昨日は亡き父の誕生日。生きていれば今年で81歳になる。
父については尊敬よりも、僕自身の忸怩たる思いが強い。
僕自身が家族の絆を壊した張本人だったからだ。
だが、それとは抜きに父の生涯を思うと
僕は如何に強運の持ち主だったか…
その最たるエピソードを数点語ると

この怪我のしどころがもう少しズレていたら
即死
だったそうだ。あと父は学生結婚をするも

僕はこの女性の子供ではなく、後年知り合う母の子供だった。
驚くことに母も再婚で、僕は再婚者同士の子供だった。
父は浪費家の妻に嫌気からの離婚、母は義母の虐めによる離婚だった。
もし、父も母もお互いの家庭が上手くいっていれば
僕は生まれていなかったことになるだろう…
そして父は僕が生まれる数年前、6歳の事故の後遺症として、あまりにも痛みに耐えられず

そんな3つの修羅場をくぐり抜けて僕はこの世に生を授かった。
僕は自分の出生の秘密を中学生くらいに知り
人は何のために生まれてきたのか?
が、常に頭の片隅に残る運命論者になった。
……
こんな話をグダグダ書いても誰にも関係ないので、もっと父とパチンコに関する話を書こうとアレコレ考えた。
だが、父は若い頃には時間潰し程度にしかパチンコをたしなまず、パチンコの魅力に取り付かれるのは亡くなる数年前だった。
父がパチンコにのめり込むきっかけを作ったのは
CRぱちんこウルトラセブン
だった。当時、父は脳卒中のリハビリとして昼にパチンコを時折していたのだが、ある日
ビギナーズラック
を体験し、この趣味に没頭することになる。
僕は父の介護士代わりとして常に共にしていた。
当時の僕は業界人になったばかりの頃であり、親子関係と言うよりは
パチンコ業界人とパチンコユーザー
として僕自身が父に距離を取っていた。
当たり前の話だが、立ち回りは無茶苦茶で、CR必殺仕事人激闘編においては
10回転ほど回してゼブラ泥棒が出現しなければ、本当に別の台に移動したのである…(滝汗∞)。
隣の台にカニ歩きしないだけまだマシというのか
とにかく父としては
演出は掘り起こすモノ
の考えだった。
芋掘りかよ!ってツッコミを入れたくなるが、本人は地で行っているだけにタチが悪かった。
それでも今考えても嬉しいのは
父はパチンコに対するマイナスイメージを一切持っていなかったこと。
同様に僕がこの世界に足を入れても
反対のはの字を言わなかったことだ。
パチンコ関係者の身内の理解者は
世間が思っている以上に間違いなく狭い(少ない)。
物分かりの良い親だったために僕はパチンコ業界人になれた…
書けば一行で済む話だが、ここからがいよいよ本題となる。
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