幽霊ではなく、あやしいモノを視るという人を某所で見かけた。
夏目のような、もやしもんのただやすのような。
そんなモノを視る人だった。
夏目のように嘘つき呼ばわりされたりしたらしい。
色々な妖怪漫画はあるけれど
夏目貴志にとても感情移入出来るといっていた。
まるっきり同じ経験してるんだそうだ。
まとめサイトとかきっと作られるだろうけど
ネタだったとしても、とても面白かったので
転載してみる。
まるで、夏目に出てきた露神様のようなお話・・・
ナユキ様
>>これは唯一ちゃんとした人間と同じ姿で、長い時間を過ごしていた妖の
話を書こうと思います。
その妖に会ったのは成人してからでした。
場所などの名称は出すのをやめます。多分、調べれば出て来る名前だと
思うので… そこで暮らして今も奉っている地元の方達の気持ちを
裏切ることになりますのでご容赦下さい。
夏に地元の子供会などでボランティアをしている友人に誘われて
キャンプに行った時の話です。
田舎の川でニジマスを取ったり、バンガローとかで泊まってバーベキュー
とか出来る場所ありますよね? そこに滞在しながら、3泊4日とかで
集団で泊まりに来る子供達の面倒を見るという仕事で、ボランティア
だからお金は出ないんだけど、人手が足りないからと2週間ちょっと
お手伝いすることにしました。
もともとああいう大自然はすごく好きで、子供も嫌いじゃないので
面白そうと思って行ったのが始まりだったんですが、その川原には
30棟ぐらいバンガローがあって、夏の時期だけ営業してるお店でした。
川のすぐ後ろに山があって、滞在して数日ですぐに山に何かが居るなと
感じていたんですが、初日から四日間は子供達と一緒だったんで探索は
せずに気にしながらすごしていました。
(山に入ると子供も付いて来るので危ないと思ったからです)
その第一弾の子供達が帰った日のお昼過ぎに、一人で山に入ってみました。
山道で散歩用の道があったんで、ペットボトル片手に歩いていたんですが
歌みたいなものが聞こえて、呼ばれてる感覚があったので向こうも気付いた
かな?と。子供達が来るのは二日後で、次の日は一日休んで自由にしてて
いいよと言われていたんで、面白いのが居たら明日一日退屈しないで
済みそうだっていう軽い気持ちでした。
散歩道になってる山道をぐるっと歩いて戻って来たんですが、歌が
聞こえる方向が違うなと思って、他の道を探しました。
山道の途中で、道から逸れて明らかにそれ斜面登って山の中だろ?;;って
細い小道があって、覗いてみると奥まで結構続いてそうな道で
なんて言えばいいのか判らないんですが、太いロープが地面にクイ?の
様なもので打ち付けてあって、それを伝って少しづつ上っていける
細道といえば言いいのか… うまく書けなくてすいません;;
でも、そのロープを伝いながら、斜面がきつい所は上っていき~と
進んで行くと、山の斜面と書けばいいのかな。
細い道なんですが、踏み外したら下に落ちるなっていう場所に出ました。
それまで木が生い茂ってて暗い中進んでいたので、その明るい道に出て
太陽がすごい眩しくて、結構な高さまで上ってた事に気付きました。
その道の先に何か居る気がして進むと、すぐに小さい祠の様なものが
あって、二匹の狐の像と、小さいですが鳥居もちゃんとありまして
来るのに大変な場所ですが、供えられてるお水とか物を見ると誰かが
ちょくちょく来てお世話してるんだなぁと思いました。
鳥居の横に小さいみかんの木が生えてて、木陰を作っていたので
そこに座ってペットボトルの飲み物を飲みながら涼んでました。
影に入るとすごく気持ちの良い風が吹いて来るところで、周りの山なんかが
一望できる景色が綺麗な場所で、少しそこでボケーっとしてました。
「帰りなさい」という声が聞こえた気がして、振り返ったのですが姿は無く、
まさか狐の像が喋った?と青ざめたんですが、まさかなぁ…とそのまま
また前を向くと、「雨が降るから帰りなさい」とまた声が聞こえて、
立ち上がったんですが姿は見えなくて、空を見ても明るいし「雨なんて
振るわけないじゃん…」と呟いて、でも帰れって言ってるって事は
歓迎されてないんだなと少し凹んで帰ろうとしたら、鳥居の奥の狐の像の
横に、着物の様なものを着てる人の姿がありました。
完全に人間に見えるタイプの妖は滅多に見かけないです。
それまで一度しか見た事が無かったんで、幽霊だと思って慌てふためいた
のですが、その私を見てその妖は笑って「雨が来るから早く帰りなさい」と
言って姿を消しました。
ゾッとしたとかそういう悪い感覚は無くて、酷く驚きはしたものの
その声とか見た目にとても優しい感じがあったので、そのまま来た道を
戻って下に戻りました。あの人が言ってた通りに泊まっているバンガローに
戻ってすぐに夕立が来て、一緒に泊まっていた友達に良いタイミングで
戻って来たねと笑って言われて、本当に雨降ったな…と明日お礼を言いに
行こうと思いました。
その日の夜にみんなでご飯を食べている時に、そこのキャンプ場を経営
されてる方に、あの祠の話を聞きました。
良い年の陽気なおっさんで、お酒飲みながら話してくれたんですが、あそこは
山神様を奉ってる場所で、結構古くからあると。
そこは夏の時期はキャンプ場なんかで人が賑わうんですが、冬になると雪が
酷くて閉ざされてしまう土地で、春が来て暖かくなってから、夏の終わりの
キャンプ場を閉める間の期間、無事と繁栄を守ってもらってる神様なんだと
話していました。
神様という類の者も存在するんだ?と、一応人間の姿をしてたし
神様って呼ばれる類は人の形をしているのか?と当時思ったんですが、
それはないみたいです。
山に住んでいた妖を勝手に人間が奉っているだけという感じのようで
その妖は神様というものは知らないと言ってました。
その次の日、雨のお礼を言いに売店で売ってた酒饅頭を持って行きました。
私が見える事に驚いてましたが、すぐに受け入れてくれて変わった人も
居るもんだと笑ってました。
容姿は30才ぐらいの男性に見えました。髪は少し長めで真夏なのに、分厚い
着物のような物を来て、足には足袋と藁で編んだ草履を履いてました。
どうしてこの妖が人間の着るものを纏っていたのかというと、そこは夏の
終わりに名前は書きませんがお祭りをやります。
冬になると人が全く来なくなる場所なので、山神様が寂しかろ、寒かろうと
せめて寒さはしのげる様にと、そのお祭りの時に藁で編んだ草鞋とか布の
厚い足袋、あと着物とかを作ってその祠に置くのが慣わしで、そのお祭りの
時に、去年置いたものと新しいものを取り替えるんだそうです。
(衣替えと地元の人は言ってました)
あの妖が着てたのは、そのお祭りの時に人間が持って来るものだったんです。
作られた着物とかはサイズはすごく小さいです。人形サイズです。
二体ある狐の像も、帽子の様なものと、肩に藁で作った肩掛けみたなのを
付けてました。
話を聞いてて、だからあの妖は人間の容姿をしてるんだ…と納得しました。
私はあの妖を、夏の幸せと書いてナユキ様と呼んでました。
地元の人が夏の時期に~と話していたんで、安易ですが名前を持たない
妖をそう呼ぶ事にしました。
すごく穏やかな人で、場所のせいだけじゃなくて、ナユキ様の傍に居るから
風とか空気が澄んでるんだろうなぁと感じたものです。
(前に書いた目玉狐は存在感がすごいというか;; 一緒に居て和むって
感じるタイプじゃないもんで…)
その年はお祭りには参加出来なかったのですが、次の年はお祭りまで居させて
もらって、4年間夏はそこですごしました。
ボランティアなんでご飯は食べれますが、その月はバイトが出来ないんで
7月までに大目に働いて少しお金を貯めて、なんとか9月はしのごう;;…と、
頑張ってました(苦笑)
私は実家暮らしで、家賃とか少なかったんで出来た事だと思います。
でも、4年目にその山に道路が通る工事の日程が決まって、祠を別の近くの
山に移す事になりました…
最初は祠が潰されるんじゃなくて、移動になるならまだいいか…と思ってた
のですが、それは違いました。
ナユキ様は移る気などありはしないと。
そこで、ナユキ様がどれだけの長い時間をあの場所で過ごして、祠に来る
人間たちをずっと見てきたのか思い知らされました…
背負われてた赤ん坊が、自分の足で立って祠に来る様になって、一生懸命
他の人間の真似をして小さい手を合わせていく。
でも、その子供が少しすると自分の子供を連れて来て、最後は「孫」だと
言ってまた小さい子供を連れて来てしわがれた手を合わせて、そしてその人間は
来なくなる=死んでしまう。
でも、連れて来た子供がまた大きくなってと、えんえん彼らを見て来たと。
私がそこで見た壮大な景色も、ナユキ様からすれば随分と変わったそうです。
確かに、その場所から見える山のいくつかは斜面が削られて茶色い地面が
出ているものも何個かありました。
あの場所でずっと彼は過ごして来たという重みというか、そういうものを
感じました。
人間が手を合わせるという行為が、どういう意味を持つのかナユキ様には
判らなかった様ですが、多分とても愛らしく見えてたんだと思います。
それで自分達が着ている衣と似たものを置いていく。
着てみたのは妖ら特有の興味本位からだと思いますが、きっとナユキ様は
それが気に入ったんだと思います。
祠を移動してもナユキ様は来ない。
山が無くなるなら、共に消えるだけという考え方は、人間の私が何を言っても
変わるものじゃないのは見えてました。
地元の人はそんな事知るはずもなく、祠を移動する前の最後のお祭りの日に
酔っ払って大宴会みたくなるのですが、そこで地元の人が祠もだいぶ古くて
ガタが来てるから、移動する時に綺麗に修繕して奉ることとかを話していて、
山神様も綺麗な社になるから、喜んでくれるだろうと…
笑いながら楽しく話してる姿を見て、悲しいというか悔しいというか
なんとも言えない気分になったのが忘れられません。
目玉狐と書いてる付き合いの長い妖は、よく「人は勝手な生き物だ」と
私に言います。目玉狐と書いてますが、本人は狐というものを知らんと言うので
容姿のイメージからイヌガミって呼んでるんですが、その時ほどイヌガミの
言葉が痛いと思ったことはありませんでした…
人間の勝手な理由で山を無くして、祠は移動すれば大丈夫、逆に綺麗になるから
大喜びだと笑って言う。あれほど、自分が人間であることが嫌に感じた事も
無かったです。でも、それが自分の世界なんだと思い知りました。
ナユキ様はそんな風に捕らえてないと、地元の人に酔った勢いで言ってやろうかと
一瞬思ったんですが、そんな事をしても悲しむのはナユキ様たち妖で、何かを
変える事なんて出来る訳もないしと言葉を飲み込みました。
イヌガミはこの事を「バカのやる事」と私を笑います。
私は馬鹿だから、無駄に関わって気持ちを濁したり、同じ人間に不信感を与えると。
それで泣いてたら世話はないって考えのようで、まぁ私もその通りだなと思う
部分です。
雪が降るとその川のある場所は、川の上にある大きな橋と道路まで来ることは
出来ますが、下に降りたり、山に登ったりは出来ない場所になります。
雪に閉ざされたこの場所の景色も綺麗だとナユキ様は言ってたので、今年の
終わりの12月にまたここに来るよ彼に言いました。
一緒に最後雪景色も見たいと思ったからです。でも、山は人には登れないと
言われて、それでも必ず来るからと言った私に、来たらすぐに判ると言いました。
多分、判る何かを伝えてくれるという意味に受け取ったんですが、その時に
姿を見るのはこれで最後になるんだろうなぁと感じました。
その予感は当たって、年末の休みの時期にそのボランティアを誘ってくれた
友人に頼んで雪の中、その川のある橋に行きました。
あそこに最初に行った時に聞こえた、歌の様なものが聞こえて友人が居るのも
関係なく泣いて帰って来ました。
その次の年の夏に、またその川に行ったんですが、そのキャンプ場も工事の都合で
閉鎖されて、近くの川の別の所に宿泊しました。
移動された祠にも行きましたが、ナユキ様の姿はやはり無かったです。
小奇麗になった祠に、前と同じ用に着物とかが積んでありました。
もう着る人が居なくなったその場所で、丁寧に畳まれた小さい着物を見て
泣きたくなりました。
前の場所よりも、もっと人が来易い場所になってて、鳥居も前からあったのと
新しく増やしたのとで何段かになってて、前よりも立派になってましたが
もの悲しいというかなんというか、意味が無い様に感じたのを覚えています。
その年で私はそこに行くのをやめたんですが、今も地元の人はそこに毎年新しい
衣を奉納して一年の無事を祈っているんだと思います。
よく家に入ってくる小さいのとか近所に居る妖たちで、見てて面白いと思っても
ずっと一緒にいれればいいのに…と感じたのはナユキ様が初めてでした。
とても懐が深いというか、神様と呼ばれる尊い存在があるとしたら、多分
彼の様な感覚を持つ者なんだろうなぁと今でも思います。
優しくてすごく暖かい感覚を持っている妖でした。
長い年月を人間と関わってきた妖だったせいか、口数は少なかったですが
割と会話が成り立つ珍しい妖でもありました。
不思議なのは容姿はすぐに思い出せるのですが、その顔が見えないことです。
口元で柔らかい笑みを浮かべていたのは思い出せるんですが、目がどんな感じ
だったか(例えば一重だとか二重だとか)、全体的な彼の顔の情報だけが
スッポリと抜け落ちてる様な感覚です。
どうしてかは判らないですが、彼の様な妖には今後二度と会えないだろうなと
頭のどっかで感じる自分が居ます。理由はわからないですが…
一番思い出に残ってる印象の良い妖の話です。判りにくかったらすいません;
そして長く書いてごめんなさい…orz
<<
ここまで。
この方のいう 妖 というのは、幽霊とも魔とも違うモノだから
妖 と呼んでいます。
夏目とニャンコ先生達のように、こんな風に妖と意思疎通出来るのは珍しいそうです。
もっと読みたい方は↓へ