まるで生理現象のようにアウトプットしたくなるわたし(笑)

今回は 以前から書こうと思っていた「自分史」について綴る。
幼少期のことは何度も触れているで簡単にまとめる。

【幼少期】
・軟禁されて育つ

【小学記】
・学級が変わるたび担任から「ママ母か?」と聞かれた(笑)
・好きな音楽は「サラサーテ」の<ツィゴイネルワイゼン>特に「第二部」だった
・なんだかんだいつも読書していた。
・11才くらいから突然、創作活動に目覚め そこから小説を書き始める

【中学記】
・コーラス部、混合コンクールで2位に入賞
・創作活動はますます拍車がかかり日記と共に詩やSF小説を書くことに熱中。
・また作詞作曲もしていた。当時作った曲は今も歌える(笑)
・ぼちぼち読書も続けいてた。
・特別、目立つ存在でもなかったのに推薦で役員を良くやってた

【高校記】
・創作活動は止まらず、2年半かかって書いた作品がなんと【STAR WARS】だった
・そして役員漬けの3年間

・愛読書は 五木寛之、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、と詩人寄りに
・大学を蹴って社会人なる

【新社会人】
・丸の内、皇居前の某銀行で、しょっぱなから融資課に配属
・そこである組織とであうも、当然家族には理解されずまたまた軟禁。
・そこを脱出して、潜伏先から表向き銀行員。裏の顔はSPYとなった

【孤児院暮らし】
・潜伏先に面が割れた可能性が発覚し、銀行員を辞め、名前も服装も変えた
・二十歳になるまで孤児院にお世話になる。貴重な体験だった。
・古いカトリックの孤児院で海外からの見学者に異国の食事や服飾を体験した
・わたしの類まれな素行をある神父さんが一部始終をまとめて本にした(笑)

【ひとり活動家】
・二十歳になり下界へ降りてきてからも、たったひとりで街頭演説を続けいてた。

【再就職】
・三大大手と言われる会社に再就職するも、仕事中に組織から「出動要請」の電話がはいるとそのまま早退して救出活動へ。裏の顔と表の顔はしばらく続いた。

【人との出会い】
・21~22歳の頃、海外から来た人間回復運動なるセミナーに参加
・気が付いたら友人たちはみな10才程も年上の先輩の男女ばかりだった

【彼女たちから教わったこと】
・官僚のお嬢様でJALの海外線CAのチーフパーサー?だった女性からは
陶芸品・ハーブ・クリスタル(水晶)・お香・アロマ・オーガニック・美味しいお酒・美食・スピリチュアル・お金持ちの贅沢など多岐に渡って大きな影響を受けた。
・わたしの基盤はここで形成されたといっていい。

【男性たちから受けた影響】
・セミプロの歌手でありダンサーでもあった彼らからは
先輩たちの好んだPPMなど昔のフォークからポップス、jazzまで、色んな良い曲を教わった。
・声の出し方や歌い方、外国人の使う日常英語(英語はもう殆ど忘れた)、コンサートへ行く際は必ず花束を持っていくこと。など社交的なことを日常から教えられた。

いずれにせよどちらも華やかで、社交界の世界のような人達だった(笑)

【当時参加していたセミナー】20~30代前半くらいまで

・人間回復運動セミナー:コーチング・NLP・心理学・成功哲学などが組み込まれていたらしい
・精神世界・スピリチュアル・ヒーリング・チャネリング※当時まだレイキはなかった・TAO(禅・瞑想・悟り)・ヒーリング ワークショップ・自己啓発セミナーなどなど

こうしてみると、出来事は複数重なって進行しているが、わたしの今の基盤は20代~30代前半までに形成されたことが伺える。※但し、恋愛はここに含まれない。

今までの概念が、過去から学んできた体験とわかったら、もうあってもなくてもいいと思えた。なんなら一度手放してしまえ。とさえ思えた(笑)


長文を最後まで読んでくださった奇特なみなさま。ありがとうございます🥰✨