「ありがとうございました。フレンズへのまたのご来店心からお待ちしております」
初老の男性が恭しく頭を下げる。
そして店の扉が閉まると同時に店の奥から元気な声とともにまだまだ様にならない燕尾服を着込んだ少年が飛び出してくる。
「マスター!今日のお客様はさっきの方でおしまいですか?」
嬉々とした表情に、マスターと呼ばれた男性は少し頬を緩めて、少年の頭を撫でながらつぶやいた。
「おそらくは、先ほどのお客様で最後ですね」
少年はネコのように細めていた瞳をきらりと輝かせながら見開いた。
「じゃあじゃあ、またマスターのお話が聞きたい!」
最近はいつもこれで少し困っている男性は、手を引っ込めつつ、
「洗い物と掃除が済んだら、考えておきましょう。それよりも宙、買出しを頼みたいのですが、構いませんか?」
いちいち聞かれなくても、とでも言いたげに、宙と呼ばれた少年は勢い良くうなずいた。
男性はちいさなメモ用紙にさらさらと必要なものを書き出し、宙のためのがま口財布に千円札を入れて持たせる。
「あまり遅くならないように、気をつけてくださいね」
そう言って男性は少年を送り出した。
「そういえば、もうすぐ宙と一緒にいるのも一年ですか……」
男性はそうつぶやいて、そろそろですかね……、と小さく微笑みをこぼした。
「マスター!ただいま戻りました!」
宙は左手にビニール袋を提げ店の扉をあけた。
男性はカウンター席に座っていた。
「お帰りなさい。宙。今日はいいものがありますよ」
男性は宙から買い物袋と、がま口を受取りながら言うものだから、宙の瞳には星が瞬いている様な有様だ。
「まずは買ってきたものを冷蔵庫に入れなくてはね」
買出しの品を冷蔵庫にしまうのは男性の仕事だが、宙はいつも冷蔵庫を開ける係りをやっている。
よいしょ、と男性がこしをあげたのと同時に宙は駆け出して、冷蔵庫の前に陣取る。
いつもの光景だ。
男性はゆっくりとした動きで宙のあとを追い店の二分の一程度しかない居住空間のキッチンに入る。
男性が宙の前に立つと、宙は勢い良く冷蔵庫を開けた。
「え……マスター、これって……」
宙は自分で開けた冷蔵庫の中身を見て心底驚いていた。
「えぇ。今日で宙と一緒に旅をするのもちょうど一年目です。
なので、頑張ってみました。宙は確か、チョコレートケーキが好きでしたよね?」
そこには丁寧にチョコでコーティングされ、果物の飾り切りで彩られ、その姿をまるで一つの芸術に昇華させたかのようなケーキが入っていた。
「ますたーー!」
宙が男性の胸に飛びついた。
「こらこら、宙、これじゃあ冷蔵庫にものが入れられません。嬉し泣きはその後です」
二人はその後店でささやかながらにパーティをして、
男性が今までに触れてきた、いろんなものの話をした。
例えば、友人を傷つけ、どうしていいかも分からずに自己嫌悪を続けていた青年の話や、
一番の友達と離れ離れになってしまって悲しみにくれていた少女の話であったり
人を想うことに飢え、それでも自分が誰かを想うことから目を逸らそうとする女性の話であったり
色々な話をし、少しずつ宙の心の殻を溶かしていく。
宙は男性にこそ心を開いているが、他の人間に対してはあまり愛想がいいとは言えなかった。
(根はいい子なんですけどね……)
思わず苦笑をこぼすと、宙が首をかしげた。
「いえ、いつか宙にもお店を任せられる日が来るのだなと、そう思っただけです」
「マスター…まだ僕はマスターが思う程…」
「分かっていますよ。焦る必要はありませんし、宙のペースで構いません。なんならここを出て行ってもいいのですよ?」
「それは絶対にありえません!」
宙は力強くそう断言した。
「ふふっ。ありがとうございます。宙ならきっと私なんかよりもっともっと多くの人を幸せに、笑顔に出来ると、私は信じています」
宙が何事かしゃべろうと口を開くのを手で制して、男性は胸元から古めかしい懐中時計を取り出した。
「マスター、それは?」
「これはですね、この店、フレンズの主であることの証です」
一瞬宙の身体が強張る。
「大丈夫ですよ。無理やり宙に渡してしまおうなんてことは絶対にしません。ただ、見て欲しいものがあるんです」
そう言って男性は部屋の明かりを消した。
カチリ、という懐中時計の蓋が開く音がした瞬間、真っ暗だった部屋に数え切れないほどの星が現れた。
宙は、口をぽかんと開けそれを見回した。
「この星は、私が笑顔にした人の数です。蓋を開けた人間のそれを星として投影するものらしいのですが、私も詳しくは分かりません」
そう言って、男性は懐中時計を閉じた。
「宙、手を貸してください」
そういって差し出された震える手を優しく包み、その手に懐中時計を乗せ、宙の指で懐中時計の蓋を押し開ける。
すると、一点のまばゆい星が一つ天井に誇らしげに輝いていた。
「宙、自信をもってください。少なくとも、私はあなたに幸せな時を、笑顔を貰いました。宙、私はあなたを愛しているし、これからも守っていきます」
「マスター…はい。でも、僕も約束します。マスターに負けないくらい沢山の人を笑顔にして見せます。僕は……いえ、マスター、僕を拾ってくれて、ありがとうございます」
そうして二人は、また、旅にでた。
終わりの見えぬ暗闇に満ちた旅。
しかしそれは、苦しいだけでは、決してない。
誰かの笑顔が、幸せを望む心がそこにある限り彼らは歩みを止めないだろう。そして、また新たな場所へと向かうのだろう。誰かを笑顔にする為に。