直也・・・」
「顧問弁護士の大沢春直は彼が現れて影が薄くなってしまったが・・・。それでも大沢の影響力は今でも大きいだろうな・・・。沢田会長が一条直也を突然連れてきて、経営のノウハウを叩き込んだ。彼が現れるまで大沢春直は会長の信頼を得ていた。顧問弁護士としてというだけでなく、沢田グループの経営に関わり、沢田家の財産管理も全て任されていたぐらいだからな・・・。だが、彼が現れてその地位も危うくなった」神尾は間を置きちょっと考え込む。
「確かにあの人は弁護士だけあって頭も切れるし、そこにいるだけで存在感があるわね」
「沢田正次も一条直也を信頼しているようだな・・・」意味ありげにちらりと千夏に視線を向ける。
「何よ、なんか引っかかる言い方ね。私と沢田正次は結婚までしようとした間柄だけど、それは昔のことよ。」
「誰もそんなことは言ってないだろう」
 神尾は千夏の反応に心の中でにやりと笑う。二人が恋人同士だったことは無論知っている。二人はお似合いのカップルだった。ただ、沢田グループの後継者という立場にある男と、しがない女流作家とでは不釣合いだという理由で、父親の猛反対にあい二人は引き裂かれた。心の葛藤はあったとしても、今の彼女は過去のことに振り回されたり、男に依存したりするような弱い人間ではないことも知っている。
「まあ、いいわ・・・。そんなことどうでも・・・。二人が弁護士という職についているわけだし、挨拶を交わしていたからっておかしくはないでしょうけど・・・」
「ただ軽く挨拶を交わしていたわりには、川久保さんの表情は真剣そのもの、一方的にしゃべっている感じだった。私が彼らの姿を見かける前の会話がどういうものだったかはわからないが、雰囲気的には軽い会話程度と言うのは変だと思ったよ」
「あなたの言う刑事としての勘かしら?」
「川久保さんが何をしようとしているのかはわからないが、一条直也という男に接触したこととあの事件となんらか関係していないと否定はできないだろう?」
「考えすぎじゃない?川久保さんと沢田グループを結びつけるのは、ちょっと無理があると思うけど・・・。それに沢田グループには顧問弁護士の大沢春直がいるし、一条さんだって弁護士でしょう。こう言っては川久保さんに失礼かもしれないけど、凄腕の弁護士二人と川久保さんとでは勝負にはならないし・・・」
「そうだな・・・」神尾はソファーの背にもたれる。
「あなた、ちょっと疲れているわね」千夏はにっと笑った。
 神尾は警戒するように千夏を見る。彼女はよからぬことを企てているに違いない。この意味ありげな含み笑いが曲者だ。
「ねえ、食事に行かない?」
「はあ?」神尾はぽかんと口を開けた。
 入って来た時はそれほど暑いとは思わなかったのに、千夏の一言で神尾の額に汗が噴出した。確かに冷房を入れていたようだが、私が来る前の話しで、私が来たときはすでに切られていたと言うことらしい。まったく・・・。それにしても彼女に会うと必ず調子を崩され、何事においても彼女が絡むと必ず巻き込まれる。一体いつまで続くんだ?勘弁してくれ!




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