こんにちは(と言う時間から書き始めていたのに)

 改めましてこんばんは(に変更するくらい 書いては消しての繰り返し)

 

連続通院2日目の水曜日。

父ケモ外来の日。

 

 

いつも通りの血液検査とレントゲン済ませ

抗がん剤点滴のための問診票記入し

主治医の診察を待つ。

 

 

呼ばれる。

すでに映し出されているレントゲン画像。

 

 

 

左 10月25日 アリムタ最終投与から3週目     右 11月28日ジェ&ナベ1コース終了後 

 

 

アリムタは カルボプラチンと併用している時にも効果があったんで

8月から単剤で3週おきに投与。

10月25日は5回目の投与になるはずが 悪化していたため中止。

 

10月29日に入院し 30日にジェムザール・ナベルビンがスタート。

1コース目が終了し 11月16日に退院。

2コース目が始まるはずの今日の判定は 続行不可となった。

 

 

 

急転直下ガーン水滴

 

 

レントゲンでは原発巣のある左は極端に悪くなってるように見えなかったけど

転移した右肺は 1か月前より明らかに大きくなっていて。

 

 

このレントゲンよりも先に見てほしいものがあると映し出されたのが

昨日の脳MRIの結果。小脳を含むあちこちに 数えきれないほどの

大小さまざまな転移が起こっていて。むくみも起きているとかで。

もう「ご新規様」とか悠長なこと言ってる場合じゃなく。

「団体様」ご到着状態。(よしよし。明るく表現できた。ワタシ、エライ)

 

もうガンマナイフで対応できる状態ではないので全脳照射。

ガンマナイフは施設がないので 他病院の受診になるけど

全脳照射は 通院しているこの病院で可能。

さっそく明後日 放射線科の受診が決まった。

 

 

この脳の状態 そして肺の悪化により 12月3日から再入院。

全脳照射に加えて 次の抗がん剤への調整。

 

最初は「TS-1の予定です。副作用にひどい腹痛・下痢があり

急変する方もいます。骨髄が弱ってきているので 白血球

どこまで耐えられるかわかりません。貧血も起こります。」と

提案していた主治医。

 

父が 「まだ体力に自信がある」と言った瞬間に

「ドセタキセルでもいいかな?体力あるうちに頑張る?」と変更案を提示。

まだ他の先生とも相談するようだがその方向で進みそうな感じ。

 

 

投与計画は TS-1なら2週間服用 1週間休憩で1サイクル。

ドセタキセルなら3週ごとに1回点滴で1サイクル。

ドセはかなり減量して投与するつもりのようだ。

 

 

 

 

 

 

他にも使える可能性のある薬について質問。

 

<分子標的薬は?>

春ごろ じゃぶじゃぶだった胸水を 検査に出していた結果で

ALKとROS1は陰性。なんとEGFRも陰性。

 

・・・というわけで 分子標的薬って候補は消えた。

 

 

もうひとつ調べていない遺伝子 BRAFに変異が出てないかな?

全肺がん患者の中でわずか1%とはいえ 

可能性がゼロじゃないならチャレンジしたいと父は意欲的である。

今年の夏ごろから使われている新薬があるらしい。

 

 

 

<免疫チェックポイント阻害剤を 再度使う価値は?>

テセントリクは胸水を減らしてくれたが がんには効かなかった。

キイトルーダは効果があったが 重篤な副作用が起きた。

残る一つはオプジーボ。

 

テセントリクはPD-L1にふたをするタイプ。

オプジーボはキイトルーダと同じく PD-1にふたをするタイプ。

ということは PD-L1 PD-L2 どちらにも作用する。

もしかしたらPD-L2と副作用に関係があるのかもってことで

使うのには危険が伴うから これも一応却下で。

 

 

 

 

 

 

呼吸器腫瘍内科の先生方は 東京での学会にお出かけで

週末に向け 病院内は手薄になるみたい。

それでも「ちょっとでも具合がおかしいと思ったらすぐ連絡して」と

診察室を送り出された。

 

 

 

緩和ケア看護師さんに

「後悔しないように過ごしてね」って耳打ちされたのは内緒。

 

 

 

 

 

 

 

昼食は 父の希望でスシローへ。

 

 

左端が母の6皿。あ、赤も1皿食べてた。(13貫)

右端がワタシの5皿。でも父から2貫分けてもらった。(12貫)

真ん中の山が父の。(11貫)

 

あーあ。食欲落ちてるなあ。

体も心もしんどいんやろうなあ。

自宅に戻ってからも 元気なくて うとうと寝ちゃったって。

 

 

 

 

 

 

 

病院で 母がお会計行ってる時 父がぽつりと

「ちょっと前倒しで考えなあかんなあ」と言うので

「なにを?」と聞き返すと

「いやあ、万博どころかオリンピックもアブナイ」

本当は もっと深刻なこと言い出しそうな感じやった。

母が戻ってきたので 話すのやめちゃった。

 

 

帰りの車の中で「たった3ヶ月で あんなに脳転移増えた」と

落ち込む父に対して「全脳照射で良くなる。転移した右肺も

ちょっと大きくなったかもしれへんけど 左肺は変わってへんやん」と

明るく振る舞う母だったが「もう ぐちゃぐちゃやったやん」と

いつもなら考えられないようなネガティブとーさん出没。

 

「もう 暖冬でいいわ。スキー無理かもしれへん」と

弱気にもなってるし。

 

 

 

 

買い物中 母とふたりになったら

「先生 まだまだお薬あるって言ってはったのに・・」と

今度はこちらが落ち込みムード。

んー。残りはふたつってことなんかな・・・

 

 

そんでも 今日の段階で 治療終了って言われへんかった。

それだけを 良かったこととして捉えて

ココロがつぶれないように 支えていかなきゃって思ってる。

 

クリスマスも お正月も 自宅で過ごそうねって

先生 言ってくれはったし。

 

 

次の薬こそ 効いてくれますように!

 

 

 

昨日 病院を去る時は こんな空だったのに

今はお天道様が泣いてるわ。

ワタシは不思議と泣く気配なし。おめめもココロもからから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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去年の父は・・・

 

「肺がんを宣告された瞬間から どうやって死んでいくんだろうと

いろいろ考えた」 時期もあったらしい。 つらかったね。

最終的には「わからんこと いろいろ考えてもしゃーないし!」

と開き直ったらしい。

 

今日の父は「しゃーない」と思えず 考え込んでいる様子やった。

この1年。考えたり 開き直ったりの 繰り返しやったんでは?

そんな様子 ちっとも見せなかったけどね。

 

うたた寝から目覚めた時も 大好きなテレビつけずに

なにやら思い悩んでいる様子だと母から報告があせ凹む

 

 

 

 

 


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