そうそう もう ひとつ思い出した

「人の人生は変えられない!父の人生も 母の生き方も わたしには変えられない」

「わたしには何も変えられないまま、彼らの人生はこのまま終わってしまうのか?」

という、得体の知れない焦燥感があった。

そして、それはわたし自身に対しても、今もまだ残っている。。。
※その焦燥感が血便をうんでる(^-^;

ありのままを認めていく作業とは、なまら「死」を受け入れていく作業のような気さえする

そして「このまま一生変わらなかったらどうしよう。」

という恐れや不安、葛藤が、わたしを学びへと駆り立てる。

両親のような生き方は もうとっくに、10代の頃からしてはいないのに。。。

その作業は、一度死んで、全く別次元の結晶体として、蘇る感覚だ。

わたしにとっての「ありのまま」とは「不幸のまま」という意味だったんだな。

だから苦しかった。

だからずっと「そのままでいないで!変化して!」と叫んでいた。

「不幸のまま死んでゆく人たちを見捨ててはおけない」

な~んて。。。結局、ヒーローヒロイズムだったんじゃないか(笑)

つか、当時の両親はどーみても、し合わせそうには見えなかった。

と、いわせてくれ。

なのに、今、わたしの周りの人たちが幸せそうにしていると

また 焦る。。。(^-^;

「自分は不幸だ」と思っていたんだな。

だから「幸せ」になりたかった。

だが残念ながら「不幸」だと思っている人は「幸せ」にはなれない。

今回、その解説については省略するが。。。

まずは「不幸だと思っていた自分」を受容するところからだな。

それが「取り戻し」ということ。

それが「蘇生・再生」だ。

受け入れるということは、つまり、「生まれ変わる」ということだ。

もう、理屈なんかいらない。

ただ、感情を感じて慈しめばいい。

そうすれば、やがて それは消えてなくなる。

無条件に受け入れること。「愛」だろ「愛」(笑)

かつて自分を「無条件に愛した」ことはあっただろうか?

いや ない。きっと ない。

特に わたしは。。。(笑)

そしてわたしは今「無条件の愛」を受け入れようとしている。

すっげー。遂にそんなことが 出来るようになってきた(笑)

時代の変化と、それをやってのけた先輩方の姿を見せてくれたアンディさんの講座に

感謝しかない✨