いつもの朝、いつもと同じ朝食。いつもと違うのはおきた時間とあの子が。
ミキがまだうちに来ていないこと。
いつもよりも早く起きたんだ。当たり前のこと。
そうしていつもと同じ一日が始まるはずだった。
始まらなくてはいけなかった。
その知らせは俺たちの日常を壊し始めた。
「ミキ!」
考えるよりも体がすでに動いていた。
家を飛び出し隣の成瀬クリニックの裏口に駆け込む。
狭い通用口。その先の診察室にミキの親父さんがいた。
「おや、マサト君、いったい……」
「あの!ミキは!」
思わず荒げた声は有無を言わせないだけの力があった。
「ミキなら、早くに用事があるから学校に行くと今朝いっていたけど……」
「お邪魔しました!」
それだけを伝えまた走り出す。通学路にはまだ人はまばらだ。
(これならまだ学校で二人で話せる)
そこからはただただ走った。頭に血液を送るよりも速く、速くと自身の体に鞭を打った。
「ミキっ!」
彼女の名前が口からこぼれる。
あの子の顔が頭にちらつく。
その顔がグニャリと歪む。今朝のニュースでは検体実験、軍事利用なんて単語さえちらついていた。
嫌な想像ばかりがよぎってゆく。
息も切れ切れに校門を通り抜け、靴を脱ぐのも煩わしく脱ぎ捨ててゆく。
三階にある自分たちの教室にここまで恨みを抱いたことはない。
ようやく教室に着いたときには肩で息をしていた。
扉を一気に開けると探す必要もなくいつもの席に、いた。
「……ミキ」
小さく、かすれいるような声にゆっくりと顔をこちらに動かす。
朝日に照らされた彼女の顔はとても綺麗で、だけど触れれば壊れてしまうような危うさがあった。
「マサト……」
震える声。
よく見ればミキの両目は薄っすらと腫れている。
たまらず駆け寄り、勢いのままに抱きしめた。
「ま、マサト……?」
明らかに戸惑う様子のミキをよそに言葉を吐き出す。
「ミキ、大丈夫。いや何にも大丈夫じゃないかもしれないけど、まだ大丈夫だ」
「え?」
「だって、ミキが、その、吸血鬼だってことは俺たちだけの秘密、だろう?」
「……うん」
「なら、まだやりようは、ある」
「でも……マサトは、ただの高校生、だよ?」
「ただの高校生でも、できることはある!」
「私は吸血鬼の、高校生でもない、化け物、だよ?」
その瞬間朝のニュースの一部がフラッシュバックする。
「やつらはいわばもう人じゃない。化け物なんです。どうしようが死なないならなにしたって問題ないでしょう」
コメンテーターの無神経な一言。
それが胸に刺さる。
「私は、人間じゃ……」
「だから……何だよ……」
「え?」
「お前が人間じゃないから、化け物だからって何だってんだ!」
あふれてくる想いを、言葉を必死につむぐ。
「そんなこと、俺には関係ない。俺の想いも、俺にとってのミキ、お前という存在も」
声が大きくなりすぎないように、精一杯に抑えそれでもあふれる言葉は止まらない。
「俺はお前を守るんだ。誰がなんといおうが、絶対に」
「マ、サト?」
「お前が何だろうと関係ない!お前をあいつらなんかに、世界なんかに渡してたまるか!」
すすり泣くような声が耳に届く。
だから。
「泣くな、ミキ俺はお前のことが……」
「……?」
「……こんなときに踏ん切れねーようじゃカッコつかないよな」
「……そうだね、カッコよくない」
少しおどけたように言う彼女がたまらなく愛おしい。
「ミキ、お前が好きだ、だから。その、俺といつまでも一緒にいてくれ」
「うん……うん!」
小さくうなずきながら、今にも消え入りそうな声が頭の中へ刻まれていく。
「ミキ……」
互いから体を離し向き合うと、教室の前方のドアが音を立てて開いた。
「あ、……先生」
ミキから離れないようにそちらへ体を向ける。
そこには担任の芦谷先生が立っていた。
「成瀬教室にいたのか……宮内も一緒か……」
「……?」
声に生気がない。まるで言葉を覚えたての赤ん坊のようだ。
「先生?」
「マサト、大丈夫。話して」
後ろで立ち上がりすっと前に出る。
ミキの声色が変わった。いままでに聞いたことのない、妖しげな魅力のある声だった。
「成瀬様……お逃げください。すでに、成瀬様の居場所は……すでに」
「成瀬、様?」
「芦谷先生は私の、吸血鬼としての私の眷族なの」
「けん……?」
「今は急がなきゃ……マサト……」
振り返ったミキの表情には言葉では形容しがたいほどの葛藤が見て取れた。
「ミキ、俺は、俺はどうしたらいい?」
「マサト……わたしはね……」
そういうとミキは俺の首に腕を回して抱きしめた。
「え……?」
間抜けな声が口から漏れた瞬間、よくなじんだ間隔が首元に走る。
「ミキっ!?」
いつもの小さく少量を味わうような吸血ではなく、一気に全身から血液が抜き取られてゆく。
そして代わりに新たな何かが体中を駆け回るような間隔を覚える。
今までに感じたことのないような充足感と寒気を感じた。
「少しだけだけど、私のとマサトの血液を入れ替えた」
ふらつく俺を支えながら、ミキはそういった。
「だから……」
ミキは一度目を伏せそしてもう一度こちらを見つめる。
「私と、逃げて」
その言葉を正しく理解しないままに俺は頷いた。
ただミキというその存在に、激しく惹かれて。
ミキの手に引かれて、校舎裏庭側に面した通路から。
二人で飛び出した。
今までにないくらい空が近く、そしてちらりと見えたミキの表情はいつになく輝いていた。