松居直美さんが入ってた結婚紹介所の話し ひどいね。

その記事のコメントに 子供が大きくなったら 離婚します うんぬんという

ものがあった。旦那が最低でとか 離婚したとしてもパートナーは欲しいかも

という友人に共感できないとか書いてあったが。

 

人は 一人では生きていけないものだから・・・。

何かの歌の歌詞にあったような気がする。

でも なんだかんだ言って 事実だから仕方がない。

子供は 一人では大きくなれない 誰かの助けが必要。

大人になれば 一人でも・・・生きていけると思いきや

衰えてくると やはり誰かの助けが欲しくなる。

 

眠って 翌朝 死んでた・・・とか 亡くなる直前まで 介護なしで過ごせてた人が

自分の周りにも 何人か存在するけれど。

そういう人って 一人ではなかったんよね。

本当に 一人で亡くなっていく・・・とは どういう世界なのだろう。

 

自分が 小学生のころ 町に出てたはずの 祖父が タクシーで帰ってきた。

バスを降りる時に 足を滑らせ(元々 中風で右半身麻痺だった)腰を強打して

起き上がれなくなったらしい。後部座席で横になっていた。

家になんとか運び込むと 祖父はうんこ漏らしてましてね 自分の指についた うんこを

洗った記憶がある・・・そうそう そんなことあったなあ~。

 

その日から 祖父は 立って歩くことができず ほぼ寝たきりになりました。

身の回りの世話は 祖母が。

暖かい日なんかは 上半身を起こして家の柱にもたれかけ 新聞を読んでた祖父。

中学に入り 心臓が弱かった祖母は 入院がちに。

代わりに 祖父の世話をしたのは お袋 当時 30半ばくらい。

そして 中学3年の冬 祖母は60半ばで亡くなりました。

 

今でも思い出すのが お通夜が終わって 残った親族が 別室で休んでたころ

祖母の棺のそばに 祖父がいたんですね 部屋から這って出てきたのだと思う。

上半身を起こして 遺影の方を見上げるような感じの祖父。

自分は 声をかけることもなく その場から離れたのだけど。

 

3年ほど経過・・・居間で 夜遅くまでテレビを見てた 自分。

そろそろ自室に戻ろうと 居間から出ると ガラス越しに 祖父の部屋からテレビの

明かりが・・・放送は 終わったはず・・・祖父の部屋の戸を開けると 真っ暗な

部屋に 砂嵐の画面のテレビ 音がザーーーーーーーーッ。

「テレビ消すよ」と声をかけると 祖父の顔がある方向から「あ あぁ」と返事が。

当時の自分は 何も気づいていませんでした。

祖父は 老衰が進み 周りのことを認知できなくなっていたんですね。

 

しばらくして 学校から帰宅すると 親戚が集まっていました。

奥に入ると 祖父は かろうじて息をしている状態でした。

亡くなった人の顔の上にかける白い布を 受け取りに 自転車で往復30分ほどかけて

取りに行った記憶があるなあ。

 

往診して死亡診断書を書いてくれたのは 豪農だったころから出入りしていた

医院の医師「74歳で老衰ってちょっとないんですけどね」と言ってた。

 

あとになって考えれば 祖父が弱っていった理由がわかる気がします。

誰とも ほとんど会話することがない日々・・・これが祖父の寿命を縮めたのだろう。

もう少し 自分が大人だったら・・・もう少し 祖父と関わり合う時間があったら

あんな寂しい最期にならなかったんじゃないかと 思ってみたり。

祖父は いつから"一人"だったのだろう?