第39話 | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 運転席から一人の女性が降りてきた。いつもと雰囲気が違うが、その女性が誰であるのか千春にはわかった。
「こんにちは、千春さん・・・」
 千春はまじまじと彼女を見つめた。バンチャンを撫でる彼女の眼差しはとても優しかった。その彼女が今は別人のように見える。翔の妹だと知って、彼女を見つめる自分の見方が変わってしまったのか・・・。
 美人のOLなど何処にでもいるが、翔の妹と言うだけで、どこかの事務所に所属するモデルにも見えてしまう。
「あまり驚かれていないみたいですね。どうして私がここに来たのか不思議に思いません?」
「驚いてはいるけれど、なぜあなたがここに来たのかちょっと疑問に思っているのは確かよ。私たちがここへ来ていることをどうして知っているのかしら?」
「翔は撮影中ですか?」質問には答えず愛子は別荘の方を見て言った。
「ええ・・・。お兄さんはスタジオで撮影しているわ・・・」
「千代さんの入れたコーヒーが飲みたくありません?」
「そうね・・・」千春は怪訝な表情を浮かべて愛子を見る。
「吉良カメラマンは奥さんを連れて来ています?」愛子は辺りを見回し、手を翳してして空を見上げる。
 千春は塊を飲み込んだように胃のあたりが重く感じられた。まだ、パズルは完成していない。千春は考えをまとめようとしていた。最後の一片を失くしてしまったのか・・・。パズルをばらばらにしてしまいたい。完成させたら、何かが変わってしまう。最後の一片を千春ははめたくなかった。

 千代は嬉しそうに愛子を迎え入れた。
「お久しぶりですね」
「ええ、父親と冷戦状態が続いていたから・・・」
「まあまあ、穏やかじゃありませんね」千代は目を細めて笑った。だが、顔を曇らせて首を振る。「翔様との仲がしっくり行かないのは仕方ないとは思いますけれど・・・」
 愛子は首を竦める。コーヒーカップを持って窓辺へ行くと、振り返って千春を見た。
「千春さん?顔色が悪いみたいだけど・・・」
「いいえ、大丈夫よ・・・」
 顔が強張っているのはわかっている。胃がせり上がって吐きそうだった。
「まあ、真っ青じゃありませんか・・・」千代は心配そうに千春を見る。
「外の空気を吸えば大丈夫よ。ちょっと失礼するわね・・・」
 再び外へ出た千春は、空を見上げて流れていく雲を目で追った。
 時に真実は雲に隠れる太陽のようなもの・・・。そこに答えはあるのに、千春は知りたくなかった。
 どのくらいの時間が経ったのか、千春には感覚がなかった。一瞬だったようでもあり、限りなく永遠にも思えた。
 太陽が青い空をゆっくりオレンジ色に染め始める。山の頂を太陽がゆっくりと沈んでいく。墨が滲むように深く濃い紺色の空が広がる。
「千春・・・」
「綺麗ね・・・。何日もここに来ていると言う気がするわ・・・。懐かしいような、いつも見ているような・・・」
 翔が自分のすぐ後ろにいると、彼の声が聞こえなくても千春にはちゃんとわかる。
「あなたが父親を憎んでいるとわかっていたけど、どうしてそんなに父親を憎むのかわからない・・・。父親の存在を消してしまえると本気で思っているの?」
 千春は翔に背中を向けたまま振り向こうとはしなかった。
「最初から父親はいないと思っている。母親が死んでから一人には慣れている・・・」
「あなたには妹がいるじゃない。愛子さんは父親の元で育てられてきた。あなたの父親でもあるのよ。まぎれもなくね・・・。父親はいないと言いながら、あなたはその父親を利用しているじゃないの・・・」
「誰も利用してなどいないよ」
「利用してないですって?」千春はさっと振り返る。「自分の父親の名前を利用しておいて良くもそんなことが言えるわね。世間じゃ誰もそのことを知らない。間抜けな私は吉良カメラマンに、少しは実力を認めてもらえたんじゃないかと・・・とんでもない錯覚をするところだったわ・・・。福山千春と共同制作じゃなければ写真集は取り止める。そう言って脅迫でもしたのかしらね」
「何のことかわからない」
「とぼけないでちょうだい。吉良大助は自分の父親だと認めたらどうなの・・・。父親に復讐する為に、こんなことをするわけ?皮肉なものね。巡り巡って親子揃って、父と子が運命に翻弄されるなんて・・・」
 生暖かい風が辺りを包んだ。向き合う二人の影が長く伸びる。そしてひとつの影が二人の影に交差する。
「やはり、千春さんは何も知らなかったのね・・・」
 二人はその声に振り返る。
「愛子・・・」
「吉良大助を憎むなんてばかげている。父が捨てたんじゃない。あなたの母親が私たちを捨てたのよ。自分の果たせなかった夢を、翔という自分の息子にかけた。私はあの人にとってはどうでもいい存在だった。一度だって自分の娘に会おうとしなかった。会うつもりはないと突っぱねられた私はどうすればよかったの・・・」
「愛子、それは違う・・・」
「違う?何が違うと言うの・・・。父はあなたときちんと向き合おうとしていた。それなのに兄さんは・・・。自分が父親に捨てられたと勝手に思い込んで・・・」
「愛子は何もわかっていない・・・。女の手一つで二人の子供を育てていくことがどんなに大変なことか・・・。母は苦労しながら私を育ててきた。吉良大助は名声を得て、カメラマンとして神のように崇められている。だから、お前は父親の元で生きていく方が幸せだと・・・」
「そうね、吉良大助は父親の遺言どおりに、遺産を引き継いで裕福になったわ・・・。でも、父は自分の力でカメラマンとして名声を得たのよ」
「吉良大助は妻を捨てて、別の女性と・・・」
「吉良の母を悪く言わないで頂戴!私を本当の娘のように育て愛してくれた人よ。兄さんこそ死んだ人を美化しないで・・・。あなたの母親は娘の存在を、私が生まれてきたことさえ否定したのよ!」
 兄と妹、父と息子、母と娘・・・。絆とは一体何なのか・・・。千春の胸に愛子の悲痛な声が突き刺さる。



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