・反原発を言う人たちが資本主義を許しているのが、不思議でしょうがないんですよ。「日本の原発輸出反対」という声さえ、デモでは、ほとんど聞かれない。しかし、スローガン的には、せめて、これが第一に来るべきでしょう。「シングルイシュー」って、何がシングルイシューなんでしょうね。シングルイシューだとしたら資本主義の廃棄だろうし、せめて「原発輸出反対」でしょう。共産主義というのがカスでも残っていれば、資本主義が続く限り原発はなくならない、という論調が出てくると思うんだけれども、それが出てこない。まあ、レーニンは「電力+ソヴィエト」が共産主義だと言っていたわけですし、そもそも、日本の原発推進は中曽根や正力と、武谷三男ら左派の共同歩調でやってきたんだから、それを自己批判するのは──本気でやるなら──大変でしょうが。
・世界的には、これから原発は増える一方なわけですよ。資本主義なんですから。旧第三世界も資本主義化して、当面、どうしても原発が必要になってくるわけです。カネがジャブジャブ回るのが原発ですから。だから資本主義を問題にしなければ、反原発なんて言えない。なんでそこに目をつぶって原発問題を言えるのか、と。
・今の「首相官邸前」首都圏反原発連合の基底にあるのは、Misao Redwolfなんて人に象徴されるように、ほとんどニューエイジでしょう。そういう傾向が潜在的に強いんでしょうね。薄められた、ロハス的なヒッピーみたいなのが浸透していると思うな
・加えて、これも68年以降の事態ですが、新左翼その他が各地のエコロジー主義的な生協運動に散って、それなりに成功しているということがあります。まあ、ロハスですが。それらがかなりの広がりを持っていることも、運動の盛り上がりの背景にあると思いますね。まあ、かつての反核運動くらいの持続力はあるかもしれない。そもそも、今の反(脱)原発運動って、そのイデオローグだかバックグラウンドだかになっている金子勝から村上春樹あたりまでが、「日本は唯一の被曝国」という50年代反核運動の虚言を平気で反復復唱しているというオバカな状況なわけでしょう。
・「80年代反原発ニューウェーブ」の一部にはオウムへの共感がありましたからね。しかし、いまや終末論は、Misao RedwolfのTatooのように皮膚化してる。その中で日常を生きている形になっているんではないですか。 言うまでもないですが、「大正生命主義」なる古典的な第一期ニューエイジには、ウイリアム・ジェイムズ起源で、西田幾多郎が『善の研究』で打ち出した「純粋経験」というやつがありますね。漱石もジェイムズには深く関心していた(そういえば、先にあげた鶴見俊輔もジェイムズの研究者ですね)。この第一期ニューエイジは、天皇制とも密通しながら、左右の大正アナキズムや大正教養主義などのなかに深く潜行し、エコロジー主義的な身体論や農本主義となって、敗戦まで持ち越される。これは、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ、2007年)の片山杜秀も指摘するとおりです。ジェイムズは六〇年代ニューエイジでも教本の一つでした。現在の反(脱)原発運動は、この「大正期」の歴史を、ヌルく──あるいは、茶番として──反復しているように見えるんですが、どうなんでしょう。 しかし、ジジェクではないが、一度目が悲劇、二度目は茶番なら、今度こそ三度目の正直にトライすべきではないでしょうか。(了)
http://www.hakusuisha.co.jp/topics/taisho/suga05.php
《右派の「生命を守れ」というスローガンとリベラル左派の「生命を守れ」というスローガンは、日本の原発だけを問題にしている限り、何の差異もない。この時、ニューエイジ的・ロハス的なエコロジー主義が回帰してくる。日本的「自然」こそ、守るべき「生命」であり、原発を生み出した西欧的近代科学主義をこえる代替知――天皇制――を内包していたとさえ見なされかねないからだ。…(略)…エコロジカルな「循環型社会」の主張も、ナショナリズムのなかでリアリティーをもって受けとめられるだけだろう。そのようなナショナリズムへの回収は、ニ〇一一年九月一六日の集会で、すでに始まっていたのではあるまいか。繰り返し指摘してきたように、この集会では、統一義勇軍と一緒にやるか否かをめぐって「素人の乱」のなかで意見が割れた。》
《しかし、あえて言わなければならない。福島第一原発から撒き散らされた放射性降下物への対応の問題と、原発問題は、峻別して考えられるべきである。前者が必須喫緊の課題であることはもちろんだが、同時に後者の問題が今や問われなければならないのである。原発とは日本の問題でさえなく、世界資本主義の問題であり、とりわけ旧第三世界において鋭く問われているということなのだ。福島第一原発事故被災者には酷な言い方かもしれないが、それを福島の、東北の、日本の問題だと集約することは、「広島」や「長崎」をもって反核を日本の特権と見なした「戦後」の反戦平和運動の轍を踏むことなのである。》