第51話 (第一章最終話) | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 ホテルの一階へ降りると、同僚の姿はすでになかった。それが当然の事のように、一条は千秋をホテルから連れ出した。むっとした熱気が押し寄せてくる。
 一条は暑さなど気にならないかのように涼しげだ。千秋は湿っぽい熱気にじんわりと額に汗をかいて、暑さなど意に介さない一条が恨めしかった。一条はタクシー乗り場まで千秋の肩を抱くようにして歩いていく。小柄な千秋は一条の歩調に合わせて足早についていくしかなかった。何度も抗議しかけたが、ただ一条についていくのが精一杯だった。
今まで何とか自分の力で切り抜けてきた。その自分が強引でありながら、何があっても一条に任せれば大丈夫だと言う気がしてしまう。そういう男性に頼ってしまいそうになる自分が嫌だった。
タクシー乗り場に来ると、一条は千秋と向き合った。
「捜査の進展が見られない現状では、まだあなたたち姉妹が安全であると言う保障は何処にもない。この間のような目に遭わないとも限らない。そのことを頭において軽はずみなことはしないように・・・」
「軽はずみですって?子供じゃあるまいし・・・。それに、自分の身は自分で守るわ」
「勇ましいことだ」一条はふっと笑った。「あの時、私がバイクで現れなかったら、一体どうするつもりだったのかな・・・。得体の知れない人間があなたの車の後をつけてきた。あの連中が何者なのかもわからない、君一人でどうこうできる問題ではない。ましてや君は女性だ。色んなリスクを背負っていると言うことを忘れないように・・・」
 千秋は一条が何を指して言っているのか、嫌というほど意識させられた。一条に言い返せないもどかしさと、まるで見透かされた気がして思わず赤面した。そんな千秋を見て一条は満足げな表情を浮かべた。
 一条はタクシーのドアが開くと、運転手にすらすらと福山家の住所を告げた。財布を取り出すと、運転手に残りはチップとして受け取るようにと言った。
「お金は自分で払います」
「男に恥をかかせないでほしいね」
「貴方にこんなことされる理由がないわ・・・」
「あなたの言う、自分の身は自分で守ると言う言葉を信じましょう。貴方たち姉妹は勇敢な女性だという証明を見せてくれると言うことかな?いずれまたお会いすることもあるでしょう。その時を楽しみにしていますよ」
 どこかからかうような口調だった。一々癪に障る男だ。千秋は何か言い返したかったが言葉が出なかった。
「千秋さん、くれぐれも気をつけるんだ。いいね・・・」
 一条の表情は真剣そのものだった。次の瞬間、表情が緩み優しい眼差しを千秋に向けた。千秋は一条の表情に惹きつけられた。
ドアが閉まり一条は軽く手を上げる。千秋は小さくなっていく一条の姿を見つめた。
バイクの男と沢田グループの一条と結びつけることに抵抗を感じていた。あのバイクの男が誰であるのかわからないまま、謎の男であってほしかった。自分の中で膨れ上がった思いが色褪せていくような、一抹の寂しさを覚えずにいられない千秋だった。

 千夏はパソコンのキーボードを叩く手を止めた。駐車場に車が止まって、ドアが閉まる音がした。
 椅子から立ち上がり、窓に近づくとカーテンを引いた。タクシーが向きを変えてゆっくりと走り去ると、月明かりの中で千秋の姿が浮かび上がる。
 何故タクシーなのかしら・・・。車で出かけたはず・・・。どうしたのかしら・・・。千夏は窓を開けた。
「千秋!車はどうしたの?」
 千秋は千夏の部屋を見上げる。
「同僚とホテルで食事することになって・・・。車は会社に置いてきたの・・・」
「そうなの・・・」千夏はほっとしたように声を和らげた。
「仕事中なの?」
「ええ。でも今からコーヒー入れるけど一緒にどう?」

 長い梅雨を抜けて焼け付くような太陽が顔を覗かせる夏がやって来た。
 ポプラの下で、愛犬がちょこんと座ってポプラを見上げている。まるで誰かを待っているかのように・・・。
「バンチャン、今でもお兄さんがここへ戻ってくると思っているのかしら・・・」千春は目を細めた。
「そうね、そうかもしれないわね」千夏は溜息をこぼす。
「私たちにとってポプラは幸せのシンボルなのよね」千秋は微笑む。
 三人の中で兄のいた光景が浮かんでくる。笑い声と溢れんばかりの光に溢れていた心安らぐあの場所・・・。
 三人はポプラから池へと目を向けた。水面には太陽の光がきらきらと輝いている。まるで何事も起きなかったように辺りは静まり返る。
「私たちはいつも何かに怯えていなければならないのかしら・・・。そんなの嫌だわ・・・」
「早く、事件が解決するといいけど・・・。私たちにできることはないのかしら・・・」
「さあ、どうかしらね。これから先どうなっていくかなんて誰にもわからないでしょう。でも、このまま何事もなくすむとは思えないわ・・・。友美さんが襲われたのだって、きっと何かあるのよ。私が狙いだった可能性だってないわけじゃないでしょう・・・」
「千夏ねえ!」千春は思わず大きな声を出した。
「あんただってそう思っているでしょう?」
「そりゃ・・・」千春は不安そうに千夏を見る。
「私も考えないでもないわ・・・」
「千秋まで・・・」
「千秋は、また何かとんでもないことが起きると思っているの?」
「ポプラは見ていたのかもしれない。全てを・・・。あの池で何が起きたのかも、誰が犯人なのかも知っている。突き止めなきゃいけないと思う。このままで終わると思えない・・・」
 天空から太陽の光がポプラに降り注ぐ。ポプラが葉を揺らしてざわめき、三姉妹は眩しい太陽の光を振り仰いだ。 
三人はお互い目を合わせた。そして、ポプラを見た。
「お兄さん、きっとそんなことやめろよって言うでしょうね。お前たち何をする気だって・・・」千夏はくすっと笑った。
「私たちが何もしないでじっとしていることができないってわかっているわね」千秋もつられて笑った。
「そりゃ・・・そうでしょう。だって兄さんの妹ですもの・・・」千春は当然と言う顔で千夏と千秋を見る。

 ―おいおい!何てこと言う!―

 ん?三人は顔を見合わせた。

「ねえ・・・。何か聞こえなかった?」
「まさか~!」

バンチャンがすくっと立ち上がり、ポプラの木を見上げてワンと吠えた。
彼にはしっかりと見えていた。ポプラの木の枝に座っているご主人様が・・・。




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