
私がまだ子供のころの話です。
比叡山延暦寺の食事作法について、父が話してくれました。
父自身が修行をしてきたのです。
私の父は、当時既に現役ではありませんでしたが、
陸上競技関係の仕事に携わっていました。
指導していた若い選手達を連れて、延暦寺へ精神修行に訪れたのです。
修行自体のキツさや、期間についてはうろ覚えなのですが、
食事作法については何故か実践させられたので良くおぼえています。
達磨大師が印度から中国に伝えた禅宗ですが、
それは教典中心の山ごもりタイプの修行ではなく、
行動による実践修行に重点がおかれたものだったそうです。
座禅を組み、自己啓発を促し正しく生きる。
こうしたアプローチが人々に受け入れられ、賛同した修行者が沢山集まり、
托鉢や寄付だけでは食べられなくなるため、
やがて修行僧達は食べるために自ら田畑を耕すようになりました。
そのうちに雑用と思われていた炊事、
洗濯や掃除も坐禅や読経と同じ修行の一部と考えられるようになり、
睡眠、食事、清掃などあらゆる行為が仏行であるとされるようになったのは、
8世紀頃の話だそうです。
さて、その食事作法とはこのようなものでした…
■話は一切しない・きょろきょろしない・背筋を伸ばし坐禅を組んでいただく。
■食器の音を立てない・食器は必ず両手で持つ・隣の人のうつわをのぞき込まない。
■食べるときに音を立てない・すすって食べない・口いっぱいに食べ物を詰め込まない。
■食べ物を残してはいけない・もっと欲しそうな態度をとらない・舌で口囲をなめない。
■皆と食べる早さを合わせる。
こまかいですね。
この食事は順番も決まっていて、漬物の沢庵を最後に食べます。
その仕上げの食べ方というのが、
一粒も残さず食べたお茶碗の縁に付いてる糊状のお米を、
まずお茶でふやかして飲む。
そして、濡れたお茶碗の中を沢庵をワイパー代わりにして綺麗に洗鉢。
最後に沢庵を音を立てることなく静かにいただく…というもの。
精進料理ですから、ご飯・汁物・漬物だけの食事。
食堂では、器を置く音をはじめ食べ物を噛む音も音は一切禁止。
食事中は自分以外の命に生かされていることを肝に銘じ、感謝しながらいただく。
食事の前に"食前観"、後に"食後観"を唱える。
もちろんずっと正座。
でも、これが当り前なのかもしれません。
飽食の時代に生きていると耳が痛いです。
私自身、"いただきます"と"ごちそうさま"も無い食事が多くなりました。
雑誌やテレビを見ながら取ることも…集中も感謝もしていないですね。
大いに反省です。
ワイパーにもなる、大根のヌカ漬けである沢庵。
沢庵和尚が"たくあん(沢山)食べてね"と言ったかは定かでないが、
貯え漬け…が訛ったとも言われている。
冷蔵庫なんて無い時代の保存食なのですね。
沢庵ワイパーは"しなり"が絶妙なんですよ、碗をフキフキするのに。
改めて食器を洗う必要があるのか?と思うほどキレイにピカピカ。
エコですね。よく考えてあります。
現代人は豊かになったのか、それとも貧しくなったのか。
ただ、これだけは言える、
ストイックではなくなったと。
何故か寒い時期になると、この食事作法の話を思い出します。
"来てみれば沢庵漬けの石一つ" 嵐雪
思えば、沢庵は冬の季語でもあのですね。
追伸:子供の頃は苦手でした、漬物全般が。
しかし、歳を追うごとに好きになりました。
おいしい漬物食べたいですもんね、日本人ですから。
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